人生行路の三段階 | 新・ユートピア数歩手前からの便り

人生行路の三段階

デンマークの憂愁の哲学者ゼーレン・キルケゴールに実存弁証法というものがあります。一口で言えば、美的段階-倫理的段階-宗教的段階という「人生行路の三段階」です。それは反復の逆説を含み、なかなか複雑な構造になっていますが、私はその三段階を大略、直接的(感性的)段階-反省的(理性的)段階-祝祭的段階として次のように理解しています。

幼時における明確な自己意識に目覚める以前の状態(夢見る無垢 dreaming innocence)が美的段階であり、人はそこで感性的な生の輝きを体験します。しかし残念乍ら、そうした根源的な生の輝きは自己意識に目覚めると同時に失われる運命にあります。ウィリアム・ブレイクはこの運命を「無垢の歌 Songs of Innocence」と「経験の歌 Songs of Experience」という対比で詩的に表現していますが、こうした一種の楽園喪失は人間にとって不可避だと思われます。しかし、その失われた生の輝きを何とかしてもう一度取り戻そうとすることも不可避です。そして美的段階で失われた生の輝きを反復しようとすることを以て人は倫理的段階に突入します。

しかし、その倫理的な試みは絶望に至る他はありません。と言うのも、美的段階は確かに一つの楽園ではありますが、一度失われれば、後向きにそこに戻ろうとすることは金輪際不可能だからです。そもそも美的楽園は反省以前の状態なので、それは常に既に(必然的に)失われたものとしてしか意識されないでしょう。すなわち楽園にいる時はそこが楽園であるという意識はなく、それを失って初めて楽園だったと意識されるということです。その意味において、楽園は常に失楽園でしかありません。従って美的段階の生の輝きをそのまま直接的に反復することは絶対に不可能になります。

では、どうすべきか。生の輝きをもう一度味わいたいという願いは永久に断念せざるを得ないのでしょうか。そんなことはない!と私は思います。可能性は前向きの反復(運動)にあります。失われた美的段階の生の輝きに後向きに戻ろうとするのではなく、前向きに生の輝きを創造するのです。そこに祝祭の輝きがあるというのが私のヴィジョンに他なりません。