篠山紀信さんがこの前亡くなられた。

カメラマンといえば篠山紀信さんの名前が出るほど、芸能人並みに名前が知られていた。

それほど紀信さんの写真が、世の中の人々に愛されていたという証拠だろう。

紀信さんにかかれば、旬が過ぎ去ったアイドルや女優でも、隠された魅力をいとも簡単に発見し、週刊誌上ではつらつとした容姿を私達に見せてくれたこともある。

写真を見て、これが同じアイドルや女優かと驚いたのは当たり前だった。

そのように思えるぐらい、いつも切り口を変え、新鮮な感覚で写真を撮られていた。

他にも写真家はいたが、篠山紀信さんはもっとも成功した人だった。

私は紀信さんの初期の頃の写真が好きだ。

 

 

ある時、広告写真集を見ていると、ある少女が自転車から転げ落ちそうなところを撮った写真を見て、あっと思った。

見てはいけないようなモノを見てしまったような気がしたのだった。

何だろうこの気持ちは?

今まで感じたことがない、とても不思議な気持ちだった。

何時撮ったか分からない写真だったが、私はその写真の少女と年齢は近いような気がした。

私もまだ子供で大人になっていなかった。

だからなのか、その少女の放つ眼の力に戸惑ってしまった。

少女は自転車から落ちそうになり、とても危うかった。

転ぶ一歩前で踏み止まっている。

写真を見ている私は、少女が自転車から転びそうなその場所に出くわしているような

錯覚を覚えた。

少女は私を見て、「見てたわね」と咎めているような眼なのだ。

恥ずかしい処を見られたからだろう。

でもそれだけではない。

どこか怪しい眼をしている。

挑むような眼だ。

若い男の子ならそれだけで委縮してしまうだろう。

私も情けないかな、ヘビに睨まれたカエルのように、飲み込まれてしまっている。

少女の表情はもう子供ではなかった。

それに比べ私は子供のままでしかない。

少女の眼は何か秘密を共有しょうと私に持ちかけているようにも見える。

 

しかし、この眼は私に向かっているのではない。

篠山紀信さんに向かっている眼だ。

私には少女の眼が挑んでいたように見えたのだが、紀信さんには別のように見えたののだろう。

私は誰なのだろうという迷いの眼だ。

その自覚はないのだが、自分ではない何かが自分の身体の中で蠢いていることはわかってるのだろう。

ただ自分の中で蠢いているモノが何者かかが分からず不安なだけだ。

その不安な少女の眼を、篠山紀信さんは真正面から受け止めようとしている。

流石である。

カメラを向けながら、さあ来なさいと少女を受け止めているのだ。

この広告写真を後に調べたら、篠山紀信さんがナショナル自転車の為に撮ったモノだった。

この少女は、子供から大人への入り口を探っていたのだろう。

少女が様々な光彩を放す最も美しい時である。

一瞬大人の女性を感じさすような眼差しであったり、そうかと思えば子供のまま少女だったりする。

心が揺らめいているのだろうか?

確かにこの時の少女は怪しい眼をしていたように見えた。

自分が何者か問いかけていたのだろうか。

篠山紀信さんは、少女のその怪しい瞬間を逃さずシャッターを押している。

凄いの一言だ。

魔法のような手際の良さである。

少女の本質を見極め、一番良い処を写真に収める。

それも一瞬のうちに収めることが出来るのは神業に近い。

紀信さんにかかれば、そんなことお茶の子さいさいなのだろう。

シャッターチャンス等は誰かに教えてもらうモノでもないし、また教えられるモノでもない。

 

例えば写真家のアラーキーと呼ばれる荒木経惟さんが、街角でさりげなくシャッターを押す。

出来上がる写真がどのようなモノかと見れば、構図も露出、シャッタースピードも、全てが素晴らしい出来栄えであったりする。

失敗がないから連続でシャッターを押す必要もない。

荒木さんは一瞬のうちに街頭での人々の動きを頭に入れ、何処にフォーカスを当てるか、それが躊躇なくできる人なのだ。

そこには迷いが少しもないように見える。

これがプロの写真家なのだろう。

でも荒木経惟さんのような才能のある人も稀だと思う。

眼に映るモノ全てを、絵のように切り取ることができるからだ。

篠山紀信さんも荒木さんと同じだ。

見る物すべてを素晴らしい写真にできるのだろう。

 

篠山紀信さんは先の写真とは別に、アイドルといわれた少女達の、その時々の煌めいた姿や表情を上手く写真に捉えていた。

紀信さんにかかれば誰でも自然に素晴らしい表情を出せるのだろう。

それこそ本当に魔法である。

篠山紀信さんは、少女の持っている本質のようなモノを上手く引き出すことが出来る稀な人だった。

でもそれはやはり商業写真の限界があって、どうしてもワンパターンになりかねない処がある。

アイドルの愛くるしさと、煽情的な面を強調した写真を出版社は求めてくるのは仕方がない。

カメラマンもそれが仕事だ。

購読者であるお客が求めているモノを提供するのがカメラマンである。

篠山紀信さんはそれに徹底した人でもあった。

理論ばっかりの、難しい写真は撮りたくない。

お客さんに喜ばれる写真を撮りたい。

でもそれだけで、十分に他を圧倒する素晴らしい写真を多く撮れた人だったように思う。

 

篠山紀信さんの傑作はあの自転車の少女である。

あれは間違いなく篠山紀信さんの最高傑作だといえる。

あの一枚だけで篠山紀信さんの素晴らしさが分かるような写真だ。

 

☆自転車の少女の写真を上げようと思いましたが、検索しても出てこないので残念しました😂