人間として本当に生きる | 新・ユートピア数歩手前からの便り

人間として本当に生きる

私は思耕する。「人間として本当に生きる」とは如何なることか。

尤も、この問いの立て方には異論があるかもしれません。「人間として」という限定、そして「本当に」という条件。すなわち人間であるからといって他の生物と異なる生き方を求める必要はなく、また生きることに「本当」を求めることは一つの倒錯にすぎない(もしくは、人間は自由だから「本当に生きる」ことさえ強制されることはあり得ない)、と考えることも可能だということです。こうした見解からすれば、「本当の生」は人間が勝手に捏造した観念でしかなく、むしろ「人間として本当に生きる」ことを求めれば求めるほど、生そのものから遠ざかっていくことになるでしょう。

確かに「人間として本当に生きる」ことは一つの虚構かもしれません。しかし、だからと言って、人間は生そのものに即して生きられるでしょうか。たといできたとしても、生そのものに即して生きる者はもはや人間ではないと私は思います。言い換えれば、生そのものに即して生きる自然のイキモノが「本当に生きる」という観念を抱く時、幸か不幸かそのイキモノは人間になるのです。

人間の生は生そのもの=自然ではないと思います。勿論、自然を拒絶して生きられないことは言うまでもありません。人間は自然に根ざして思耕し、「本当の生」を結実させるのです。それは虚構と言うよりも、一つのドラマだと言うべきでしょう。