「風に吹かれて」はボブディランが作詞作曲した曲だが、ピータ・ポール&マリーが1963年歌ったことで広く知られることになった。

それまでのアメリカの文化といえばジャズやプレスリーなどが歌うロカビリーだった。

 

 

日本では平尾昌晃さんや小板一也さんなどがロカビリーやカントリーを歌って活躍していた。

フォークソングはジャズやロカビリーとは全く違う種類の音楽と言っていいだろう。

ロカビリーは享楽的な音楽だし、フォークソングは言葉を大事にするメッセージ色の強い音楽だ。

フォークソングを初めて聞く日本人には、素朴でシンプルなやさしい歌声は親しみを持って受け入れられたはずだ。

これもアメリカの良い一面だし、日本人にすれば新しい文化の波だったのだった。

 

1965年7月にはジョンソン大統領は世論が黒人に同情的だとして、投票権法を議会に提出し、下院、上院で可決され、8月6日に大統領が署名して発行されている。

それまでに投票権はあったが、実際は黒人たちは排除されて投票できずにいた。

1960年代とはまだそんな時代だった。

 

ボブディランは多くのプロテストソングを創作したことで、アメリカの伝統的な歌を新たな誌の表現に作り替え、生み出していったことがノーベル賞を受賞するに値すると評価された。

でも私にはこのボブディランの歌の良さが分からない。

アメリカ特有の宗教的問題や、民族的問題もあり、そこにまた歴史的なこともあるから、私達日本人は苦手でややこしいし、それらを踏まえて理解できて、初めて詩の内容が分かる気がする。

しかし私達日本人には他民族と共存した経験が少ないし、また生活するうえで宗教が大きな位置を占めることはまずない。

それにもまして言葉の問題だし、翻訳の問題もある。

我々日本人が大学で英語を学んでマスターしたとしても、アメリカに長く住んでみないとボブディランの歌の内容の全ては理解できないだろうし、またアメリカといっても広いから何処に住んでいるかでまた感じ方も変わるだろう。

だから私がボブディランの歌の良さを分からないといっても不思議ではない。

私がまず「風に吹かれて」の題名から受けるイメージは、「フーテンの寅さん」である。

また夜汽車であったりする。

そこには旅情がつきまとう。

気の向くまま、風に吹かれるまま旅をするそんなイメージだ。

そこには公民権運動とういう堅苦しい匂いはない。

抒情的で私的な感性に訴えるイメージしか浮かばない。

 

 

この60年代のアメリカはフランスに代わり、インドシナ戦争に直接関わることで次第に泥沼に入っていく。

朝鮮戦争は1950年に始まり53年で休戦になったが、アメリカはフランスに代わり1965年からベトナムとの紛争に参戦することになる。

誰もこの戦争が70年代まで続くとは思っていなかっただろう。

アメリカの武力を持ってすればすぐ簡単に戦争は終わると思っていた。

でも戦争は長引き、アメリカは次第に戦禍の泥沼にハマってゆく。

そんな暗い時代を予兆するプロテストソングが多いのも特徴だ。

ピート・シガーやウディ・ガスリーはそれ以前に朝鮮戦争のときからプロテストソング歌っていた。

アメリカにはフォークソングと共に、プロテストソングがある。

プロテストソングは左派的な公民権運動や反戦運動などの社会運動と結びついた歌らしいが、フォークソングとの違いが私達日本人にはよく分からない。

公民権運動の最大の目的な選挙権と人権である。

先の黒人の参政権と差別の撤廃だろう。

ビリーホリデーは「奇妙な果実」を歌った。

この歌はプロテストソングとして最も有名らしい。

でもビリーホリデーの歌を聴いても、彼女の苦しみや歌の情景はそれほど伝わってこない。

白人による集団リンチで、人間が木に吊るされて殺されることなど想像できないからだ。

調べてみると黒人男性の性器や、黒人女性の妊婦の腹を割いて殺していたというような記述もある。

白人がどれほど残虐かどうかではなく、なぜそれほど酷いことができるのか?

そう思っていても、これはどの民族でも同じようなことをしでかしてしまうのだろう。

そう思うと尚更この歌が耳に入ってこなくなった。

 

プロテストソングとフォークソングは傍から見れば両方複雑に絡み合っている双子にように思える。

どちらにせよこの二つの狭間で活躍していた人たちがいたことは確かだし、歌っている本人たちにすればそんな分類はどうでもいいのだろう。

ピート・シガーの「花はどこに行った」や「天使のハンマー」が「風に吹かれて」と同じ時代にヒットしている。

ジョーン・バエズの「朝陽の当たる家」や「ドナドナ」もヒットし、社会的現象さえ起こしていた。

ちなみにジョーンバエズの「朝陽の当たる家」や「ドナドナ」は1960年に発表している。

ほぼビートルズ結成と同時期ぐらいだろうか?

