山崎さんがおっしゃっていたことで、もう1つ気になったことがありました。

 

 

それは、

「最期の日のぎりぎりまで幸福は追求できる。一方、他人はその人を過去の業績その他で評価しようとするかも知れない。実は、このズレを上手く利用することが良い人生を送るコツになるのではないか。「本人」にとって、他人からの評価は「サンクコスト」に過ぎないからだ。いくら努力しても過去の蓄積を「本人」は将来に持ち込むことが出来ない。過去は「他人」のもの、最期の一日は「本人」のものだ。お互いに機嫌良く過ごす上で邪魔になるものは何もない。上機嫌なら全て良し、と思うがいかがだろうか」

というところ。

 

 

山崎さんはそれ以前に、

「幸福感の決定要素は、ほぼ自己承認感(モテ具合)だ」とも言っておられて、

自己承認感は、結局自分以外の他者からの評価にかなり依存するということなので、先の言葉との整合をどう考えたら良いか、少し引っかかるところがあったからです。

 

 

 

この話の落としどころのヒントは、

”世界一の大富豪ウォーレン・バフェットが、なぜ金の亡者たる醜い老人にならないか”という考察に含まれるように思います。

 

つまり、素性も知れない人からの評価なんか気にせず、

自分自身が、自らを肯定・承認する評価を得るべき他者をしっかり見定め、選ぶこと、

出来ることなら、たった一人でいいので、その相手にふさわしい、互いに尊敬と信頼を培える人間関係を築くこと、それがいかに大切かということじゃないかと。

 

 

そして、他者からの高い評価こそが幸福の実態なんだろうけど、

死の間際までそこに囚われてても仕方ないんで、出来ることなら、早めにどこかで諦めることも一つの道で、今自分の周りにあるもの、手にあるものだけにフォーカスして、上機嫌で行くのが宜しってことかなと…。

 

 

最後の切羽詰まった段階にあって、

これらを言い切ることは並大抵のことではないですし、

きっと、後続のために少しでも参考になればと考えてだろうことを思うと、

自分も安直に人生を達観したりしないで、まだまだ精進せねばと、強く思います。