前回、日米地位協定について書いたが、それに関連にすることとして、半島有事になれば、半島から逃げてきた人たちで日本海側の海岸は埋め尽くされてしまうことになる。
何もこれは私が妄想で書いている訳ではない。
アメリカのシンクタンク、「戦略国際問題研究所(CSIS)」の報告書よると、北朝鮮だけで100万人以上の人たちが日本に向かうだろうと計算されている。
何と恐ろしい数ではないか?
その中には工作員やスパイも入り込んでくることも予想されている。
まるで蒙古襲来のように、海岸線が異国の人たちで溢れ、船の群れが海全体を埋め尽くされるような事態だ。
日本人にすれば見たくない光景である。
しかし、そうなった場合、知らぬふり、見ないふりはできない。
自分たちの土地が、国土が危機にさらされようとしているのを肌で感じるからだ。
誰だって海岸が外国船や外国人で溢れているのを見たら、急に愛国心に似た感情が芽生えても不思議ではない。
またそれはもうパニックに近い。
反発心よりも恐怖心が先に立つかも知れない。
賑やかな太平洋側と違って日本海側は至って静かな漁村や港町が多い。
それがどこもかしこも北朝鮮の人達と船で埋め尽くされれば誰だっておかしくなる。
半島有事には、そうならないように海上保安庁や海上自衛隊が連携して動くのだろうが、それでも限界がある。
朝鮮半島で事が起これば、海上保安庁では主に、北九州の第七管区海上保安庁と、京都舞鶴の第八管区海上保安庁が対応することになっている。
これも私が勝手に予想して書いている訳ではなく、半島有事を予想しての報告書がすでに出来上がっている。
それによると、新潟の第九管区や宮城の第二管区の応援を含めても海上保安庁だけでは限界があるので、自衛隊法80条に基づき、必要に応じて海上保安庁の一部または全部を、防衛大臣の統制下に置くこともあるという。
では九州や本州から離れている離島はどうなるのだろう。
対馬や隠岐の島などの島々は半島の人達で溢れかえるのは眼に見えている。
政府はそれらの島々を避難民から守る強固な防波堤、壁として使うことになる可能性は充分にある。
日本は避難民を全て受け入れるようなことはしないだろうし、またできはしない。
例えば難民流入に苦しんでいるイタリアは、難民の流入地点であるランペドウーザ島に難民収容センターを設けている。
またイタリアと関係が深いアルバニアに、イタリア政府が難民を収容する施設を2カ所建設する計画を発表している。
つまりイタリア本土には難民の収容施設は置かず、あるのは一時滞在施設だけに限られている。
これには国際法やEU法に違反しているという意見もあるが、イタリア政府の意向は日本人にも理解できる。
今のまま移民を受け入れれば、自国民の不満はますます大きくなり、国内の右傾化は進む一方になることが予想されている。
イタリア国内を安定させるためには、移民の受け入れを制限するのも仕方ないことだ。
先にも書いたように、日本政府はもしもの場合を想定し、イタリアのランペドウーザ島ように対馬や隠岐の島、いや、この場合は隠岐諸島と書いた方が正確だろうか、それらの島々に避難民収容センターを建設して使うことも十分に考えられる。
しかしこの場合、他国や一部自国からの反発や批判、中傷が凄まじく大きくなることを覚悟しなければならない。
でも今の日本を守るには、このような毅然とした態度で嫌なモノは嫌というしかないい。
周りの眼を意識していつまでも良い子ではおられない。
半島も危機だが、日本も違う形で危機になる。
この危機を中途半端な考えで乗り切れるとは到底思えない。
(CSIS)による韓国からの避難民の予測はなぜかなかった。
しかし、このような一般的なシナリオでは数十万人の避難民が韓国で発生することが予想されている。
ちなみに日本の防衛省が出した半島有事の際の予測では、韓国からの避難民が22万人、北朝鮮からの避難民は5万人となっている。
アメリカのシンクタンク(CSIS)の予測か、それとも日本の防衛庁か、果たしてどちらが正しいか?
ただ北朝鮮には船が不足しているように思えてならない。
以前、海上保安庁に沈没させられた不審船にしても、海上保安庁の巡視船から逃げきれるような船には見えなかった。
その前に日本人を拉致していただろう船も、同じように草臥れた船舶だったのだろう。
お金も技術も、何もかもが枯渇した北朝鮮で、100万人もの人たちが船に乗り、荒海を渡って日本に来るなどとても無理なことのように考えられる。
もし日本を渡ろうとしても、その前に海の藻屑となることが予想される。
防衛庁報告書の予測では、なぜか北朝鮮の避難民よりも、韓国の避難民の方が4.5倍ほど多い。
なぜこのような数字になっているのだろう?
北朝鮮が核兵器を使わないかぎり、韓国と北朝鮮の戦争は数日で終わると予測されている。
北朝鮮には長期間戦闘を続けるだけの弾薬も燃料も食料もない。
もちろん戦争では韓国が勝利するのだが、それならなぜ韓国から多くの人たちが日本に多く逃れてくるのかと疑問がわく。
それが私には分からないのだが?
