生の輝き | 新・ユートピア数歩手前からの便り

生の輝き

人は何のために生きるか。それは十人十色でしょうが、私の場合は「生の輝き」です。自らに与えられた生を輝かせるために私は生きる――しかし、これは幾分トートロジー(Tautologie)的な答えかもしれません。と言うのも、結局は何によって生は輝くかということが問題になるからです。それを理論的に問い詰めることは難しい。また、あまり意味のないことでしょう。生の輝きはあくまでも個人の主体的な問題に他ならず、そこではそれぞれの個人的な体験が大きく影響するに違いありません。おそらく誰しもその幼時の「美的段階」に生の輝きを体験したことがあると思います。私にもあります。

それは小学四年生の時のことです。私は左鎖骨を折って暫く学校を休んでいたのですが、或る土曜日の昼下がり、病院から戻ってくると実に多くの友達が見舞いに来てくれていました。その頃の私は貧乏長屋に住んでいたのですが、その狭くて汚い家に友達が犇いている光景が忘れられません。そして「やあ、帰って来た、帰って来た」という誰かの叫ぶ声が今でも耳の奥底に響いています。ガキ大将で少し威張っていた私はみすぼらしい家を友達に見られたことを気にしながらも、本当に嬉しかった。あの時、私の生は確かに輝いていたと思います。それは人と人との信頼、それに基く連帯感(少し大袈裟ですが)だったと今の私は理解しています。あの輝きをもう一度味わいたいのです。それは言わば人間の連帯感による生の輝きの反復(Wiederholung)に他なりません。