最近感じることがいろいろある。
長年ずっと見つめていたモノの姿、輪郭がハッキリとし、その正体がやっと見えだしと思えることがあって、今更ながら世の中とはこの様な仕組みで成り立っていたのかと思うとやるせないやら、アホらしいやらと感じてしまうのだった。
ただの弱肉強食の社会ならまだ分るが、もっとたちが悪かったりする。
しかし、その一時見えていたモノが幻のように消えてしまうのだ。
あれは一体何だったのだろうと思う間もなく、その姿はあっという間にかき消えてしまった。
その後ろ姿さえ見えなかった。
私は本当に幻の正体を見たのだろうかと自分を疑ってしまった。
尻尾さえも見えなかったし、つかめなかった。
でも匂いのようなモノは感じたのだった。
私のこの感じ、妄想のようなモノを陰謀論というのかも知れないが、だがこれから先、それはただの陰謀論だと簡単に断じられない世界になって行くのは確実だ。
今現実に見えているモノも、これは本物だろうかと疑う時代が確実にやってくる。
そして我々は否応なく誰も彼もその渦の中に巻き込まれていく。
渦の中に巻きこまれないように必死に逃れようとしても、容赦なく時代の波は渦となって私達を飲込んでいく。
それは個人の力では抗えないモノだ。
アメリカやヨーロッパで話題になっているドイツの壮大な歴史ドラマに「バビロン・ベルリン」がある。
ドイツ帝国が第一次世界大戦に敗れ、ワイマール共和国になった頃から始まるドラマだが、正確に歴史検証がなされているから見ていて面白い。
ドイツがワイマール共和国時代(1919年~1933年)に共産党員が意外に多くいて、庶民に共産思想が浸透していたことに驚く。
建国当時の初期、主要な政党は労働者階級を基盤とする左派政党のドイツ社会民主党だった。
左派に対抗する政党として、保守的で民族的な右派政党がドイツ国家人民党であり、この党は帝政復活を目論んでいた。
それとはまた違った方向の民族主義的な右派政党にナチス党があった。
帝国主義だったドイツは第一次大戦に敗れ、ワイマール憲法を旗印に共和国を建国した。
ワイマール憲法は近代の民主主義憲法の典型とされていて、開かれた国民議会を成立しようとしていた。
それなのに共和国はナチス党一色に染まり、政権をヒトラーに渡してしまったのである。
なぜそんなことになったのか?
その検証をサスペンスとスリラーを交え、ドラマの中で歴史の謎を探っていく。
またこのドラマを観ていると、誰もが歴史に抗いながら、大きな力で容赦なくなぎ倒されていく。
何がそうさせているのか、ワイマール共和国国民は先の大戦で負け、もう戦争は懲りたはずだった。
だが、戦の波はひたひたと国民の足元に押し寄せてくる。
国が戦争に向かう時、国は国民に向かってどのように説得するのだろう。
視聴者はワイマール共和国の国民となって、そのような謎に迫っていく。
私には今の中国がワイマール共和国のように思えて仕方ない。
国の根幹が腐り、その腐敗臭が人々の心に闇をもたらし、崩壊していく様が似ているように感じられる。
中国は1949年の建国から紆余曲折いろいろあったが、75年持ちこたえた。
でも今年に入り、経済は急激に悪くなっている。
経済の急成長が人々の心の拠り所だったものが、もう経済には頼れなくなってしまった。
国民は共産党に失望している。
反対に政権中枢や、共産党員の幹部たちはアメリカの影と、国民の蜂起に怯えている。
党はもう美味しそうな人参を国民の鼻面にぶら下げることはできなくなったからだろう。
国民はそれを、今まで期待だけ持たせて欺してきたと怒っている。
共産中華帝国はソビエト連邦のように、西側に負けたのである。
だが中枢の人たちはそれを認めたがらない。
それどころか、自分たちを苛める悪い国は、アメリカや西側の国々と国民に吹聴している。
いゃそう信じこまされているし、また嘘だと分かっていても信じようとしている。
特にアメリカや日本が悪者扱いにされている。
今の中国を作ったのはアメリカと日本だのだが、そのことを中国国民は知っているのだろうか?
