メビウスの輪(2)
久しく経験しておりませんが、恋をすると世界が一変します。その人が好きで好きでたまらず、その人と一緒にいることができさえすれば、もう他には何にもいらない――そんな気持になります。そして、その恋が実れば、世界は薔薇色になるでしょう。それが「対幻想のユートピア」です。そこでは、その社会体制が資本主義であるか共産主義であるか等ということは関係がありません。正に「世界は二人のためだけにある」のです。尤も、そうした「二人の世界」を脅かすような社会情勢になれば、話は別です。彼等とて戦わずにはいられないでしょう。しかし、その戦いは「自分達の世界」を守るためのものであり、その本質はエゴイズムです。
私は「対幻想のユートピア」が素晴らしいものであることは認めますが、やはり究極的なユートピアではないと思います。何故なら、それは結局閉鎖的なものにすぎないからです。そこには太宰治が「家庭の幸福は諸悪の本」と言わざるを得なかったのと同様の事情があります。勿論、閉鎖的であろうとエゴイズムであろうと、それが一つのユートピアであることに変わりはなく、それによって幸福になれるのなら構わないのかもしれません。実際、今の社会においては「家庭の幸福」が最高のものであり、それを安全に保障する政治体制のみが求められているように思われます。それは一種の「夜警国家」として求められるユートピアだと言えるでしょう。
それでいいのかもしれません。しかし、私はやはりどこか狂っているのか、それ以上の次元に「最高のユートピア」を求めざるを得ないのです。言うまでもなく、それは「共同幻想のユートピア」です。
ただ誤解のないように断っておきますが、私は「個人幻想」も「対幻想」も否定するつもりは全くありません。むしろ、「個人幻想」と「対幻想」が螺旋状に捩れながら「共同幻想」を生み出していくというのが私の「最高のユートピア」のヴィジョンなのです。(つづく)