私達は貴重な自分の時間を売って生きている。

労働はその一部に当る。

貴重なのは時間だ。

限られた自分の時間である。

お金も大事なモノであるが、それよりも大事なモノは時間だと思う。

お金さえあれば自分の大事な時間を売らないですむのだから・・・・・

自分にはもう残された時間が長くないから、一層そう思うのかも知れない。

 

 

でもお金がなければ食べてはいけない。

貴重な時間を売りたくはないけれど、食べるためには仕方がないと考え働くことになる。

誰でもそうだ。

会社で働くにしても、誰かの下では働きたくないと考える。

自由にあくせくせずのんびりと暮らしたい。

でも現実はそうではない。

朝早くから何かに急き立てられるように会社に行き、昼に早くならないかといやいや働くことになる。

私もそのような一人だった。

 

殆どの日本人は大きな荷物を背負い、遥か霞むような高い峠を登ることになる。

そんな峠を登りたくない。

重たい荷物も嫌だ。

わき道を通って楽な人生を過ごしたいと思っても、最後には同じような遠い高い峠を通ることになる。

私も脇道、脇道と通ってきたように思ったが、後で振り返ると、何のことはない、皆と同じように高い峠を通ってきたことが分かる。

荷物も少なく、出来るだけ自由な生き方をしたかったが、そんな楽な道はなかった。

 

資産家でお金持ちの子たちでも、大学を卒業し、その後、家業を継ぐための修行と思ってか、取引銀行や取引先の企業で働くことが多い。

しかし限られた時間内のほんの短いひと時だ。

雑巾がけという昔ながらの修行名目だが、本当は若様の顔見世といった方がいいのだろう。

会社の中では平社員ではあるが、取引先会社の御曹司である。

社員たちからは嫉妬と羨望の的になる。

 

若様は平社員でも限られた人たちだけのクラブに出入りし、名前を憶えてもらうことになる。

一時庶民の間でも会員制クラブが雨後の竹の子ように溢れていた時期があったが、その様なショボい所ではない。

本物のクラブである。

私達がいくら願っても入れないクラブだ。

名目は違うが、あのNHKにもクラブがあるらしい。

私達の視聴料で何でそんなクラブが存在するのか?

疑問だらけである。

 

若様の次の試練は結婚になる。

試練というのはちょっと不適切な表現かも知れないが、閨閥作りのための駒だからそこに夢はないだろう。

これから先のことを考え、どこの娘と結婚さすのが得か?

親はそれしか考えていない。

高級官僚の娘か?

大臣経験者の娘か?

それとも銀行頭取の娘か?

親はいろいろ考える。

貧乏人の僻み、嫉み、妬みかも知れないが、そのような人生が本当に幸せなのだろうか?

白馬の王子様やシンデレラ物語は女性の夢だが、でもこの場合、庶民の女性が選ばれることはない。

 

我々貧乏人なら先に色恋があるのだが、彼等お金持ちは得か損が先にくる。

事実、彼等上流にいるであろう人物たちの閨閥を見ても、一目瞭然のように知られた会社の名前や、官庁の役職の名前が並んでいる。

仲間内で結婚し、お互い助け合い、出来るだけ財産を減らさないようと考えている。

彼等にすれば相続税が一番怖いのだろう。

相続税を節約するためには、生前贈与やいろいろな方法があるらしい。

私達貧乏人には羨ましい悩みである。

でもそれが本当に幸せか?

重たい荷物を背負って峠を越えているのは私達と一緒だ。

お金持ちだから駕籠に乗って峠越えしているわけではない。

 

貧乏人はずっと貧乏人である。

その仕組みは今も変わらない。

相続税でちょっと変わるぐらいだ。

それでも日本は海外の国々と比べて相続税の税率は高い。

55%である。

世界から比べればまだ真面な国なのだろう。

アメリカやヨーロッパでは50~40%のところが多い。

だがイタリアはわずか8%だった。

海外では上流の基盤が盤石で、打ち破ることが難しく何も変わらないのだろう。

 

私は職人だから一生お金とは無縁である。

昔から職人とはそういった職種だった。

借家住まいで貧しい生活をしていた人たちが多かった。

会社勤めになれば少しは生活が安定する。

でも気持ちは職人気質である。

彼等は良いモノを作りたい。

オリジナルのモノを作りたい。

そういった気持ちが強い人たちでもある。

出世も大事だが、それよりも技術を極めたい。

誰も出来なかった未知のモノを作りたい。

食事の時間も惜しいほど研究にのめり込み、もっと時間が欲しいと願う人たち。

 

時間を忘れ何かに没頭できることはありがたい事なのかも知れない。

時間を忘れ没頭できるということは、会社に貴重な時間を売ってはいないことになる。

会社に勤めていることに違いはないが、心は大きなやりがいに包まれている。

誰かに使われているようで、もう自分が率先して自分の意思で時間を使っていることになる。

そう考えると、会社で働いていても自分の時間が持てることになる。

何も独立することもなく、自分の時間を確保することができるのだ。

そのような恵まれた環境にいる人もいれば、またそうでない人たちもいる。

すべての人たちが自分の能力を、仕事を生きがいと思えるような環境ではないことは理解できる。

でも誰もが自分の能力を発揮できる環境であってほしい。

 

誰もが大谷選手にはなれない。

でも大谷選手一人では野球はできない。

それぞれの選手には役割がある。

また目立たなくても影で重要な仕事をしているスタッフの人たちもいる。

大谷選手が十分な力を発揮できるのも、その影の人たちのおかげなのかも知れない。

彼等は影であろうと自分の仕事に誇りを持っている。

まさに職人気質だ。

仕事を求めて、そこで選ばれた人たち。

同じ仕事をするなら不平不満を言わずに仕事をしたい。

とても難しいことだけれどそう思う。

 

お金も肩書も大事だが、限られた自分の時間をどう有効に使ってきたか、最後それが自分自身に問われてくるような気がする。

何でも反対、資本家は敵と旗を振っていた人たちは自分の貴重な時間をどう使ってきたのだろうか?

誰かの為に時間を使ったことはあるのだろうか?

仕事に誇りを持った事があっただろうか?

何か大事なモノをどこかに置いてこなかったか?

そんな気がしてならない。

 

私は随分と言い訳をしてきた人生だった。

吃音のこともあっただろうけど、それだけでなくいろいろな事で言い訳をしてきた。

自分自身に嘘をついていたことになる。

でもその嘘は自分自身が一番分かっている。

しかし歳を重ねるにしたがって、どう頑張っても嘘はつけないようになる。

周りを誤魔化そうと思っても、自分には嘘をつけない。

私は周りの人たちを誤魔化そうとは思っていなし、またそんな器用な真似はできなかった。

結果、それで良かったのだと思う。

 

歳をとるにしたがって、自分の時間をどう使っていたのかが後に響いてくる。

つまり高齢になるにしたがって結果が出てくるのだろう。

他人の為に時間を使った人は老後、世話していた人たちが集まってきて、寂しい思いをすることはないだろうと思う。

それでは夢中で仕事一筋にに励んでいた人間は、どうだろうか?

仕事が無くなれば寂しい思いをすると言われているが・・・・・・

私はそれほど仕事人間ではなかったが、それでも時間を無駄に使っていたような気はしていない。

あれもこれもと想い出せばキリがないし、悩んでいた時期は誰にでもあるだろう。

一番問題なのは、ずっと悩み続け、貴重な時間を無駄にすることだと思う。

誰かのせいにして逃げる方法もあるがそれではもったいない。

気が付けばもう後戻りできない年齢になっているからだ。

逃げ道はないと諦めて峠を登るしかない。