鳥山明さんが3月1日に亡くなられた。
68歳だった。
まだまだこれから新しい作品を描くことができたはずだった。
それを思うと残念でならない。
私は鳥山明さんの漫画を始めて知ったのはテレビのアニメである。
もちろん「ドラゴンボール」や「dr.スランプ アラレちゃん」だった。
特に「dr.スランプ アラレちゃん」のキャラクターはバラエティに富んでいた。
その中でもスッパマン存在は秀逸だった。
スッパマンは空を飛ぶこともできるのに、普段は腹這いでスケートボードに乗っている。
このとぼけ方は何だろうと思った。
スーパーマンはかっこいいことが善であり、正義であるはずだった。
その正義と善がアニメの中でコケにされて笑われている。
私は正直このことをどう理解していいか分からなかった。
スーパーマンは紛れもない本物のアメリカンヒーローだ。
そのヒーロー像を、鳥山明さんはいとも簡単に打ち砕いていた。
誰も勝てないだろう思っていたアメリカの象徴を、漫画でバッサリと切り捨ててしまった。
アメリカ人にすれば、スーパーマンは侵さざるべきヒーロー、一種神聖な神ともいうべき存在だったと思う。
日本人にすれば、手塚治虫さんの鉄腕アトムのような存在だ。
そのような絶対的神のようなスーパーマンを、鳥山明さんは神の存在から、すっとぼけた人間にしてしまった。
鳥山明さんも私達と同じようにアメリカや、スーパーマンに何か思うことがあったのかも知れない。
私にも少し分かるような気するが、それより何よりスーパーマンをパロディ化するなど誰もできなかっただろうし、そのような発想力もなかった。
私はそのことに驚いた。
スッパマンはスーパーマンのように正義の味方ではなく、性格もナルシストで独善的で、見方を裏切る卑劣な面を持ち合わせている。
かなり私達に近い、等身大のキャラでもある。
私はこの憎めないキャラクター、スッパマンに親近感を覚えた。
またこのようなキャラクターを作り出せる鳥山明さんとはどの様な人物かと羨ましく思った。
漫画家の人たちは何時間机に前にしがみ付いて仕事をしているのだろう。
仕事は違うが、私も一日の殆どを机の前で過ごしていた時期がある。
その期間には、土曜日も日曜日もなかったような気がする。
それが10年以上続いた。
夕飯は10時を回ることはざらだった。
だから見たいテレビ番組はビデオに録って見ていた。
でも、それが時が辛いと思ったことはあまりない。
誰でも興に乗ると、時間を忘れてしまうことがあるだろう。
今は時間を忘れて仕事をすることもなくなってしまったが、人生にはそのような無茶ともいえる時間があってもいいのかも知れない。
自宅で仕事はしていれば気持ちの切り替えが必要な時がある。
そのような時は運動を兼ねて、自転車で遠くの山道を走ったり、散歩をすることにしていた。
散歩だけは今も続けている。
今では漫画家も椅子に座ることが多いと思うが、私はこの前まで正座をして仕事をしていたので、足の血流を良くするためにも散歩は欠かせなかった。
今も正座の方が気持ちが入って仕事をするにはいいのだが、さすがに今は長い時間正座をするのは辛くなってきた。
傍から見れば、私は呑気そうに散歩していると思われていたようで、またそんなことも言われたりしていた。
本当はそんなことないのだが、傍からみれば呑気そうに散歩しているように見えたのだろう。
漫画家の人たちは気持ちの切り替えをどうしているのだろう。
漫画家や小説家の中には、自宅から仕事場を別に移して、自宅から仕事場に通っている人がいる。
わざわざ何でそのようなことをするのだろうと思うのだが、その方が短期間に集中できて仕事が捗るのだろうし、気持ちの切り替えも簡単にできるのだと思う。
バスに乗ったり、電車に乗るのもいいし、帰りがけに居酒屋で一杯やるのも悪くはない。
また電車などの移動中に、世の中の移り変わりを直に感じることができるメリットもある。
私もそれには魅力を感じる。
漫画家は編集者と打ち合わせを行うと思うが、そのような時も自宅よりも仕事場や、近くの喫茶店がお互い気楽ではないかと考えたりもする。
出費も嵩むと思うが、仕事場を別に持つことは、案外プラスの面が多いのかも知れない。
人気漫画家の人たちは締め切りに追われて辛いこともあるだろうけど、それよりも自分の書いた物語の中に没入できるから、楽しいことの方が多いのだろう。
自分が物語の創造主になれるからだ。
仕事は難しいし、辛いことも多いだろうけど、これほど面白い仕事はないと思う。
私もモノを創る仕事をしているから、少しは分かる気がする。
一からモノを産みだす喜びがあるからだろう。
漫画家が過ごしている時間の半分は、自分が産み出した世界で過ごしているような気がする。
人生の半分近くは違う世界に暮らしているというのが面白いし、羨ましい。
まるで「不思議の国のアリス」のようだ。
でも「不思議の国のアリス」と違うのは、自分が能動的に産み出した不思議の国ということである。
アリスのように知らぬ間に、自分の心の国に迷い込んだわけではない。
漫画家が自分で作った不思議の国だから、楽しくてしかたないのだろう。
漫画家は、自分の思い描いたキャラクターを次々生み出すことができるし、キャラクターの人物像や、細かい性格までもが自分で創りだせることができる。
それこそ創造主でなくて何だろうかと思う。
漫画家は持って生まれた才能がないとできない仕事だろう。
中卒であろうが大卒であろうが、学歴は全く関係ない。
