食べる寸前のご馳走をテーブルの上に並べて写真に撮り、それをブログやSNSに載せている人を時々見かける。
それらは圧倒的に女性の方が多いように思う。
これらの写真を見ながら、私はどう解釈、理解したらいいのか戸惑ってしまう。
もしかしたら、ご馳走をブログやSNSに写真を載せている方たちは、「このような贅沢を私はしているの、見てよ、見て見て」と言っているのだろうか?
男にとってこれらの行為を理解するのは難しいとしか思えない。
特に今から食べるご馳走、そのご馳走事体を写真に撮り投稿する行為だ。
だが理解しがたいと書いてはみたが、反面分かりやすく、直接的な行為であるのかも知れない。
言い換えれば、誰でもそのような欲望を少しは持っているのかも知れない。
ブログやSNSにそれらの写真を躊躇なくあげている人たちは、言い換えれば自分の気持ちに忠実と言えるのだろう。
これらの行為を俯瞰して見れば、自分が狩りに行き獲物を捕ってきて、それを捌いて、今から食べますよと言っている様に捉えることもできる。
「私は狩りで、これだけ大きな獲物を射止めることができた」
「それがこのご馳走だ」
「そら見ろ、羨ましいだろう」
これらのブログが私にはそのように見えてしかたがない。
確かに昔はこのように分かりやすい人たちはいくらでもいた。
しかし今は洗練?されたのか、そのような直接的に自慢する人たちは見なくなった。
仲間内では嫌がれるからだろう。
きっと自慢した瞬間に弾かれてしまうからだ。
でも誰かに自慢したい気持ちはある。
昔「女はそれを我慢できない」という有名な映画があったが、そのようなことなのだろうか?
いや、全ての女性が我慢できないわけではない。
一部の人たちだ。
では弾かれないような場所といえば、どこになるだろう。
今なら顔を合わせることもなく、不特定多数の人たちと集うことができる。
その場所がブログやSNSということになったのだろう。
まさかと思うが、現実にブログやSNSでご馳走を撮った写真が溢れている。
とても分かりやすい直接的なブログだ。
おもしろいと思う反面、好き嫌いがハッキリと別れるブログのような気がする。
しかし、そのブログや、SNSさえも、彼女たちの受け皿となるような季節は過ぎたように思える。
日本の中ではこのようなブログやSNSは直接的で、下品と見なされてしまうのだろう。
でもブログを書いておられるご婦人たちはどちらかといえば、自分を上品な人間と思い、またそのように思われたい女性人たちではないだろうか?
そこに大きな乖離があるようだ。
私ならもう思い切って下品になるのはどうだろうかと考える。
それも超下品になるのだ。
ブログもまさかと思えるほどのアブノーマルなモノにする。
そのような覚悟がなければ、他人の眼に縛られ続け、いつまでも嘘のブログを書くことになってしまう。
私がブログを書き始めて間もない頃、最近の食品は何もかも甘くて気持ちが悪いと書いたことがあった。
寿司も惣菜も何もかもが甘くて、その甘さが人工甘味料を使った甘さで、皆さんもそうだと思うが、何時までも舌の先に残って気持ちが悪いと思われたことがあるだろう。
またそのついでに、私はサンシャインマスカットを食べたいと書いた覚えがあった。
この時はなぜかサンシャインマスカットが食べたくて、少し大げさにブログに書いてしまったのだった。
憧れのサンシャインマスカット、夢に見るサンシャインマスカット、いつか食べたいサンシャインマスカットのような感じでブログに書いていた。
私にすれば一つや二つ贅沢なモノがあってもいいと思っていたからだ。
昔なら祭りやお正月にしか食べられなかったモノが、今ではいつも商品棚に並んでいる。
何時しかそんな時代になっていた。
だからサンシャイン・マスカットぐらいは大事なモノとしてとっておきたかった。
いや夕張メロンでも、虎屋の羊羹でも良かったような気がする。
私のこのブログに返信でもないが、いいねをしてくれた人がいて、その人にお返しとしていいねをしょうと思ってブログを見ると、何とサンシャインマスカットが大きく映った写真であった。
これからご婦人がサンシャインマスカットを食べようとするブログで、私は正直驚いた。
まさかこのようなブログが私に向かって来るとは思ってもいなかったからだ。
私のブログを読んでこのような受け取り方をする人もいる。
ホント勉強になるとしかいいようがなかった。
そんなブログを見なければいいのだけど、私のブログにいいねをしてくれた人には礼儀としていいねをしたくなる。
そうすると、食べたり、飲んだりするブログにまた出くわすことになる。
だがすべてが配慮に欠けたブログではない。
中にはこれから食事をする写真が入っていても好感が持てるモノもある。
こう言ったブログの書き手の方は、常に読み手の方を頭の隅においていて、独りよがりな文章になることはない。
読んでいて本当に感心することばかりだ。
私は食べ方が綺麗ではないから、人前で食べることは苦手だ。
俳優さんでも人前で食事をしない方がいた。
田村正和さんだった。
田村さんは所作が綺麗だと言われていて、共演する女優さんも憧れるほどだったと聞く。
そのような方でも、共演者と食事を共にすることはほとんどなかったらしい。
分かるような気がする。
食べる姿で、その人の人格、品のようなモノがどうしても出てしまうからだ。
田村さんが品が無いとはいっていない。
とても品のある方だった。
それでも品のある食べ方は難しいと考えておられた。
魅力的に見せる食べ方はとてもじゃないが、誰にでもできることではないのだろう。
でも素人の人がYouTubeなので食事をしている処を見る時がある。
垣根は低くなっているとはいえ、人様に食べる所を見せる行為はある種覚悟が必要だと思う。
私は食べる行為と排泄する行為は同じだと考えている。
そんなこと同じであるかと思われるだろうが、私には同じように思われて仕方がない。
唇と肛門はそのまま繋がっている。
入れる処と出すところの違いだけだ。
つまり食べる処を見せていることは、排泄するところも見せているのと同じと考えていい。
少なくても私の食べ方はそのようなレベルの食べ方に違いない。
それを映画やドラマで美しく見せようとするとなると、それは並み大抵ではない。
俳優さんは日々食べ方の練習もしているのだろう。
食べたまま喋るとどうしても汚く見える、それを汚く見えないようにする。
孤独のグルメではないが、口にいれてほうばる量や、噛み方にもこつがあるのだろう。
松重豊さんはその辺の加減がとても上手い。
また仕立ての良いスーツと、白いワイシャツが番組を貧乏く見せないように、嫌味なく脇役の役目を果たしてい
る。
あの番組では食事しながら喋ることがないから、まだ見ている私達も安心できる。
これがどこかのグルメ番組ならそうはいかないような気がする。
このような事をかいていると、またサンシャインマスカットを食べたくなってきた。
少し上物になるとまだまだ財布の中身と折り合わない。
もう少し安くなってくれるといいのだが・・・・・・・
今年はいつ食べられるのやら。