拒否と創造
若者は純粋であればあるほど、不純なものに対して強い拒否反応を示します。それは言わば若者の特権であり、無限に正しいものです。しかし私はその純粋性が往々にして拒否に止まっていることを非常に残念に思います。
例えば今の腐った学校を拒否して不登校になる――それは、逃避でさえなければ、基本的に正しい 反応です。しかし重要なことはその拒否からの一歩、すなわち自分の理想とする学校(学びの場)を「つくる」ことではないでしょうか。「さがす」のではなく「つくる」のです。それは理想の社会を求める場合でも同じだと思います。
新しき村にせよ、他の様々なコミューンの試みにせよ、自分の理想とするものに完全に一致するものなどあり得ません。「理想がすでに実現しているもの(場所)」を「さがす」のは無意味です。ユートピアは「さがす」ものではなく、あくまでも自分で「つくる」しかないものです。この文脈において、私は「理想の実現」をつくろうとしている人々との連帯を切に求めているわけです。
例えば今の腐った学校を拒否して不登校になる――それは、逃避でさえなければ、基本的に正しい 反応です。しかし重要なことはその拒否からの一歩、すなわち自分の理想とする学校(学びの場)を「つくる」ことではないでしょうか。「さがす」のではなく「つくる」のです。それは理想の社会を求める場合でも同じだと思います。
新しき村にせよ、他の様々なコミューンの試みにせよ、自分の理想とするものに完全に一致するものなどあり得ません。「理想がすでに実現しているもの(場所)」を「さがす」のは無意味です。ユートピアは「さがす」ものではなく、あくまでも自分で「つくる」しかないものです。この文脈において、私は「理想の実現」をつくろうとしている人々との連帯を切に求めているわけです。