状況劇場と天井桟敷に在籍していた役者たちと書いてはみたが、私は紅テントと言われていた状況劇場も、天井桟敷もこの眼で舞台を一度も観たことはない。
彼等が活躍していた時期と、私がアングラと言われていた芝居に興味を持った時期とがズレていたことと、私が地方に住んでいたこともあって観れずじまいに終わってしまった。
また年代が少し違っていたこともあるのだと思う。
それでもつかこうへいさんの芝居は偶然観たことがあった。
田舎者の私にとってこれは衝撃だった。
芝居といえば歌舞伎を少し観たことと、後は祖母と丹波途方に回ってくる人形浄瑠璃を観たことと、毛利菊枝さんが出ておられる演劇ぐらいしかなかったからだ。
風間杜夫さんと平田満さんの掛け合いが、かみ合っているようで、かみ合っていないのだが、それが何ともスリリングで面白かった。
役者のたちのセリフだけでこれほど濃密な世界が作れるのかと、田舎者の私はそれだけで衝撃だった。
日本の演劇には猿楽や能、歌舞伎いろいろあると思うが、近代になって歌舞伎を古く思ったのか、川上音二郎が旧劇(歌舞伎)対し新派劇を作っている。
新劇は従来の歌舞伎、新派から離れて、ヨーロッパの近代理念と演劇手法を取り入れたらしい。
だがあの頃の新劇は政治的な活動をしていた役者が多いらしい。
民藝も思想闘争的なところもあったようで、民藝にいた米倉斉加年さんら同期生20人が「劇団青年芸術劇場」を結成する。
その劇団青芸はさらに活発な政治活動をしていた劇団だった。
その青芸の研究生に唐十郎さんがいたというから驚く。
まさか唐十郎さんがと思ったが、これも若気の至りだったのだろう。
後でも書いているが、唐十郎さんの書物が「前進社」で売られていたことを考えるとそうだったとも考えるし、またあの時代はそもそも誰もが左巻きだったともいえる。
アングラ劇団が発生した切っ掛けも、既存のお説教を垂れるような古臭い演劇を潰したかったからだろう。
それには右も左もないはずだ。
演劇はもともと如何わしいものだから、明るい昼よりも夜がふさわしい。
それも立派な劇場よりも筵がけかテントがいい。
だからいつまでも演劇は夢まぼろしであってほしい。
地方に住んでいても状況劇場と唐十郎さんの名前はだけは知っていた。
1963年に「シチュエーションの会」と言う名前で旗揚げしたが、1964年に「状況劇場」と劇団の名前を改めている。
これはやはりあまりに名前がダサイと思ったためだろうか?
この時期李麗仙さんともに金粉ショーをしながらキャバレーを巡り、芝居の資金や紅テントの購入費用を調達していたというから、観客は多く入っても劇団は火の車だったのだろう。
以前働いていた会社の近くに「前進社」があって、そこに唐さんが書かれている小冊子擬きの本があり、私はそれを買い求めたのだが、これもまた衝撃だった。
イラストも素晴らしいが、そこに書かれているエッセイなのか散文なのか誌なのか?
