森の中の紅雀   ともかくも生かされてはいる | 黄昏黒猫屋敷ー布人形とイラストの小部屋

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世間からかなりずれている管理人、黄昏黒猫堂こと黒猫が自作人形やイラストを発表しつつ、ニート、ひきこもりなど生きずらさを考える。(画像一覧で作品を見ていただけるとうれしいです。)

 

森の中には紅雀のサヨ

仲間の精霊物の怪たち

やがて来る秋の彩りを待ちます

 

(画像と本文は直接の関係はありません。)

 

 

 かつて強迫性障害をこじらせて、ひどい鬱病になり。休職して療養したことがあります。幸い復職することができ、今は一応なんとか働いています。その後、癌で休職、療養を経験し、癌の後遺障害も抱えています。

 鬱病はすっかり落ち着いて、長く寛解の状態で、安定していますが、難治性のため、今も月一回の通院をしています。やはり時々はとても抑うつ的な気分になり、朝、仕事に行くのが辛くなる時があります。そんな時は、「とにかく、今日の1日を生きてみよう。」そう思って家を出ます。今日1日だけ、その前も後もなく、今日1日だけと動きます。明日のことは明日が考えるだろうから、今日は今日だけのことをします。

 

 このところ山頭火の句集をぱらぱらとめくっています。 

 

<ともかくも生かされてはゐる雑草の中> 

 

 この句がお気に入りです。「いろいろありますが、なんとか生きています。」という感じもありますが、解釈抜きで、その字面だけでいい、そんな風に思います。

 

 <物乞う家もなくなり山には雲>

 

 山頭火のこの句も好きです。山頭火は出家得度のいきさつもかなり怪しげですが、乞食坊主とはいえ、一応は禅僧の端くれで、漂泊の旅をしながら托鉢をします。托鉢をして回る集落もなくなり、いよいよ峠越えの山道にさしかかるところで詠んだ句でしょうか。里を抜けて山に入る山頭火自身が山を越える雲のような感じです。雲のように水のように生きられたらと思います。

 

 ところで、鬱病に限らず、精神疾患の苦しみのさなかにいる時には、無理をして、病気に逆らうことは危険だと思います。山頭火的に、あるいは良寛様的に、「潰れる時は潰れることがよろしかろう。」しかないような気がします。

 

 

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