どうでもいいことは割と多い。

どうでもいいことだから、べつに問題とはせずにそのまま気に留めずに忘れてしまうことが多いが、それでも忘れずに残っていることもある。

いや、忘れずに残っていると言っても、その様な記憶はいつのまにか飛んでいく、

ほとんどのモノは記憶の片隅にもない。

そしてまた同じような状況になれば想い出すのだ。

その繰り返しだ。

だからどうでもいいことなのだろう。

記憶の欠片といっていい程度のモノだ。

とりわけ問題にして、これはどうすればいいのだろうと誰かに聞くような事でもない。

ひとり心の中でぶつぶつと念仏のように唱えるもののようにも思える。

こう書くと何がと気にされる方もいるかと思うが、そのように思われると尚更書きにくい。

 

 

それでもどうでもいいことを一つ二つ想い出して書いてみれば、最近やたらトヨタハイエースが多くなってきていることに気付く。

ワンボックスカーはマツダのボンゴに始まって、ホンダのステップバン人気から未だ人気の衰えはない。

しかし今までのワンボックスカーを駆逐するように、トヨタのハイエースがやたら眼につく。

誰か俳優がドラマの中でハイエースを使用したしたことで、人気に火がついたのだろうか?

日産のエルグランドやトヨタのアルファードの、ごつい銀歯だらけの様な下品な顔よりもよほど真面である。

やっとそこに気がついたのかという気もするが・・・・・

でもハイエースは商用車的な感じもするが、華美な感じでなく使いやすくていいのだろう。

 

ベンツは高級車の代名詞のような車だが、最近はSクラスやSL、E、Cクラスシリーズではなく、Gクラスが人気があり良く売れているらしい。

安いモノでも1500万円以上、高いモノで3000万円以上もする超高額な車だが、あちこちでよく見かけるようになった。

しかし乗り心地はカローラなどの300万クラスの車に負けるらしい。

硬くトラックのように長時間乗れる車でなないようだ。

またハンドルの遊びの余裕がとてもあり、扱いに注意が必要だという。

自然にハンドルが中心に戻ってくれるわけではない。

荒れ地を走る準軍用車的な車として作られているという触れ込みらしいのだが?

しかし実際は良く壊れるし、修理費はとても高額になる。

一方、トヨタのランクルをそのまま軍用車に使っている国は多くある。

軍用車的な車ではない、本物の軍用車になる車だ。

修理はその辺の町の車屋さんでもできるし、部品もどこにでもある部品で治しやすく高額ではない。

お金持ちは何が悲しくて高額なお金を払って、胃下垂になるような車に乗りたいのだろう。

これは貧乏人の僻みか?

 

ユニクロは今や日本の人民服のような存在である。

誰もがユニクロの服を何着かもっているだろう。

それによって日本のアパレル産業は一強多弱になってしまったし、洋服を着てお洒落をしたいという気持ちが薄れてしまったように思う。

ユニクロによって、高級品と普及品の壁は壊されてしまったのだろう。

以前はお金がある人の服装やブランド、それに店舗に憧れを覚えていたが、今はそのような憧れは無くなりつつあり、それよりも選んだ服が自分に合うかどうか、それにあうスタイルを維持したいという気持だ。

普及品でもいいから無理をしないで自分にあった服を選びたいのだろう。

でもあまりに服装の序列が横並びになったせいか、どこかに違いを見せたいのだろうか、アウトドア用品で有名なノースフェイスのブランドのモノを着ている人が何時頃か多くなってきだした。

ユニクロよりも高額だといっても、手が出せないほどの値付けではない。

ゴアテックスはまだそれなりの値段だが、それ以外なら誰でも買える商品になる。

それに商品にブランド名が大きく胸や腕に縫い付けられたり、プリントしてあるのが良かったのだろう。

お手頃価格でもそれなりの優越感を購入者に与えてくれる。

ノースフェイスを一人が着だすと、それを見た人も私も、またそれを見た人も私もと着だして、周りも見たら皆同じものを着ているような状況に今はなっている。

もうノースフェイスのモノを身に着けているのがちょっと恥ずかしいような今日この頃になってしまった。

 

 ミュージカルは現在の日本ではもう受け入れられているが、以前ではそうでもなかった。

ミュージカル映画を観て「なぜいきなり歌い踊りだすのか」、それが理解できないと

いう人は多くいた。

確かに今まで泣いたり、笑っていた人物がいきなり急に歌い踊ることに戸惑いを感じる人たちは多く、私もその一人で、大げさな振り付けや表情、歌声に照れというか、恥ずかしさえ感じたモノだった。

「シェルブールの雨傘」を初めて観た時にはえっと思った。

 

 

「何これ」あまりの突然の主人公の歌声に不自然さを感じ驚くしかなかった。

ミシェル・ルグランの有名なミュージカル映画なのだが、ハリウッド産ミュージカル映画に少し慣れてきた私には、フランス産ミュージカル映画はまだ奇異に見えたのだった。

それでも観ているうちに不自然さに次第に慣れてきたのか、フランス語の響きがとても素敵に、気持ちよく思えてきたのだから人間の耳とはいい加減というか、不思議なものである。

ミュージカル映画は観る方が照れてはどうしょもない。

そういう人たちをどう照れさせずに映画の中に引き込むなのだが、そういった映画はそうはない。

両手の指で充分なほどしかない。

では映画だけではなく、劇場でミュージカル鑑賞はどうなのか?

劇場に行けばチケット代に見合うだけの感動を得られるのか、それともガッカリするだけか?

それを思うとなかなか行く気にもならない。

 

劇団四季だけでなく、宝塚歌劇はそういえば歴史あるミュージカル劇団なのだった。

日本人はミュージカルにまだまだ馴染んでないというが、宝塚は100年以上もの歴史のある歌劇団だから、それに相応しいノウハウなり知見を持っているはずだ。

宝塚の劇場に行ったことはないが、それでも時々劇場中継などで宝塚がどのように変化してきているのか期待して見たりするのだが、以前と何も変わっていない。

関西では昔から宝塚の舞台を中継する番組があった。

その時から少しも変わっていない。

越路吹雪さんのシャンソンは確かに良かったが、その他の人たちの歌やダンスが宝塚以外の劇場で通用していたかと言えば疑問だ。

100年以上ミュージカルもどきを観客に見せていながら、本物のミュージカルスター、それも世界に通用する人材を育てられなかったというのはどういうことだろう。

一部の女性には夢の国かも知れないが、他のミュージカルの舞台で通用する人材を育てなければもう宝塚も尻すぼみになっていくしかない。

 

今回もまた他に用意していたブログとは別のモノになった。

私のブログははっきりとした決まりがあるわけではなく、気ままに自由にその時、その時にどうでもいいことを書かせてもらっている。

前回の「ヨイトマケの唄」は数字が思いのほか伸びた。

なぜだろう?

どうでもいいことではなかかったからだろうか?

でも私はどうでもいいことばかりを書かせてもらいたいのだが・・・・・