ビートルズのデビューはその2年後になる。

 

では、日本のプロテストソングと呼べる反戦歌や公民権運動歌とは何だろうと考える。

日本にそもそもそんな歌があったのだろうかと考えるし、日教組の力が今よりもずっと強かった頃のことだし、またそんな教員に教えられ、感化されていた子供たちが成長したとしても、いったい何ができるのかという思いが頭を掠める。

つまり日本にそのような歌を生み出す土壌も人的資源もなかったというのが実情だった。

でもマネごとに近いことをしておられる方は確かにいた。

しかし残念ながらほとんどの人たちの行動は一時的な流行に終わってしまった。

あの頃の歌はフォークだったし、反戦歌、メッセージソングとも言われていた。

ベトナム戦争に反対していたり、70年安保反対だったりした。

しかし誰が本気でそんなことを考えていたか疑問に思う。

きっとあの騒動の原動力はただの熱病、若者特有の不満のはけ口だっとしか思えない。

そのような時に流行した歌が「戦争を知らない子供たち」だった。

北山修さんが作詞し、杉田二郎さんが作曲し、今も歌い継がれている。

良いも悪いもこれが日本のフォークソングの限界だし、代表のように思えるし、それにまた良く知られた反戦歌である。

この歌は中学生の反抗期をモデルにしたような内容だった。

到底大学生をモデルにし、その大学生がまともにモノを考えているようには思えなかった。

またそう感じたのは私だけではなかっただろう。

それでも彼等の親たち、世間はこの歌を受け入れてくれた。

親たちにすれば自分たちが戦争に行った世代だから、自分の子供達にはそんな辛い思いをさせたくないと思ったのだろう。

また子供達と同じ年齢の戦友が眼の前で多く散っていった。

それに比べれば、反抗期だろうと、とぼけた歌を唄っていたとしても、それがどれだけ平和なことか、ただそれだけだけで親たちは良かった。

 

 

あの一時の熱狂に浮かれていたのは、私の年齢よりも一世代上の人たちだった。

そこでプロテストソングに近いモノといえば、まず思い浮ぶのは関西フォークの岡林信康さんや遠藤賢司さん、高田渡さんたちの歌だ。

この人たちの行動はそれこそマネごとではなく本気だった。

自分たちはマネごとではないときっぱり仰るだろう。

私もそう思う。

厳しい現実を前にした時でも、自分の生き方を変えられなかった。

多くの人たちが現実に即した生き方をしていたのに、自分の大事なモノを曲げなかった。

やっぱり本物だったのだろう。

確か岡林信康さんは電車の中でも見たし、私の住んでいる町の近辺におられると聞いたことがある。

 

他にもたくさんの方達がおられると思うが、残念ながら多くの方々はプロテストソングやメッセージソングの枠をしだいに外れ、多くは歌謡曲化してしまった。

別に歌謡曲を見下している訳ではない。

どちらでもない中途半端なフォークソングが増えてしまったのが、何とも無残に見えてしまっただけだった。

 

なぜこうなったと言えばやはり日本にはアメリカのような厳しい現実がなかったからだろう。

彼等が差別された人たちを歌にしょうとしても、現実的にはもうその様な差別は日本にはほとんど残ってなかった。

だからすぐにネタが尽きてしまったと考えるしかない。

 

 

ここで日本のブルースの女王のことを少し書きたい。

淡谷のり子さんではない。

浅川マキさんだ。

浅川マキさんは石川県のとある町役場で年金の窓口業務をしていた。

その彼女が、黒づくめの服装で、さも横須賀のアメリカ兵を相手に春を売る娼婦のように、騙した男のことを未練いっぱいに唄っていた。

しかし実際の浅川マキさんは田舎者であり、恋愛経験もそう多くはなかったのではないかと思うが・・・・・・

それがどうだろう。

いかにも多くの男と経験があり、苦労したように唄っている。

まぁ歌手の多くは経験のないことでも、さもあったように唄うのが歌手なのだが、でもあまりかけ離れてしまっては困るのだ。

それでもブルースらしいムードがあり好きな歌手だった。

 

日本のブルースといえばやはり大阪が本場だ。

それもボロであり、憂歌団だろう。

大阪の下町にはブルースが似合う、それもアメリカの本物のブルースでもとても合うから不思議だ。

そこの土地で地面から湧き出てくるような、そんな地霊のような魂を唄わなければ本当のブルースとは言えない。

ではビリーホリデーの「奇妙な果実」のような歌が日本人に唄えるのか?

またそんな魂の曲があるのか?

きっと唄えるだろうと私は思うし、日本にも良い曲はある。

日本で「奇妙な果実」に匹敵する曲はなんだろうと聞かれれば、私は迷わずに「釜ヶ崎人情」と答えるだろう。

これ以上の曲はない。

また浪曲師が良い味で唄っている。

日本のブルースはこのような歌ではないだろうかと考えるしかない。

この前亡くなった桂ざこばさんが、とても良い味を出して唄っておられたそうだが、それが聞けなかったのが本当に残念だ。