相原コージさんのXでの呟きを最近見つけた。
まさか、まさかであった。



相原コージ・・・・
初め誰のことだか分からなかった。
見た覚えのある名前だが?
何処かで聞いたいうより、見たといったらいいのかも知れない懐しい名前のように感じた。
幼友達や同級生でもない。
誰なんだろう?
私の知り合いはそれほど多くない。
交際範囲は極限られている。

あ、そうか、想い出した。
あの相原さんだ。
漫画家の相原コージさんだった。
あ~懐かしい。

一時夢中になって読んだ漫画家さんだった。
「コージ苑」や「かってにシロクマ」が思い出される。
どれもが優れた漫画だった。
私は特に「コージ苑」が好きだった。



あの当時、相原さんが描かれた4コマ漫画は、それまでの4コマ漫画の世界を大きく変えたモノだった。
4コマ漫画の可能性を大きく広げたのだ。
新聞の4コマ漫画に慣れ親しんでる人にとって、相原コージさんが描く漫画はただの風刺だけではなく、攻撃性も含んでいるように見えた。
ほんわか、仄々だけではなかったのだ。
甘いと思った後に、じんわりと苦さを感じる漫画だった。
私の知る限り4コマ漫画で、相原コージさんに似た表現をした漫画家はいなかったように思う。

漫画家は川面の波紋のように現れては消えてゆく儚い稼業だ。
その中でも消えずに未だ活躍している漫画家さんはいることにはいる。
「うる星やつら」の高橋留美子さんや「ドラゴンボール」の鳥山明さんなど限られた人たちである。
でもこれらの漫画家さんたちは別格なんだろう。
飛びぬけて才能豊かな人たちだ。
それ以前の漫画家さんといえば、神様手塚治虫さんや藤子不二雄さん、赤塚不二夫さん、水木しげるさん松本零士さん等伝説の人たちになってしまう。
その中で滝田ゆうさん、つげ義春さん、林静一さんのお三方が、文学と肩を並べる漫画を描いていたと、絶賛されていたことがあった。
事実漫画の地位はこれらの方々のおかげで上がったのだろう。
絵画でもなく、文学でもなく、ただの漫画でもない、新しい表現方法がそこに見えたのは確かだった。
子供のモノだった漫画が、大人も楽しめる漫画に生まれ変わった瞬間だった。
でも私には漫画本来の面白さとは、少し違っているように思えてしかたなかった。
漫画家が小説家の後追いをしても仕方がない。
絵描きのマネをしてもしょうがない。
吹き出しが少なくても、深遠な表現方法を見つけられる。
それは新しい魅力の発見だった。
でも、でも、漫画が芸術だの美術などと奉られても、それはちょっと違うだろうという気もする。
漫画を読む方はそんなモノを求めていない。
後に浮世絵のように何か理屈をつけて評価をしてもらうのだろうが、それは後の人たちに任せればいい。
私達は今を楽しませてくれればそれでいいだけだ。
漫画はマンガでゲリラ戦を戦う武器であるべきで、勲章いっぱいの軍服を着ては戦えないのである。
漫画家たちもその路線は違うだろうと思ったのだろう。
詩情漂う漫画は次第に減っていく。
その中でも蛭子能収さんや みうらじゅん、川崎ゆきおさんの活躍は異彩を放っていた。
80年代も後半になって、相原コージさんの「コージ苑」が描かれる。
異形の4コマ漫画の登場である。
新聞でよく見かける「サザエさん」や「サンワリ君」のような仄々とした漫画ではない。
先にも書いたが攻撃的で毒も含まれていた。
相原氏はこれが自分の本道だと思い、世間にも、マンガ界にもゲリラ戦を仕掛けたのだと思う。



手塚治虫や石ノ森章太郎等の巨匠とは違う路線。
人のマネではない自分だけが描ける漫画を目標にしていた。
でもそんなことが本当にできるのか?
世の中に漫画家は山といた。
しかし相原コージさんは見事、自分だけの漫画を描くことができた。
オリジナルで自分の世界を描くことができたのである。
これはとても難しいことである。
学校で教えられることではないし、技術的なことでもない。
心の問題だ。
きっと相原さんは心の中に怒りをずっと溜め込んでいたのだろう。
世の中はなぜ自分の才能を認めないのか?
そのような不満もきっとあっただろう。
それ以上に世の中の不条理や欺瞞が我慢ならなかったのではないか?
既存の権力や権威に疑問を持っていたことは、相原さんの漫画を読めば
そのことが分かる。
権威と崇めているモノのうさん臭さの化けの皮を剥がしたい。
その方法は漫画でできると相原さんは考えたのだろう。
漫画の良い処は、権力や権威をおちょくることができることである。
いたけだかに大上段に刀を振りか出しても、読者はついてこない。
新聞等でよく見かける、小難しい理屈で権威をけなすのもありだが、それは漫画家のやることではない。
文字では難しいことでも、漫画ならさらっと、あっさりと描くことができる。
批判される方も、たかが漫画だと目くじらも立てない。
これは新聞などのコラムなどでは絶対無理だ。
特に相原さんの漫画をエッセイぽく書くことは至難の技である。
相原さんの「コージ苑」第三版に太宰治のことをダサイ君として描いている漫画がある。
文学オタクが大好きな太宰治を、相原コージさんはダサイ君とおちょくっている。
この当時の漫画家ではなかなかできないことである。
下らないことを、さも深遠な人類の永遠のテーマのごとくかのように書くことが文学かと批判しているのだ。
しかしなぜ小説の類を文学と書くのだろう?
音楽が音を楽しむと書くのなら、文学も文楽と書くべきだろう?
む、む、文楽?
これでは浄瑠璃になってしまうからか?

