「楽しいこと」と「楽なこと」
理想の生活とは如何なるものか。或る人は一生遊んで暮らすことのできる生活だと言うかもしれません。しかし一般的には不可能です。また、たとい可能だとしても、遊びで生が輝き続けるとは思えません。少なくとも私は遊んで暮らせることを自らの理想の生活とは見做せないと思います。おそらく私の場合、楽なことでは理想の生活を実現できないでしょう。とは言え、別に殊更苦しみたいわけではありません。
問題は苦楽ではなく、あくまでも「如何にして生を輝かせるか」ということです。そして、もし遊びを純粋な消費活動だとするならば、それだけで生を輝かせることは不可能だと思います。私はむしろ生産(創造)活動を中心に生きていきたい。更に言えば、肉体の糧を生産する労働もさること乍ら、できれば魂の糧を創造する仕事に集中したいと思っています。従って私の理想とする生活は、仕事によって生を輝かせることだと言えるでしょう。遊びも必要ですが、それは所詮息抜きにすぎません。それは決して生の目的にはならないと思います。
何れにせよ、真に楽しいことは楽なことではありません。楽しいことと楽なこと、それらは或る程度重なる部分もありますが、究極的には質を異にしています。むしろ真に楽しいことを実現するためには苦しいことを余儀なくされるのが現実でしょう。また苦しいことがそのまま楽しいことになる場合もあります。例えば一般的に嫌なこととされているトイレ掃除でも、自分が苦労して開いた店のトイレ掃除なら苦しくても楽しいことになるのではないでしょうか。
逆に言えば、何もしないでいることは楽なことではありますが、長くその状態が続けばやがて苦痛に変わるでしょう。すなわち肉体的に楽なことでも精神的には苦しいこともあるということです。従って真に楽しいことを求めるならば、肉体的にも精神的にも楽な状態を脱し、敢えてプレッシャーがかかるような状態に自分を追いこむ必要があります。気楽な傍観者は生きることの真の楽しさを味わうことができないと思います。
問題は苦楽ではなく、あくまでも「如何にして生を輝かせるか」ということです。そして、もし遊びを純粋な消費活動だとするならば、それだけで生を輝かせることは不可能だと思います。私はむしろ生産(創造)活動を中心に生きていきたい。更に言えば、肉体の糧を生産する労働もさること乍ら、できれば魂の糧を創造する仕事に集中したいと思っています。従って私の理想とする生活は、仕事によって生を輝かせることだと言えるでしょう。遊びも必要ですが、それは所詮息抜きにすぎません。それは決して生の目的にはならないと思います。
何れにせよ、真に楽しいことは楽なことではありません。楽しいことと楽なこと、それらは或る程度重なる部分もありますが、究極的には質を異にしています。むしろ真に楽しいことを実現するためには苦しいことを余儀なくされるのが現実でしょう。また苦しいことがそのまま楽しいことになる場合もあります。例えば一般的に嫌なこととされているトイレ掃除でも、自分が苦労して開いた店のトイレ掃除なら苦しくても楽しいことになるのではないでしょうか。
逆に言えば、何もしないでいることは楽なことではありますが、長くその状態が続けばやがて苦痛に変わるでしょう。すなわち肉体的に楽なことでも精神的には苦しいこともあるということです。従って真に楽しいことを求めるならば、肉体的にも精神的にも楽な状態を脱し、敢えてプレッシャーがかかるような状態に自分を追いこむ必要があります。気楽な傍観者は生きることの真の楽しさを味わうことができないと思います。