中国共産党は何もかも嘘で塗り固め、国の根幹さえ自分たちで欺いて肥え太っている。
もうそんな張りぼての国が発展出来ないのは、誰の眼から見ても明らかである。
遠く離れている日本だからこそ、中国の真の姿が分かるのだろう。
中国国内では若い人も、お年寄りも何もかも諦めるしかない世界になっている。
でもそれは一面だけで、人々の心には大きな不満と不信感が鬱屈している。
中国発信の動画にはそのようなどうしょうもない怒りが充満している。
それは共産党への怒りであり、失望である。
日本やアメリカへの怒りではない。
共産党幹部たちは国民の怒りが自分たちに向かうのが怖い。
何か誘発するモノがあれば大きな力となって爆発する。
中国政府はその不満を削ぐことに必死なようだが、いつまでも公安が人力とお金をかけて人々の不満を抑えることはできない。
その時は近いはずだ。
食べる事ができなければ国民たちは蜂起する。
その時、蜂起した人々はもう何も恐れるモノはないはずだ。
清の時代には太平天国の乱というモノがあったが、その様な乱が、中国国内のあちこちで頻発してきて、共産中華帝国は次第に衰えていくのだろう。
中国政府はそのようなことにならないように、日本の上空や領海にちょっかいを出したり、ネット上で反日本人キャンペーンを張って人々の目を曇らせることに躍起になっている。
またNHKの国際放送ではテロ的なアナウンスがなされたり、靖国神社では放尿事件もあった。
本当にご苦労というしかない。
そのことで中国野郎と憤っている方もいらっしゃるようだ。
確かに日本人として中国人たちの行動は面白くない。
しかし我々日本人は中国の作戦に下手に乗らないようにしたい。
中国はもう自滅寸前のように見える。
それをこちらが、中国の作戦に乗って彼らを助けるのは愚の骨頂だ。
以前、私が古い友人たちと飲んでいる時、ある一人が「安倍さんは私達と同胞のはずなのに」と不満そうな口ぶりで話していたことがあった。
それに対して周りにいた仲間たちは何も言わなかったが、以心伝心で心では通じ合っていたようだった。
私はそれを聞いて、あれ?と思い、聞き間違いなのか?それとも・・・・
発言した友人に問いただしかったが、その先を聞く勇気が私にはなかった。
その後彼の発言がずっと耳に残ることになった。
「安倍さんは私達と同じ・・・」これはどういう意味なのか?
そんな疑問が止めどなく私の頭を駆け巡るのだった。
それ以前に、私は彼等を前にしてオウム真理教の指導者や幹部には、在日の方や帰化された人たちがいると自分の持論を述べたことがあった。
また創価学会にも以外と多いと言ったことがあった。
あの時の私の発言に対して、彼等は何か思うことがあったのかも知れない。
だからあの時、私に聞こえよがしに「安倍さんは私達と同胞のはずなのに」という発言になったのだろうと思う。
一種の私への反発もあったのだろうし、また私があのような発言をするとは思っていなかったのだろう。
確かに古い友人たちの間でも、ややこしい民族的な話題は避けるべきだった。
特に京都ではこの手の話はご法度である。
でもそれよりも「安倍さんは私達と同胞」という言葉に、当時の私はどう反応していいのか分からなかった。
余りに思いも及ばない言葉に反応のしょうがないのだった。
自民党の保守本流の安倍さんである。
それを・・・・
また彼等もという思いも、何処かにあるのだった。
それ以来彼等との付き合いも上手くいかなくなったのだが、これは私の思慮が足りなかったというしかない。
ここで彼等が言った「安倍さんは私達と同胞」は本当だろうかという疑問が浮かぶ。
安倍さんの出身地は山口県だが、京都での在日の方や帰化された人たちには山陰地方に親戚がある人たちが多いように思う。
周防は山陰地方ではないが、古くから帰化人が多く住む処としても知られているからだろう。
この地方には大名となった陶氏や大内氏などがいるが、どちらも半島から渡って来た人たちだと言われている。
大内さんといえば民社党の大内さんを想い出すが、とにかく山口県と言う土地は昔から半島との付き合いがあるということが分かる。
だから安倍さんの父方や、母方の岸さんが、遠い昔、半島から来た人たちであっても不思議なことではない。
しかしその血をもって、安倍さんは我々と同胞と言われても、安倍さんにすればどう答えればいいかきっと困られたことだろう。
我々日本人の多くも同じように、どう反応すればいいか困るだけだ。
ちなみに彼らの安倍さん発言から暫くして、同じような情報がネットを通じて広がりだした。
誰かの悪戯なのか、何か目的を持った悪質なデマなのか?
いずれにしても全くのデマ情報である。
どこをどう調べても安倍晋三さんは日本人である。
それでも知らない人はデマを本当だと信じてしまうこともある。
しかしまた、なぜそのような馬鹿げたデマを流すのか?
日本を混乱させたり、分断させたりするのが目的か?
でも友人達はデマだと思っていなかった。
安倍さんを自分達の同胞だと信じていたのだった。