地位協定について知らなければ、半島からの避難民について疑問も湧かなかった。
だが、これは私達日本人の生活に直結する問題のように思う。
半島からの避難民の問題は、我々の医療保険、年金、その他生活全般に関わってくる。
残念ながらこのような機微な情報はなかなか私達国民には伝わってこない。
しかし少し調べれば、有事の場合に日本政府がどのような想定をしているか分かる。私達は何もしていないように思っているが、あらゆることを分析し、またそのことでどのような事態になるか想定している。
でもそれはまだ想定だけをしていて、具体的に動きがあるかと言えば、まだまだ少ないようだ。
山陰地方は風光明媚な所だが、まずいことに、舞鶴湾近くには原子力発電所銀座とも言うべき大飯原発と美浜原発がある。
特に大飯原発は日本国内でも最大級の原発らしい。
そんなところに10万単位の半島の人たちがやってきたらどうなるか?
私達には彼等避難民が北朝鮮人なのか、それとも韓国人なのか見分けがつかない。
それどころか言葉は同じ朝鮮語なのだ。
韓国人の避難民なら日本でテロは起こさないと思うが、北朝鮮人の避難民はその可能性が十分ある。
しかし私達にはその見分けができない。
町も警察も大騒ぎになる。
警察も自衛隊も、避難者が街の人達といざこざにならないか、それだけの警備で手がいっぱいになる可能性は高い。
そこでテロがおきれば、北朝鮮人の人たちも警察が調べようとするはずだ。
だが一部のマスコミは関東大震災の例を出して、「日本人はまたデマ情報を出して朝鮮人を殺そうとしている」と大宣伝を打つだろう。
日本政府すればこれが一番困ることだ。
しかしその困ることを日本の一部のマスコミは書きたがる。
自民党政権と一緒に裏で甘い汁を吸っているのに、いかにも反政府、反米を気取る。
しかし実態はアメリカには至って弱い。
アメリカが本気で怒るようなことは絶対書かない。
これでジャーナリスト気取りなのだから嫌になる。
それでも一部のマスコミは「日本政府は避難者を人道的に扱っていない」「日本は韓国人、北朝鮮人を差別している」と騒ぎだすだろう。
その時私達はどうすべきか?
先にも書いたが日本人はそれでも毅然とした態度で今の日本を守るべきだと思う。
その前に台湾有事になってから、半島有事になると想定されている。
南海地震が動いて東海地震が動くように、台湾有事と半島有事も同じように連動すると考えられている。
当然台湾からも避難民が与那国島や石垣島に来ることが予想されている。
この場合、政府は沖縄県である程度の避難民を吸収できると考えているので、半島有事の場合の避難民と違いあまり深刻には考えていないようだ。
また台湾の方達は、日本人に悪感情を持っていないことにも関係があるのかも知れない。
日本海側の本州の守りの要は京都舞鶴湾で、九州の佐世保以外、日本海側の自衛隊基地はこの二つしかない。
しかし佐世保は海軍基地として有名だが舞鶴湾の海軍基地としてはあまり知られていない。
京都の舞鶴湾は日本海に面した港で昔から北前船の寄港地で、また1904年の日露戦争時ではバルチック艦隊を迎え撃つため、舞鶴東港から東郷元帥率いる連合艦隊が出港している。
明治時代は日本海側唯一の海軍鎮守府として、舞鶴鎮守府が開府していた。
鎮守府が置かれていた軍区は横須賀、呉、佐世保、舞鶴の4軍区だけである。
第二次大戦後は、シベリア抑留の人達や、満州からの引揚者が舞鶴港に帰航していた。
最近では舞鶴飛行場もでき施設は充実してきているようだが、とにかく現在の舞鶴地方隊は守備範囲が広い。
島根県と山口県の県境から、秋田県、青森県の県境までを守るらしい。
舞鶴港だけで本州の日本海側を全て守るのは無理ではないかという懸念を抱くが、どうなんだろう。
イージス艦が2隻舞鶴港を母港としているらしいが、何か心もとないと考えるのは私だけか?
今回半島有事のことを書いてみたが、現実味はとても高いように思う。
どれほどの避難民が日本に向かうのか、具体的な数字は一応出ているが、あまりに途方もない数字で受け止めようがない。
でも私達には切実な問題だ。
それによって日本が向かう方向も違ってくるだろう。
日本も今までのように海外の人たちにとって住みやすい国とはならないかも知れない。
また、その場合お互いの国民感情もぶつかり合うのだろう。
でもそれは避けては通れない道だ。
今まで私達は感情のぶつかり合いを避け続けてきた。
それが間違いだったのだろう。
感情のぶつかり合いを簡単に差別だヘイトと切り捨ててはいけない。
そこで初めて相互の理解が深まることもあるはずだ。
日本のマスコミの力量もこれから試させられる時期になる。
その時、彼等には本物のジャーナリスト魂を期待したい。