取り敢えずの総括 | 新・ユートピア数歩手前からの便り

取り敢えずの総括

私はこれまで新しき村の変革に努めてきました。しかし結局のところ、誰も私の提案する変革など必要とはしていないようです。尤も「変革を必要としていない」と言うよりも、「私の構想する新しき村を必要とはしていない」と言うべきかもしれません。別に拗ねているわけではありませんが、これが偽らざる現実です。

 

しかし私には「祝祭共働態としての新しき村」こそ真のユートピアであるという自負があります。新しき村の「真の新しさ」、すなわち「生存」(exist)以上の「生活」(live)の実現、欠乏のニヒリズムをめぐる「水平の改革」に対する過剰のニヒリズム超克を目指す「垂直革命」――ここにこそ若きキルケゴールのいう「そのために生きかつ死ぬことができるような主体的真理」があると思っています。ただ地に足のついていない私の言葉は徒に空回りするばかりで、この虚しさにちょっと堪えられなくなってきました。

 

何れにせよ、今後の課題は「祝祭共働態としての新しき村」というイデーを如何にして現実に根付かせるか、ということでしょう。率直に言って、今の私はどこから切り込んでいったらいいのか、途方に暮れています。しかし乍ら、「祝祭共働態としての新しき村」は決して私だけの「主体的真理」ではない筈です。それは今のところ未完成のヴィジョンにすぎませんが、何とかして多くの人の結集を可能にするようなイデーへと発展させていきたいと思っています。