中途半端はやめて。
ブログの題名が、なかにし礼さん作詞の、歌謡曲の題名みたいになってしまった。
別になかにし礼さんのことを、ブログで書こうと思っている訳でない。
ただ、今まで私は何をしても中途半端で終わっているから、、どこかで中途半端という言葉と、昔のヒット曲が結びついたのだろう。
またそれだけ、なかにし礼さんの作詞は私に強烈な印象を植え付けていたのだろう。
私は仕事もそうだが、気持ちがあちこちにいって、一つに集中できない人間だった。
また趣味も沢山あるが、どれ一つこれだと思ったこともないし、モノになっていない気がする。
モノになっていないとは、つまり自慢できるほどのレベルには達していない。
だから私の趣味はこれだとひけらかすこともできない。
誰かに見せびらかして自慢することもできないのだ。
だがしかし、趣味とは他人に自慢するモノではなく、自分の為のモノ、心のよりどころでいいはずなのだ。
でもどこかで自慢したい気持ちがある。
誰でもいいから、凄いですねと言ってもらいたい。
でも私には自慢するほどのモノは何一つない。
そういった意味では、趣味ほどいやらしいモノはないのかも知れない。
仕事なら、仕事と割り切れる処はあるが、趣味はかなりパーソナルなモノだけに、自然と自分の内面がつい出てしまう。
自慢するつもりが、逆に隠したいモノまでが出てしまうこともある。
出そうと思わなくても出てしまうから、恥ずかしい処まで出てしまう。
それに隠そうと思っても、嘘はすぐばれる。
その意味ではブログと同じなんだろう。
ブログも書く人の人柄がそのまま出てしまうから、趣味と同じで、本当は怖いモノだと思う。
趣味は心の息抜きと思っている人もいれば、自分を飾るモノだと割り切っている人もいる。
地位も名誉をあれば、それなりの地位にあった趣味が必要なのかも知れない。
まぁこれは見栄のようなモノだ。
誰かに見せたいだけの趣味である。
私の以前勤めていた会社の社長が、何を思ったのか見栄を張って、急に能を舞い始めた。
お茶屋遊びをしている、周りの人たちの影響なのか、お披露目の度に、私達社員は岡崎にある観世流の能楽堂に行かされた。
私はその時、社長の舞が下手くそで退屈と思ったのか、ついあくびをしてしまった。
その時、何と間が悪いことか、社長と眼があってしまったのだった。
今思えば、伝統産業に関連した会社もまだ余裕があり、いい時代だったのだろう。
仕事は上手くいかなくても、趣味だけは中途半端で終わりたくないと考える人もいるのだろう。
どこかで、趣味だけはという気持ちが生まれてくるのも仕方ない。
仕事は誰かに評価されている。
だが、その評価基準は曖昧だ。
真面目に働いていても、ちゃんと評価されていないという人もいるだろう。
いや、評価されていない人がほとんどかも知れない。
それで不満も出てくる。
でも不満があっても、その不満を押し殺したまま働かなくてはならない。
だから仕事は仕事と割り切って、自分の好きな趣味に走る。
仕事での不満を趣味にぶつけるしかない。
分かるような気がする。
趣味が唯一の自己実現の場所と考えているからだろう。
でも、こういった人たちは怖い。
仕事では負けたが、趣味では負けたくないという気持ちが先にたち、趣味が趣味でなくなっているからだ。
本来趣味は競争ではなく生活を豊かにするものであるはずだが、頭では分かっていても、感情が先に立ってしまうのだろう。
私の古い友人たちも何かを求めてしゃにむになっていた時期がある。
仕事以外の何かに生きがいを求めていたのだろう。
だからなのか、私に不愉快な感情をぶつけてきたこともある。
私にすれば何のことか分からない言いがかりのような出来事であった。
こういう時は時間をおかなくてはならないのだろうけど、それももう何年にもなって、最近はどうでもいいような気持にもなっている。
私は競争は嫌だから、趣味でも中途半端で思わっている。
誰かに負けたくないという気持ちがちっとも湧かない。
もし、趣味で自慢したい人がいるのなら、私はどうぞ、どうぞと席を譲ってあげる。
誰とも争いたくはない。
趣味の世界で勝ち負けもないという思うのだが、なぜこうも競争したくなるのだろ。
子供の頃、徒競走では自信があった。
だが大会が大きくなるほどに勝つことが難しくなっていく。
一位が当たり前だと思っていたモノが、しだいに3位、5位と順位が落ちてくる。
終いにはビリになっていた。
仕事でも同じだ。
自分が一番だと思っていても、もっとすごい才能を持った人が必ずいる。
それも一人や二人ではない。
嫌だといっても、その中で切磋琢磨されていくことになる。
私は競争は嫌だけど、仕事となるとそうはいかない。
競争に加わらなければ生きてはいけない。
つまりプロは仕事が評価されることが当たり前になっている。
それも商品として値段を決められるのだから、とてもシビアな世界だ。
否応なしで自分の技能が見極められてしまう。
趣味でもプロのような技術を持っている人たちもいるが、これはこれで遊びと思ってされているのだろう。
趣味は本来それでいいはずなのだ。
趣味は趣味として枠の中で遊んでいた方が面白い。
誰かに自慢したければ、自慢すればすればいい。
しかし、プロの世界まで踏み込むと、面白さは半減どころではなく、苦しさが9割近くまでいってしまう。
それどころか食べていくのさえ難しくなる。
仕事でも何でも極めることはいいことだが、趣味は遊びと考えることはできないのだろうか?
私達日本人は何事も本気を出して極めようとする。
何でもそうだ。
それだと疲れてしまうし、大事な遊びも台無しになる。
仕事と違い、趣味は中途半端でいいのである。
中途半端だから面白い。
分からない処があるから面白いのである。
全てを知ってしまうと面白くない。
あえて調べない、極めない、空白地帯を残しておく。
余裕として残しておく。
これが遊びの極意のような気がするのだが・・・・・
中途半端はやめてと言われても、中途半端を貫く。
誰がなんと言おうと動じないのが何よりだ。
だがそのうち、じれったいと、何処かから声が聞こえてくるかも知れない。
その時は危険な兆候だから、中途半端は止めた方がいいのだろう。