変革と逃避
私は恰も新しき村の代表であるかのような感じでこの便りを書いていますが、事実は全く異なります。むしろ次第に私の居場所がなくなりつつあるというのが現状です。従って早晩、村を離れることになるのは間違いありません。しかし「新しき村の実現」を自らの究極的関心とする私が離村するとは如何なることでしょうか。明らかに論理的に矛盾しています。論理的に言えば、離村は逃避以外のなにものでもないでしょう。
新しき村を実現するために離村する――しかし、これは論理の問題ではありません。現実の問題です。村内にいては私の考える「新しき村」の活動ができないという現実、すなわち今の村は未だ「新しき村」になっていないという現実です。裏を返して言えば、現在の体制を根源的に変革すべきだと思っている村人は殆どいないということです。それ故、自分の理想とする「新しき村」を実現するためには離村するしかないと思うわけです。
これを逃避と言うならば、ルターもまた逃避者だと言わざるを得ないでしょう。果してルターはカトリック教会の内部に留まって「宗教改革」を実現することができたでしょうか。後にカトリック内部からの改革がなされましたが、それはルターの外部からの一撃があって初めて可能になったものに他なりません。確かに内部からの変革(内部告発も含めて)こそ理想だと言えます。しかし、たといそれが成立するにしても、極めて長い時間が必要とされます。気の短い私にはとても待てません。また変革の同志を内部に結集するにしても、内部にいては実際的なことは何もできないでしょう。今の私にとっては外部からの変革が唯一の可能性のように思えます。勿論、ルターが破門されたように、私も村から追放されるまで内部からの変革に努めることは言うまでもありません。
新しき村を実現するために離村する――しかし、これは論理の問題ではありません。現実の問題です。村内にいては私の考える「新しき村」の活動ができないという現実、すなわち今の村は未だ「新しき村」になっていないという現実です。裏を返して言えば、現在の体制を根源的に変革すべきだと思っている村人は殆どいないということです。それ故、自分の理想とする「新しき村」を実現するためには離村するしかないと思うわけです。
これを逃避と言うならば、ルターもまた逃避者だと言わざるを得ないでしょう。果してルターはカトリック教会の内部に留まって「宗教改革」を実現することができたでしょうか。後にカトリック内部からの改革がなされましたが、それはルターの外部からの一撃があって初めて可能になったものに他なりません。確かに内部からの変革(内部告発も含めて)こそ理想だと言えます。しかし、たといそれが成立するにしても、極めて長い時間が必要とされます。気の短い私にはとても待てません。また変革の同志を内部に結集するにしても、内部にいては実際的なことは何もできないでしょう。今の私にとっては外部からの変革が唯一の可能性のように思えます。勿論、ルターが破門されたように、私も村から追放されるまで内部からの変革に努めることは言うまでもありません。