権力や権威を批判する時は、自分も傷を負う覚悟がないとできない。
いつも思うのだが、評論家や新聞社の論説委員の人たちはその覚悟がない。
自分を高みに置いて、大上段に構えてへなちょこ刀で切ったふりだけをしている。
どちらにも痛みがないようにしているだけだ。
だからなのか、論評も何もかもが薄っぺらい。

相原さんは「コージ苑」で自分をオナニストだとばかりに、自分の行為をマンガで描いている。
これは相原さん流に覚悟のほどを示しているのだろう。
一漫画家がこれほどの覚悟を示して4コマ漫画を描くのだ。
これを開き直り、ただの快楽のためと受け止めてしまう人たちもいるだがそれは違う。
実際はキリキリの崖っぷちで仕事をしているはずだ。
○○〇などをしている心の余裕など無いに等しいだろう。
でも相原さんの覚悟は示せたはずだ。
何かを表現する時は覚悟が必要である。
自分の身を切る覚悟だ。
他人は傷つけるつもりはないが、もし傷つけたなら一緒に堕ちる覚悟がいる。

それも無しで「表現の自由」や「表現の不自由」を叫ぶ人たちがいた。
表現の自由は大事だけど、人を傷つけておいて、自分たちは何も傷つかないようにしょうとする。
それどころか、自分たちは高みに立って、他人が大事にしているモノを貶す。
この人たちに加害者の意識もないとはどうしたことだろう?
そんな勝手なことが、どうして表現の自由なのだろう?
相手のことを思いやって初めて表現の自由があるはずだ。
思いやりの心もなしに何が表現の自由なんだろう。
一番してはいけないことを、あの人たちはしていた。
「表現の不自由展」である。
主催者たちも、一度相原コージさんの「コージ苑」を読んでみたらいい。
本当の表現の自由というモノが分かるはずだ。

「コージ苑」第三版に面白いことが書いてあったのでここに書く。
岩倉具視が特命全権大使として、1871年に欧州に派遣された。
岩倉は何を思ったのか、ホテルのドアを開け放して千摺り行為に及んでいたらしい。
それをボーイに見られ、岩倉は危うく国外追放処分にされかけたそうだ。
それに懲りたのか、後に岩倉は「往来千摺り禁止令」を国内に向けて出したらしい。
ということは、今まで男たちは人通りの中で、恥じらうこともなく千摺りをしていたということになる。
何という事だろう・・・・・
時代が代われば、こうも人間の意識も変わるモノだろうか?

相原さんは権力や権威という私達の頭上にあるモノを、下ネタで地に堕とそうと考えていた。
それどころか、見眼麗しい女性も、謹厳実直な男性も皆どこかで○○〇をしているだろうと漫画に描いる。
我々庶民の恥ずかしい秘め事も、相原さんは同時に暴露してしまったのであった。
目に映るあらゆる如何わしいモノや欺瞞、不条理なモノを混ぜ合わせて、一度地に堕としたかったのだろう。
その行為により、相原さんは何かが見えると考えたのかも知れない。
それが良かったのだろうか、「コージ苑」第一版は50万部の大ヒットとなった。
読者たちが相原さんの背を押してくれたのだ。
下ネタが多いと言われていたが、その下に隠された熱い心を読者は見抜いて応援してくれたのだった。

私も漫画家に憧れたのだが、漫画家は誰もがなれるものではない。
選ばれたモノしかなれない。
しかしその道はいつも崖淵に立たされているような、切羽詰まった中での毎日の仕事である。
のんびりとテレビ番組を見ている時間もない。
相原さんはいつもエロで頭がいっぱいだと漫画で描いているが、そのようなことを考えられる余裕は、ほとんどなかっただろう。
あれはサービス精神で描いているだけだけだと思いたい。
そうだと思うが・・・・
いや、きっとそうだろう。
でも、やっぱり相原さんは○○〇が好きなんだろうか?
それでもあのような漫画が描けられるのだから凄い。
いつも何かに常に追われているという環境の中でである。
歯を磨く時間も惜しいと感じるほどの忙しさだと思う。
漫画家は超忙しいか、ほとんど仕事がないかどちらかである。
サラリーマンのように適当に仕事を回してくれる処は何処にもない。

私にはそのようなハードな毎日を過ごすほどの力量は何処を探してもない。
漫画家は才能も大事だが、体力と精神もタフでないと務まらないのだろう。
私は才能もなければ、体力も心もタフではなかったのだった。
当時私にあったのは○○〇だけだったかも知れない。