2024年元旦の午後4時10分、私は酒に酔っていて、これからひと眠りしようと思っていた時だった。

突然部屋が突然大きく横に揺れだした。

 

 

酒に酔っていたせいか、そのまま揺れに任せつつ、うつらうつらしていた。

私は本棚に挟まれて寝ていたのだが、本がバサバサと落ちてくるかもしれないという恐怖心はあまりなかった。

少し酔っていたからだろう。

揺れもしだいに収まるだろうと思っていたが、なかなか収まらない。

寝ぼけた頭でもこれはおかしいと思った。

いつもの直下型の地震ではないようだ。

横揺れの前後にガツンという軋みのような上下の振動を感じなかったからだ。

東日本大震災の時の揺れは京都市内や大阪市内でも大きかったようだが、私の住んでいる処ではほんど感じなかった。

難しいことは分からないが、揺れが伝わりやすい方向や地盤,その他の影響もあるのだろう。

あの時よりも揺れは大きかった。

テレビをつけてみると、能登で大きな地震が起きた模様だと伝えている。

しかし、能登の街を写してるテレビ画面を見る限り、建物の被害は大きくないように見えた。

そのままテレビの画面をぼーっと見ていると、突然NHKの女性アナウンサーが「津波が来ます。今すぐ逃げてください!」と叫びだした。

津波がくるのか?

それは大変だ。

このアナウンサーの叫び越えで、地震の大きさが初めて分かったような気がした。

それから時間を追うごとに、被害の大きさが分かってきたのだった。

1月1日に起こった能登半島地震である。

 

2018年の大阪北部地震の時もよく揺れた。

震源地とされる高槻や茨木は被害も大きかったらしい。

私が住んでいる街は震源地に近いから揺れも大きかった。

阪神淡路大震災の時と同じぐらいの揺れであった思う。

震度でいえば5になる。

これに強弱がつく。

同じ震度5と言っても、地盤で揺れ方も違うらしいから、私の住む地域が全て同じ揺れ方でもないのだろう。

 

大阪北部地震の時は、大きな揺れも二度目だったので、阪神淡路大震災の時のようなパニックにはならなかった。

何度も続く大きな地震で、いつの間にか、震度5ぐらいの揺れでは以前のような恐怖心もなくなってしまったようだ。

 

1995年1月17日、5時46分の早朝に地震は起きた。

今から29年前の出来事になる。

それまで大きな地震など経験していなかったから、突然の大きな揺れに私はとても驚いた。

まだ誰もが眠っている時刻に、その揺れはひたひたと遠くから波のようにやってきた。

私は寝ながら何かがやってきたと直感したのだが、それが地震だとは分からなかった。

初めは小さく、そしてしだいに揺れは大きくなってきた。

その揺れに必死に耐えているのか、今まで聞いたこともない不気味な音を家がたて始めた。

これだけで今起こっていることが尋常でないことが分かりだす。

地震であることは確かだが、なぜこのような大きな地震が起こるのか理解できていなかった。

だからかなり動転してしまったといっていいだろう。

横揺れがあった時に、なぜだか寝ぼけ頭に、塀が倒れたと思った。

なぜそう思ったのか分からないが、直感的にそう感じたのだった。

私は恐る恐る階下に降りて、塀をみたが何とか耐えてくれていた。

しかし、浴室のタイルにヒビが入ったり、壁と柱に隙間が出来たり、それなりのダメージを我が家は受けていた。

地震が収まって、私は一体何が起こったのだろうとテレビで情報を集めていると、兄からの電話で、母の所に行って、大丈夫かどうか知らせてほしいと言う。

実家は車で20分ほどの所にある。

古い家で、草臥れてはいるが、幸い壊れてはいなかった。

玄関から出てきた母の顔を見ると、何ともいえない複雑な顔をしていた。

きっと泣き顔を息子に見せたくなかったのだろう。

 

あの阪神淡路大震災の時は、NHKのアナウンサーが何人も番組中に泣いたのだった。

本当は番組中にアナウンサーが泣いてはいけないのだが、それでもNHKのアナウンサーが泣いていたのを見た時、人間らしく思えて好感が持てたし、またそのアナウンサーたちの泣き顔を見て、私も一緒に泣いてしまったのだった。

やはりアナウンサーも人の子である。

地震が怖いのはどうしょうもないのだろう。

今地震で泣くアナウンサーは稀なのかも知れないが、あの阪神淡路大震災では、大阪のNHKも、大阪の民放のアナウンサーも皆番組中に泣いていたのだった。

 

阪神淡路大震災の以前の大きな地震といえば、1948年の福井地震と1964年の新潟地震があるが、その新潟地震から約31年経って、阪神淡路大震災が起きたことになる。

でも戦後すぐの福井地震と、昭和39年の新潟地震はあまり知られてはいなかった。

私達が地震の恐ろしさを始めて知ったのは、阪神淡路大震災になるのだろう。

阪神高速道路の高架橋の柱が折れて、高速道路が地面にずーっと長く落ちている写真だった。

あの写真を見た時の衝撃は今も忘れられない。

 

あれから29年である。

それまで関西では大きな地震は起きないと言われていて、皆それを信じていた。

私も信じていたような気がする。

でもそれは間違っていた。

地震は何処でも起きるのだと思い知らされた。

日本全国地震が起きない処はない。

比較的安全と言われていた能登でも大きな地震に見舞われた。

日本人として生まれた限り、いつか何処かで大きな地震に遭う覚悟はしておいた方がいいのだろう。

 

でも、南海トラフ巨大地震の確率や、東京直下型地震の時期など数字で表しているが、ホントにどの様な方法で計算しているのか知りたい。

今まで地震の予知をして、ある程度の確率で当てたことがあるのなら分かるが、その実績も無いのに、将来おこるとされる地震の時期と、地域を数字で示している。

どうしてあんな数字を出せるのだろう?

素人の私でも、何を根拠にあのような数字を出しいるのか不可解でしょうがない。

地震を研究している学者たちには、「日本の何処でも震度7クラスの地震は何時でも起きます」

「それ以外のことは何も分かりません。これ以上何も聞かないでください。」ただ、それだけを言ってもらえればいいような気がするのだが。

 

日本は災害が多い。

台風に洪水、それに地震だ。

それらの災害をすべて避けて生きるのは難しい。

特に地震は突然やってくるから防ぎようがない。

新しい家なら大きな地震でも耐えられるだろうが、誰もがそのような住宅に住んでいる訳ではないし、住めるわけでもない。

私は古い木造住宅に住んでいる。

大きな地震にあえば壊れるのは間違いない。

それでもここが我が家だと思って住んでいる。

そのように感じているのは私だけではなく、殆どの人たちも同じ思いだろう。

改築、新築には相当な金額がいるし、また慣れ親しんだ土地と、わが家から離れたくないという思いも強いはずだ。

だから私は今でもぼろ屋に住んでいるし、今後も住むことになる。

 

私ができるのは地震保険に入ることだけだった。

これだけでも大きな出費である。

保険は使っても、使わなくても得したことにはならない。

でも使わないのが一番いいのは分かっている。