これらもとても魅力的だった。
しかしこの本を人に貸したのはいいが、貸したまま帰ってこなかった。
それを未だに悔やんでいる。
これと思った本は絶対に貸してはいけないということだろう。
状況劇場出身の役者さんは多くいる。
四谷シモン、麿赤兒、大久保鷹、不破万作、李麗仙、根津甚八、小林薫、佐野四郎、渡辺いっけい、六平直政などの皆さんだ。
どの俳優さんも一癖二癖あり、魅力満点だ。
私は根津甚八さんの映画「任侠外伝・玄界灘」を以前観たことあるが、根津甚八さんだけが記憶に残っている。
他に安藤昇さんや宍戸錠さんが出ていたが、それらの人たちが霞んで見えていた。
根津さんのあの魅力たっぷりな佇まいは何だろうと思ったほどだった。
そんじょそころの役者の色気ではなかったのだろう。
残念ながら後半生は不幸が重なり、そのまま亡くなってしまったが、本当にすばらしい役者さんだった。
四谷シモンさんは役者としてもそうだが、人形作家としても有名な方だ。
小林薫さんは朝ドラで最近よく見るようになった。
以前は「深夜食堂」でお馴染みになっていた人である。
小林薫さんが劇団を退団すると決めた時、唐さんは小林さんが住むアパートに包丁持参で説得に行ったそうだが、小林さんはいち早く逃げ出していたそうで、その後うやむやのうちに退団を認めたという。
小林さんは京都市出身だとは知らなかった。
また先妻は女優の中村久美さんだったらしい。
「深夜食堂」には同じ劇団の不破万作さんも出ておられ、ひょうひょうとした良い味を出しておられる。
佐野四郎さんといえば、ドラマ「ずっとあなたが好きだった」で冬彦さん役が評判になったことがあったが、あのキレ方は印象が強かった。
渡辺いっけいさんも癖がないようで印象に残る良い役者さんだ。
麿赤兒さん、大久保鷹さん、六平直政さんらすべてが素晴らしい役者さんだ。
これらの役者を育てた状況劇場とは何だったのだろうと考えてしまう。
若く才能のある役者さんは、唐さんの強い磁石のような磁力に惹きつけられるのだろうか?
唐十郎という人は、きっとそれだけの力と魅力のある人なんだろう。
天井桟敷は寺山修司さんが中心に1967年に結成した劇団である。
天井桟敷という劇団名はマルセル・カルネのフランス映画「天井桟敷の人々」に由来するそうだ。
「天井桟敷」の劇団員は設立から長期間個性的な退学者や家出者が大半を占めるという異色な劇団だったようだ。
劇団員は九条英子、東由多加、横尾忠則、松田英子、萩原朔美、カルメンマキ、三上博史さんなどがいた。
東由多加さんは和製ロックミュージカル、「東京キッドブラザース」の設立した人である。
東京キッドブラザースには柴田恭兵さんや三浦浩一さん、後に三浦さんと結婚する純アリスさんらがいた。
松田英子さんは1976年大島渚さんの映画「愛のコリーダ」に阿部定役で主演した女優さんである。
松田さんはその後東映の映画や日活ロマンポルノ、フランス映画に出ていたが、2011年3月9日58歳で亡くなっている。
カルメンマキさんは「時には母のない子のように」や「山羊にひかれて」などで歌手として知られている。
二つの曲とも寺山修司さんの作詞である。
私は「山羊にひかれて」が好きだったな~
萩原朔美さんは詩人、萩原朔太郎さんのお孫さんで、後に多摩美術大学の教授になっている。
九条英子さんは松竹の女優さんで後に寺山修司さんと結婚し舞台の制作や映画の製作に携わる。
寺山修司さんと離婚されたあとも、右腕的存在だったようである。
横尾忠則さんは世界的に有名なイラストレーターであり、画家である。
ここに美輪明宏さんの役者としての地位を上げたといわれる「毛皮のマリー」の主演があるのだが、美輪さんは劇団員ではなかったということだろう。
三上博史さんは最近テレビなどでは見ていないが、舞台では活躍されているらしい。根津甚八さんと似た感じで、独特のムードを持っておられ、その感受性の豊かさと強さにぐぐっと引かれてしまう良い役者さんだ。
とにかく「状況劇場」の役者さんと、天井桟敷の役者さんはとにかく幅広くて多種多彩だ。
日本の若者文化の歴史がそのままわかるようだ。
この時代にこの人たちの舞台での活躍を観られた人は本当に幸運だと思うし、また羨ましい。
この時代、今と違ってイラストレーターがもてはやされていた。
イラストは、一方の若者文化の代表といっていいだろう。
状況劇場のポスターを描いていた人たちには金子國義、クマさんこと篠原勝之、中原淳一、赤瀬川源平さんらである。
天井桟敷のポスターは横尾忠則、升たかさんたちであった。
横尾忠則さんは天井桟敷を退団後、状況劇場のポスターも描いている。
イラストレーターにとって天井桟敷や状況劇場のポスターを描くことがステータスだったのかも知れない。
☆ここにあげたポスターは篠原勝之さんが状況劇場のために描いたモノであるが、今見ても古さなど微塵もなく、技術、感覚など、どれをとっても素晴らしい作品であることに疑いはない。