NHKの池田伸子アナウンサーと中山果奈アナウンサーがいい。
何がいいって、それはきっと自分自身と、また周りと戦っている姿勢がいいのだろう。
人間は生きている以上常に様々なモノと戦っている。
それは一つや二つではない。
世間の谷間の陰で細々と生きている私のようなモノでも、複数のモノと戦っているのだから、彼女らはさぞや数えきれない敵と戦っているのだろう。
でもその戦っている姿勢が凛として美しいのだ。
お二人の若い時にはテレビの画面で何回かお見かけしたように思う。
その時は別にこれといった印象はなく、ただ育ちのいいお嬢さんといった感じだった。
こんなことを書くと、お二人のファンの方々にお叱りをうけそうだが、民放の放送局の女子アナウンサーの人達と比べるとやはり印象は薄いように感じていた。
では印象に残るとは何だろう。
心に残るということなのだろうか?
自分で書いておきながら何だろうもないのだが・・・・・
印象の強い弱いもそういった意味を含めている。
私達男性が女性を見て印象に残るということは、二つの意味がある。
悪い意味か、いい意味かのどちらかだ。
これは女性が男性を見ても同じような反応を示すだろう。
良い意味の場合は綺麗な容姿がほとんどを占めるかも知れない。
後は清潔感があるとか、可愛げがあるとか、品がありそうとか、そのようなところだろう。
最近は容姿のことなど触れてはいけないらしいが、それとは反対にクルマのフルモデルチェンジまたはマイナーチェンジのように顔の造作を変える人たちが多い。
そんなことをするのは芸能人だけだと思っていたが、今は素人の人たちもイメチェンするには驚く。
時々、名前は同じでも以前の顔と造作が余りにも違う芸能人がいるから、そのことをどう受け止めたらいいか見ている方が戸惑ってしまうほどだ。
これではもう百面相である。
最近は芸能人も素人の方たちも、見てくれに過敏なっているということだろう。
それもこれも車のモデルチェンジのように簡単にイメチェンできるような時代になったからかも知れない。
経済アナリストという肩書の女性がいらっしる。
情報番組でよくお見かけする方だ。
このお人、お顔をイメチェンなさっている。
はっきり分かる全面的なフルモデルチェンジのようにも見える。
それが悪いといっているのではない。
彼女はそこまでしてもテレビの画面に出たい方なのだろう。
いくら能力があっても、テレビや新聞、雑誌で取り上げてもらわなくては、自分の力を出せないと思っているのかも知れない。
それにはまず顔をイメチェンして、美人経済アナリストの肩書でデビューをすることを考えた。
芸能人は昔からデビューする前に大抵はどこか整形しているから、経済アナリストという肩書を持っている女性が整形してもおかしくはない。
またそういう時代にもなっているのだ。
綺麗なモノは見ていて気持ちがいい。
車も家も家電も、家具や街並みもすべて綺麗な方がいい。
そこには我々人間も入るだろう。
最近のテレビ画面は大きい。
実物の顔の大きさよりも何倍にもなって映る。
綺麗な顔も、そうでない顔も、何倍にもなってお茶の間に入る。
できれば私達は綺麗な顔だけを選んで見たいはずだ。
だから顔をイメチェンすることについて誰も文句はいえないし、誰もが心の奥底でイメチェン願望を持っているのだろう。
これから私達は今まで見たこともない時代、世界に入ろうとしているのかも知れない。
家の中を北欧の家具や電化製品で小奇麗にしても、お笑い番組で吉本の芸人の大きな顔がいきなり出てきたら、昔の安アパートに友人が訪ねてきたような気持になってしまう。
お笑い芸人さんが面白いのなら別だが、そうでもないアンちゃん風な方々が多く出ている。
だから、せめてテレビぐらいは綺麗な顔だけを見たいと思う人たちがいるのも事実だろう。
そのせいかどうか分からないが、吉本のお笑い番組の視聴率が落ちているのが分かる気もする。
それだけ映像の力は強いともいえるし、美醜に敏感になっているともいえるのだろう。
これは男性だけでなく、女性も男性の綺麗な顔を見たい。
また大人だけでなく、子供も大人とかわらず綺麗な顔を見たいのは同じだ。
綺麗な顔をみているだけで心が潤う場合もあるし、元気にもなる。
綺麗なモノはそれだけの力があることは確かである。
だから親からもらった顔をイメチェンしてでも、世の中に出たかった経済アナリストの女性の気持ちも分かる。
彼女にはそれだけの覚悟があったから、世間は彼女を受け入れたのかも知れない。
前置きがながくなってしまったが、池田伸子アナと中山果奈アナのことをまた書きたい。
お二人とも先にも書いたが以前と印象が違っていた。
どう違っていたかというと、以前は印象が薄かった。
印象が薄いということはどういう意味かも書いた。
つまりお二人とも育ちのいいお嬢さんという印象はあったが、それ以上のモノではなく、華もなかったように感じた。
