新生会の理念について | 新・ユートピア数歩手前からの便り

新生会の理念について

そろそろ理念的な便りから実践的な便りに徐々に移行していきたいとは思っていますが、本日も「ユートピア実現」に向けての理念についてです。

率直に言って、新しき村はこのままでは駄目だと私は思っています。所謂「食うための労働」に追われて村本来の活動が疎かになっている現在の体制では新しき村の将来を切り開くことは望めません。それ故、新しき体制を実現していくことがどうしても必要になってきます。そのために「新生会」というものを準備しているわけですが、果して新しき体制とは如何なるものでしょうか。

それは「新しきこと」への挑戦を可能にする体制に他なりません。具体的に言えば、人間として本当に生きることの意味を問う人達が集い、それぞれの究極的関心に基いて、その意味を表現(創造)していく場を実現することです。例えば、農(もしくは食)に関心のある者は安心、安全、しかも美味しいものをつくることに喜びを見出し、教育に関心のある者は生きることに躓いた若者たちと共に苦しんでいくことに自らの使命を見出していく――そこに「新しきこと」があると私は思っています。それは人間として本当に生きることの自己表現でもあります。そうした様々な自己表現の共働こそ「新しき村」本来の活動だと信じています。

勿論、個人的な自己表現というものもあるでしょう。義務労働(食うための労働)を果した後、自分だけの世界で自己表現を楽しむ――私はそれを無下に否定するつもりはありません。しかし少なくとも「新しき村」の生活に関して言えば、孤立した自己表現は、たといどんなに純粋なものであっても、村本来の生き方ではないと思います。そもそも共働の次元が開かれなければ、「村」とは言えないでしょう。

確かに今の体制においても、義務労働の範囲内では共働はあると言えるかもしれません。しかし労働を超えて、それぞれの仕事の次元においても共働がなければ、「新しき村」の名に値しないと思います。肉体の糧を目的とする水平の次元のみならず、魂の糧を目的とする垂直の次元においても共働する生活の実現――それが「新生会」の理念に他なりません。