ユートピアにおけるスピード | 新・ユートピア数歩手前からの便り

ユートピアにおけるスピード

私は何を言おうとしているのか。時間の関係上あまり論理的な整合性に気を遣わずに書き進めていますので、前後矛盾する点もあるかと思います。しかし、「真のユートピアの追求」という一線だけは保っているつもりです。

 

勿論、「真のユートピア」といっても、一つに限定しようというのではありません。おそらく、様々なユートピアがあることでしょう。私はそれを認めます。ただ私はこの便りを通じて、「究極的なユートピア」というものを見極めたいと思っているにすぎません。それ故、私の便りに少しでも違和感を覚えたら、ご意見をお寄せ下さい。何でも構いません。そのご意見を糧にして、更に「真のユートピア」をめぐる思耕を進めていきたいと思っています。

 

さて、ここ数日、「オブローモフおよびデクノボオのユートピア」ということで考えていることは、ユートピアにおける「競争原理の止揚」という問題です。現代社会は多かれ少なかれ「競争原理」によって成り立っています。それは自由競争社会と言ってもいいでしょう。言わば弱肉強食の社会、すなわち能力のある者が富み、能力のない者は貧困に苦しむ社会です。また能力があっても、社会の貧困層に生まれたが故に、それを活かすことができないという問題もあるでしょう。我々はこうした「競争社会」を何としてでも克服しなければなりません。

 

しかし乍ら、「競争社会」の克服とは一体何を意味するでしょうか。言うまでもなく、「共生社会」です。従って、「共生社会」の実現こそ「真のユートピア」に向けての第一歩だと言えるでしょう。先ず、この点を確認しておきます。

 

その上で、私は「共生社会」を問題にしたいのです。未だ「共生社会」が実現されてもいないのに、その問題点について考えることは一種の杞憂に基くものだと嗤われるかもしれません。しかし私は「共生社会」が「真のユートピア」だとは思っていないのです。或る意味で、そこには「競争社会」以上の問題があると言えるでしょう。それは倦怠です。