引っ越し。

3月、4月は入学式や卒業式などで、生まれた土地から離れ、新しい土地へ引っ越しをする人も多い。

だから、引っ越しの多くは、人生において晴れの門出として、いつまでも記憶に残ることだろう。

 

 

私は引っ越しを何度しただろう。

多いか少ないか分からないけれど、数えてみれば7回だった。

若い時は布団と身の回りのモノだけだから、身軽に引っ越しもできた。

ほとんど身一つで、何処にでも行けたような気がする。

私は吃ることがあったが、その不安より、将来に対して希望があったと思うし、また自分の実力を試してみたいと言う欲求もあった。

新しい土地への恐れや、まだ知らない人々などへの恐怖心はどこにもなかった。

それよりも希望と興味の方が、恐怖心よりも上回っていたのだった。

そしてまた、未来が決して暗いモノではないという、薄らぼんやりとした思いもあった。

人生はバラ色ではないが、若い時は見るモノ、触るモノ全てが輝いて見える時がある。

 

またその反面、人生最も幸せな時期に限って、人間不信になるような酷いことが待っていたりする。

 

私は京都市内のマンションに住んでいたことがあった。

私の隣のご夫婦は太秦で働く映画関係者の人だった。

旦那さんも奥さんも垢抜けた感じの人達だった。

ご夫婦の年齢は私達と同じぐらいだったような気がする。

私達が夜食をすませた頃、旦那さんが菓子折りをもってきて「夜分すいません。私は仕事がらこのような時しかお目にかかれません。私達は大きな音を立てないように生活していますが、もし何かお気づきのことがあればおしゃってください」と言って帰って行かれた。

私達は同じ階で隣同士だが、隣から大きな音がしたこともない。

ベランダに出ても話し声も聞こえてこない。

よくあるのは、下の階に音が響くことである。

このマンションは安普請ではなかったが、それでも少しは音が階下に響いたはずだ。

神経質な人には耐えられなかったのかも知れない。

私達は最上階に住んでいた。

旦那さんが両隣と階下にお住いの人たちにお詫びに行かれたそうだが、それで収まるようなことはなかった。

奥さんは大人しそうな人で、旦那さんが仕事でいない時は、一人怯えていそうだった。

まぁ共同住宅にはよくありがちなトラブルと思うが、普通の生活をしていても音がうるさいと言われれば、これはもうどうしょうもない。

当の相手とトコトン戦うか、別の場所を新たに探すかどちらかである。

でも一番いい時間を角突き合わせて争うのも勿体ないような気もする。

 

私達はその後引っ越ししたので、隣の人たちがその後どうしたのか知らない。

そのようなトラブルは他人事と思っていたからだ。

でも私達が引っ越した処にもややこしい隣人がいた。

中古の家を買って引っ越したのだが、道は私道で共同で使うような所だった。

向かいは小川で見晴らしはいい。

私の家は真ん中で、親子の家で挟まれた感じになっていた。

後で聞けば、私の家も子供用にと考えていたそうだ。

そこに私達が割り入った形になってしまった。

私達はそんなことは知らない。

それでも私達がまだ若いから、それなりに相手は受け入れてくれたように思う。

でもちょっとしたことで、行き違いが生じてしまった。

そうなるともう遠慮がなくなったのだろうか。

共同で使う道が使えなくなってしまった。

よくありがちな隣人トラブルである。

私達は1年で体重が10キロ以上も減ってしまった。

よい減量になったと思えば、それでもいいのだろうが、もう限界と思ってこの土地を離れた。

 

新しい住宅を選ぶに当って、地元の不動産屋さんからいろいろアドバイスをいただいた。

まず、道が行き止まりのような住宅を選ばないこと。

道は水といっしょで、通りがわるくなると、空気までも澱んでいって、そこにいる人々の雰囲気も悪くなると言われた。

確かにそうだ。

溜まり場になっている処の空気は澱んでいるような気がする。

 

次は同じような収入の人たちが、集まる所の住宅を買うなということであった。

これは分かりやすい。

同じような収入の人達ばかりが集まる住宅地は、それだけ問題が多いということだろう。

これは不動産屋さんが思っていても、言ってはならないことのように思うが、そこには嘘がないのだろう。

今思えばよく言ってくれたと思っている。

よほど私達を不憫に思っていてくれたのだろう。

そこで新しい住宅を選ぶなら、金持ちもいれば、貧乏人もいて、商店もあれば、医者もいる。

いろいろな職業の人たちが同じ町に住まう、そのような町内がいいだろうということだった。

 

その中でいろいろな物件を見せてもらった中で一つ、記憶に残っている物件があった。

その場所は電車で京都市内中心部にも10分足らずでいける、頗る交通の便のいい所であった。

また金額的にも魅力的だし、近くには大型スーパー等もあり、これはいい物件だなと思っていた。

それに家の前の道は広く、以前の家のように行き止まりのような所ではない。

住宅は同じような建売が何棟か建ってはいるが、大規模なモノではない。

回りは昔からの大きな家が立ち並んでいる。

理想のような所である。

そして家の中を拝見させて頂くことになった。

この物件の人たちはまだ住んでおられ、売れた時点で、引っ越しをされるということだった。

家の外で、この辺の奥さんらしき人たちが立ち話をしていた。

何処でも見かける風景だ。

私達は玄関に入り、家の中を見せてもらった。

この家の奥さんは小さな赤ちゃんを抱えて、迎えてくださった。

年齢は私達ぐらいだろうか?

可愛い奥さんだった。

でも何かに怯えている感じだった。

そのピリピリした感じが私達にも伝わった。

前の家で味わった、あの感じだったのだ。

家は新しいし、値段も相場よりはかなり安い。

ご両親が娘さんの為に買われたのだろうか、綺麗な立派な箪笥を見て、私は胸が詰まった。

この家で両家の父母を招いて、お披露目もしただろう。

しかし、その希望がいっぱいだった夢の家を、すぐにでも手放したいのだ。

私達もこの前同じくやしい思いをしたのだった。

もし、ここに引っ越しても、上手くやれる自信はない。

玄関から私達が出る時、外にいた数人の主婦たちのボスらしき人物と眼があった。

 

今の家は数件物件を見た後で決めた。

家の横は小川を挟んで、京都から下関まで続く昔の山陰道が通っている。

前の道は近くの集落に向かう道で、常時人や車が行きかい、行き止まりの道ではない。

この辺りの街道沿いでは、私達が住むような建売住宅はみかけない。

今思えばそれがよかったのだろうと思う。

 

で、この家で一安心だと思ったら、ここにもまた問題の人がいた。

やたら問題を起こす人で、よりにもよって、私達の隣に住んでいたのだった。

でももう引っ越しすることはできない。

前回のブログ「直感」でも書いたが、問題行動を起こす人にはある共通点があった。

それは家庭内の問題を解決しょうとせず、いつもモヤモヤとした不満をも抱えていて、その欲求不満を外部に吐き出すということだった。

自分の家庭を壊すのは嫌だが、よそ様の家庭は壊してもいいと思っている人たちである。

 

しかしもう前のように逃げることはできない。

そう思って何とか生活をしていると、今度は隣が引っ越していった。

今はご近所とのトラブルはない。

でも私達が体験したようなことは、今もあちこちで起こっているのだろう。

それを思うと、何ともやるせない。

新しい住人に優しくしても、罰は当たらないと思うのだが・・・・・