自立学校(?)としての新しき村 | 新・ユートピア数歩手前からの便り

自立学校(?)としての新しき村

全ての求道者、すなわち「人間として本当に生きる道」を摸索している全ての人々の集う場――私は新しき村をそのような場にしたいと思っています。それは或る意味で一つの「理想の学校づくり」の試みだと言えるかもしれません。しかし、そこで何を教えるのか。

この点に関しては根源的な発想の転換が必要になってくると思います。すなわち理想の学校は「何かを教える場」ではなく、生徒が主体的に「何かを学ぼうとする場」であるべきだということです。尤も生徒に主体的に学ぶ意志があるならば、もはや学校など必要ないのかもしれません。むしろ、それ以前の段階において主体性や自立する力を育むところにこそ学校の存在理由はあると言えるでしょう。つまり人を真に自立させるための学校――しかし、ここには大きな矛盾があります。

人を自立させるというのは、どう考えてみてもおかしい。人は自立するのであって、自立させられるものではありません。自立を強制することはできないし、またできたとしても、強制された自立は真の自立とは言えないでしょう。従って、「自立(させる)学校」という理念には根源的な矛盾があると思います。

しかし自立できない人間(殊に若者)、もしくは人間としての真の自立を求めて摸索している人がいるというのは厳然たる事実です。そして、そうした人達と「理想の共働態」を形成していくところにこそ新しき村の使命(もしくは存在理由)があると私は思っています。それは広い意味での「教育」と言えますが、決して「自立するノウ・ハウ」を教えるということではないでしょう。おそらくそんなものはないだろうし、また今の新しき村に自立を教えるだけの力などありません。

何れにせよ、私自身が未だ真の自立を求めて苦闘している者に他なりません。そのような私にとって教育は、「共に学ぶこと」に近い。ただ私にもそれなりの経験の蓄積があるので、何らかの「導き」(と言っては、おこがましいですが)は可能でしょう。そこに「学校」というカタチも生れてくるかもしれません。しかし、それは学校と言うよりも、「求道の場=道場」(何かスパルタ式のような感じになってしまいますが)と言った方がいいでしょう。共に「真の自立」という理想を目指して様々な摸索のできる場――それが私の夢見る「新しき村」のヴィジョンです。