「生活」のスピード | 新・ユートピア数歩手前からの便り

「生活」のスピード

私はオブローモフをそのまま肯定するわけではありません。彼はラディカルに変わる必要があります。しかし、オブローモフにこそ「真に新しきもの」を生み出す可能性があると思っています。そこで、その可能性について少し考えてみたいと思います。

 

或る考古学者が日本の古代人の特性について語っていたことがあります。例えば一日かかっていた労働が道具の発明などによって半日で済むようになる。問題はあとの半日をどう過ごすかということです。その考古学者によれば、南洋の古代人は昼寝をしたそうです。それに対して日本の古代人は、残りの半日も労働したということです。

 

もとよりこの対比によって私の言いたいことは日本人論ではなく、あくまでも「人間として本当に生きること」についてです。言うまでもなく、生産性をあげることだけを考えて労働し続けることは、たといそこに生の充実を感じるにしても、決して長続きするものではないでしょう。しかし私は、昼寝をすることに「本当の生」があるとも思いません。更に言えば、「適度に労働し、適度に休息する」という生き方にも疑問を感じています。勿論、それが悪いというのではありません。ただ「モーレツに労働すること」は言うに及ばず、「休息もしくはレジャーを中心とした生き方」も「人間として本当に生きること」ではない、と思っているにすぎません。

 

なかなかうまく表現できないのでもどかしいですが、私は基本的に「スローライフ」を肯定しています。しかし、それは主に「生存」の次元における生産活動、すなわち労働に関してのことです。そうした労働に追われる忙しい「生活」は決して人間本来のものではないでしょう。その意味において、「スローライフ」が絶対的な条件となります。しかし――ここから少し理解しがたいことに突入しますが――「スローライフ」が我々の最終目的地ではないと思うのです。

 

私の求める「デクノボオによる革命」は、「スローライフ」を超え、再びスピード溢れる「生活」を実現するものです。ただし、それは「労働における生産性のスピード」ではなく、「仕事における創造性のスピード」に他なりません。