山崎さんがお亡くなりになった後、

最後に書かれていた記事を読みました。

 

 

物、仕事、人間関係などについて、まるで人生の総括のような整理をされていて、

その内容は、とことん深く考えさせられ、溢れるほど学ぶことが多いものでした。

 

 

人間関係については、

自分の「持ち時間」に限りが見えてきた時どうあるべきか、実際のところ、誰に対して時間を使うべきかを語っておられ、

結論はずばり、「自分から頼んで時間を貰い、意見なり情報なりが欲しいと思う相手を、自分が選んで時間を使う、ということに集約される」とのこと。

 

自分自身にとって、それが誰かを考えてみたのですが、

家族と両親、姉弟を除けば、

今まさに付き合いのある、ほんの数名の顔だけが思い浮かびました。


学生時代の親友などのことなども考えましたが、

彼らとは久々に会って、酒を飲みながら思い出話をすることが多く、

結局、過去の事実や時々の感情を追認するような話題が多くなりがちです。

 

でも、

山崎さんが言う、”意見なり情報なりが欲しいと思う相手”というのは、

”今と未来にとって価値のある話ができる相手”ということだろうと思うので、

過ぎた話や過去の関係というのは、究極の状況だと、ここで言う”サンクコスト”であって、

”いま目の前にいる人、この人との関係性”こそが大事、ということじゃないかと。

 

だから、ずっと続いてる、数少ない気の合う人間とは、

少しでも長く気持ちのいい関係でいられるよう、都度ちゃんと顔を見て、できるだけの愛情表現をするっていうのが、ひとつ正しい道かなと思うに至りました。

 

山崎さんが、人づきあいにこういった価値感や意味のようなものを求められたのは、

きっと、常に「何かを生み出す人」であったからだろうとも思います。