でも、華というモノは生まれた時からその人に備わったものだから、これだけはどうしょうもない。
華を自分で創ろうとあがいても、それはまず無理なことだろう。
だからお顔をいじってイメチェンをしたくなるのだろう。
しかし彼女らはイメチェンをしなくても、華以上のモノか、それと同等のモノを数年かけて手に入れたように私には見えた。
池田伸子さんも、中山果奈さんもNHKでニュース番組を担当されている。
池田伸子さんは正午にニュースや午後7時のニュースを担当されていた。
現在は大型報道番組「午後LIVEニュースーン」の平日メインキャスターをされている。
中山果奈さんは正午のニュースの平日月ー木曜日までの担当をされている。
お二人ともNHKの顔ともいえるニュース番組の顔として活躍されている。
彼女らがバラエティー的情報番組を担当していた時には、全くといっていいほど魅力を感じていなかった。
でも最近ニュース番組を担当している彼女らの姿を見た時、とても綺麗だと思った。
お世辞でも何でもなく、華がなかった彼女らが、ある程度の年月を経て、綺麗になるなど誰が想像できただろう。
こう考えると人間の美醜とは何だろうと考えてしまう。
つまり、人間の美醜は顔の造作だけではないということだろう。
彼女らの精神、心が華以上のモノを創りだしたともいえる。
彼女らは一人でカメラを見つめて頑張っている。
それもあるだろう。
一人でカメラを見つめているのはとても緊張するし、疲れるだろう。
昔、カメラを見つめると魂が奪われるといっていたが、今もそれによく似た感じを受けている人たちはいるかも知れない。
芸能人は魂というよりも、自分たちの生気を吸い取る凶器のように、カメラを見ているかも知れない。
調子の良い時にカメラを向けられると楽しいだろうけど、調子の落ちたこんだ時には本当に辛いだろうと思う。
ニュースの原稿を読む女性アナウンサーはそこまでの苦労はないだろうけど、カメラへの恐怖心は変わらないはずだ。
原稿を読み間違えないだろうかという恐怖心はずっとあるだろうし、緊張してお腹のぐわいが悪くなる時もあるだろう。
またカメラにずっと見つめられると、自分の内面迄見つめられているような気持もして、何から何まで世間に晒しているような心持に達する場合もあるだろう。
きっと彼女たちは、ニュース原稿を読むとき、世間の何百万人たちと一人で対峙している心持何だろう。
孤独で恐怖心も並大抵ではないはずだ。
でも彼女たちはその恐怖心と立ち向かうように、真っすぐにカメラを見つめる。
これは原稿がプロンプターというカメラのレンズと一体になっているモノに映っているからだが、それでも凛とした向き合い方が品があっていい。
彼女たちの眼差しが、そのままこれまでの生き方までを映しているように見えるかのようだ。
私のような吃音の症状を持つ人間には、彼女たちの何者にも負けないと言う姿勢に強く惹かれるし、また憧れるもする。
お二人ともこの前まで、正午のニュースを担当されていたのだが、スギ花粉のせいなのかどうか分からないが、目元が池田伸子さん、中山果奈さん、お二人とも充血しているかのように赤かった。
それがまた良かった。
瞳もウルウルと潤って何とも艶っぽかった。
こう書くと何か、女子マラソン・ランナーの苦しむ顔を好んでいた小沢昭一さんのようになってしまうが、私もいよいよそのような境地に達してしまったのかと、つい感慨深げになってしまう。
では他の女子アナの人たちはどうなのだろう。
私はテレビ東京のWBSが好きで良く観ていた。
そこには大江麻理子さんや佐々木明子さんら女子アナウンサーが出ていた。
彼女らは他の民放のように変な色がなく、見ていて安心できる人たちだった。
地味だが政治色が薄く良い番組で好きだったが、4月から変わってしまった。
それも悪い方に変わってしまった。
テレビ朝日には大下容子「ワイド・スクランブル」と言う番組がある。
私はタイムシフトで録画しているのでよく見ている番組だ。
大下容子さんの服装のセンスはとてもいいので毎日楽しみにしている。
またニュースを担当している、林美沙希さんがいい。
この人は華があるのだろう。
容姿も魅力的だ。
それに声もアナウンサーとして聞きやすくて私は好きだ。
でも池田伸子アナも、中山果奈アナも林美沙希さんに魅力では負けていない。
また容姿としての創りは林美沙希さんの方が整っているかもしれないが、見た感じでは同じように甲乙つけがたい。
池田伸子アナも、中山果奈アナも、また林美沙希アナもそれぞれ魅力的だ。
男性と同じように、女性も何かに立ち向かっている時は、綺麗になるのだろう。
ということは何も顔をいじってイメチェンすることはないのかも知れない。
彼女らのように心を磨くことで綺麗に魅力的になれるからだ。