ユートピア実現への「廻り道」
ヘーゲルは理想社会実現への「廻り道」(Umweg)について論じています。それは最終目的に至る過渡的段階として、政治的能力に優れている者に権力を集中するというものだったと思います。手許に文献がないので確かなことは言えませんが、この「廻り道」は、例えばプロレタリアート独裁、もしくは労働者の代表であるソヴィエトに全ての権力を集中させるという言わば前衛主義に通じるものだと理解した記憶があります。すなわち、これは昨日の便りで言及した「大審問官」の論理に他なりません。
ところで、「ユートピアとファシズム」の便りに戴いたコメントにもありましたが、正直言って私も、新しき村の「大審問官」になろうかと考えたことがあります。すなわち、様々な権謀術数を弄して村の運営を自由に行える「独裁者」の地位を得て、その上で村の改革を推進する方が結果的に近道かもしれないと思ったのです。確かに「虎穴に入らずんば虎子を得ず」と本気で思っているのなら、そうすべきだったかもしれません。
しかし乍ら、そうしたマキャベリズムによる権力奪取の「廻り道」は、たとい近道のように見えても、やはり「真のユートピア」には通じていないのではないでしょうか。一般的には「目的が手段を正当化する」と言えるかもしれませんが、「ユートピアの追求」に関しては当て嵌まらないと思います。むしろ、ユートピアの場合には、そこに至る過程こそが重要ではないでしょうか。少なくとも一握りの前衛が大衆をリードしていくという図式は、もはや決定的に時代遅れ、と言うよりも「古き精神」に属することでしょう。従って、たとい時間がかかっても、「主体的自由」に自覚的な同志の結集を求めていくしかないと私は思っています。皆さんはどうお考えでしょうか。