持って生まれた才能だけだ。
才能のある人はすぐに芽が出る。
学閥や師弟関係も関係ない。
訳の分からぬ、世話になってもおらぬ人たちに、小判の入った菓子折りを持って回ることもない。
漫画家の世界は何と風通しのよい世界かと思い羨ましい。
それも才能を評価してくれるのが、読者だからいっそう分かりやすくていい。
しかし漫画家になって食べていくには、医者や弁護士になるよりも難しい、またなったからと言って、ずっと漫画家でいられる保証はない。
それこそ根無しぐさ、浮き草稼業である。
才能に恵まれた人は巨万の富を得るが、そうではない人は花火のようにぱっと消えて、その後何処に行ってしまったか分からなくなる人もいるだろう。
これほど光と影がハッキリしている業界もない。
残酷といえば残酷な世界だ。
でも好きで入っている世界だから仕方ない。
どこの世界も能力がなければ、その場から去っていかなければならない。
今や日本の漫画は世界を相手に戦っている。
以前までサブカルチャーと言われていた漫画だが、今や正統的文化にまで成長している。
発信力、影響力は小説や映画、また絵画、音楽など比べても、もう問題にならないほど大きくなっている。
日本の文壇や、画壇が狭い世界で燻っているのとはワケが違う。
手塚治虫さんの漫画で育った人たちが、日本を現在の漫画王国に押し上げた。
もちろん鳥山明さんもその一人だ。
私は高橋留美子さんの「うる星やつら」と、相原コージさんの「かってにシロクマ」が好きだった。
他にもいっぱい好きな漫画家さんはおられる。
はるき悦巳さんの「じゃりン子チエ」もそうだ。
ホント、いろいろバラエティに富んだ漫画家さんがいて、日本の漫画の幅の広さ、すそ野の広さが分かる。
またどのような漫画でも受け入れる読者側の許容量も凄い。
やはりこれは日本の文化水準の高さからくるもので、他の国ではマネができないモノかも知れない。
では、なぜこれだけ早く大きく、日本の漫画は発展してこられたのだろうか?
やはり手塚治虫さんが医師という肩書を持った漫画家だったからと思うしかない。
手塚治虫さんがただの漫画家だったら、少年漫画がここまで早く、広く世の中に認められることはなかっただろう。
そのことを考えると、漫画の認知度にしてもまた違ったモノになっているだろうし、また世界中を巻き込むような発展を遂げていたかどうかも分からない気もする。
傍から見れば、医師資格があるのに、それをなげうって迄、漫画家になる手塚治虫さんを世間は最初奇異の眼で見ていただろう。
しかし、手塚治虫さんが次々と名作を世に出すと、漫画家という職業が医師の仕事と同じように価値の有る仕事と、世間が認めてくれたのかも知れない。
手塚治虫さんが天才であることは誰も認めるだろう。
でもいくら天才でも世間の常識、価値観を変えることはなかなか難しい。
しかし、手塚治虫さんが医師免許を持っていたことは、世間の常識を変えることにとても役立った。
そのことにより漫画家という職業の偏見もなくなっただろうし、漫画家の価値を底上げしたことも確実だし、また彼らの生み出す漫画の世界が認められることに一役も二役も役立ったことは確かだろうと思う。
あまり知られていないが、手塚治虫さんの祖父は司法官で、関西大学の創立者の一人であった。
曾祖父は適塾に学んだ蘭方医で、江戸のお玉が池種痘所、「現・東京大学医学部の前身」を設立した一人でもあるらしい。
名家ともいえる家柄の出である手塚治虫さんが、まだ子供ともいえる若い青年たちと共に、おんぼろアパートを出発点とし、漫画で世の中を変えていったのは歴史的出来事だったといっていいのだろう。
漫画家は、画家と小説家と映画監督が合わさったような類まれな才能がなければなれない。
そんな難しいことを行うことができるのが本当の漫画家であるのだろう。
でも、どうしたらそのような能力が備わるか知りたいモノだ。
それほど難しい世界なのに、才能がある漫画家が間を置かずに次から次へと出てきている。
その天才たちは富と名声を与えられている。
鳥山明さんなどは好きなモノは何でも買えただろう。
芸能人がお金を稼いでいるといっても、桁が一つや二つ違うはずだ。
でも漫画家たちはお金だけで漫画を描いている訳ではない。
私みたいな人間は、少しお金が入るともういいだろうと怠けてしまうが、この人たちは違うようだ。
後から後から泉のように描きたい漫画の構想が湧き上がってくる。
だからいつまでも漫画を描けるのだが、私にはそれ以上に、彼等漫画家には、ある種の使命感のようなモノがあるような気がしてならない。
手塚治虫さんが、戦後何もない貧しい子供たちに漫画で夢や希望を与えた。
その後を引き継いだ石森章太郎さんや赤塚不二夫さん、藤子不二雄さんたちも、自分たちも貧しかったが、君たち子供には明るい未来が待っていると、自分たちが想像する楽しい未来や夢を漫画で描き続けた。
彼等漫画家もまだ若く貧しく、一人前ではなかったが、読者である子供たちと一緒に成長したのだろう。
鳥山明さんの世代は、その石森章太郎さんや赤塚不二夫さんの漫画を見て大きくなった。
そう考えると脈々と手塚治虫さんの精神、思想のようなモノが後の漫画家の中にも生きているのだと思うと感慨深くなる。
彼等日本の漫画家は、手塚治虫さんが残した精神をしっかり受け継いでいるのだろう。
それは日本の子供たちに夢や希望、そして悲しみを共有する力を与えることだった。
鳥山明さんの漫画、「ドラゴンボール」もそれは確実に受け継がれている。