メビウスの輪(3)
「個人幻想・対幻想・共同幻想」は「個人幻想」を中心とする同心円の三層構造を成しています。すなわち、それは「個人幻想」の発展形態であり、「対幻想」を経て、最終的には「共同幻想」という形態において完成に至ると考えられます。言い換えれば、「個人幻想」が「共同幻想」へと転化・発展して、「個人幻想・対幻想・共同幻想」が真に三位一体となる時、個人の生は「最高の輝き」を得るということです。私はそこに祝祭的輝きを見るわけですが、ここで問題にしたいことは「個人幻想」が「共同幻想」へと転化・発展する過程です。(本来であれば「個人幻想」から「対幻想」への移行についても述べなければなりませんが、それについては余り語る資格がありませんし、徒に問題を複雑にすると思われるので、「個人幻想」と「共同幻想」の関係に焦点を絞ることにします。)
さて、私は「個人幻想」と「共同幻想」の関係を凡そハンナ・アレントのいう「私的領域」と「公的領域」の区別に基いて考えています。ご存知とは思いますが、念の為に一応御紹介しておきます。
私的領域(the private realm)-オイコス(家)の領域-生命の維持に関わ る 活動力
公的領域(the public realm) -ポリス(都市)の領域-共通世界に関わる活動力
これは古代ギリシャの世界観に基くもので、前者(家)の原理は各個人の生命の維持・種の保存であり、男が生命の維持を、女が種の保存を司るというものです。それに対して後者はアリストテレスの言う政治的生活が行われる場で、それぞれの家の代表(家長)が自分たちの政治的共同体を運営、維持する空間です。こうした世界観において、古代ギリシャでは、公的領域に参与することにこそ人間の「本当に生きる意味」があるということになります。
更に言えば、私的領域において中心となる活動は「労働」(labor)であり、公的領域におけるそれは「仕事」(work)とされます。その違いを端的にまとめれば以下のようになります。
「労働」-消費と結びつき、人間の肉体的生命維持を目的とする。その生産物は耐久性のない消費物。
「仕事」-消費に抵抗し、人間の個体生命を超えて存続する「世界」(world)を作り出すことを目的とする。その生産物は「人間の工作物」(human artifice)。
そして極めて大雑把に言えば、人間生活は古代においては公的領域の仕事が中心であったのに対し、近代に至ってその中心が私的領域の労働に移ってしまった、とアレントは指摘します。彼女によれば、そうした逆転こそ現在我々が直面している大量消費社会の環境汚染や資源涸渇といった問題の根に他なりません。それ故、現代の危機的諸問題を根本的に解決するためには、近代における「労働の優位」を覆し、「仕事の復権」が必要だとされるのです。こうしたアレントの問題構成は「祝祭共働態としてのユートピア」を求める私の問題意識と通底しているように思います。(つづく)