10月22日、鞍馬の火祭に行ってきた。
今まで何度か行こうと思っていたが、帰りのことを考えるとなかなか決心がつかなかった。
火祭りのクライマックスは、締め込み姿の男性たちが大松明を持って門前にそろい踏みする時だが、その時間が10時以降になるという。
最大の見せ場が10時以降になっては家に帰ろうにも帰れない。
それに、鞍馬の里は山に囲まれていて、細く長く小さい。
観光客の受け入れには限りがあるようで、鞍馬の村里に収容できる人数を越えた時点で、鞍馬行の乗車券は販売を中止するという。
鞍馬の村人が街から村に帰る時どうするのか気になるが、それほど当日は人で溢れるということだろう。
また、多くの人が山里に留まることができないからだろう。
何時でも行けて、何時でも帰れる。
鞍馬の火祭は、そう簡単に気軽に行ける所ではないということがこれで分かる。
また火祭りでは火の粉が舞うので、服装には充分気を付けてくださいと、体験型ブログや公式案内には書いてあった。
とにかく、かがり火や松明が里の至る所で焚かれているらしい。
化学繊維が多い登山用のパーカー類は、軽くて丈夫で、防水性もあり重宝なのだが、残念なことに火に弱いのだ。
服に火の粉がかかれば、簡単に穴が開くことを覚悟しなければならない。
後のことを考えれば、少しぐらい火の粉がかかっても大丈夫な服装にするべきだろう。
火祭りに行くときは、服装についても考えなければならないようだ。
京都市内に住む人でも、鞍馬の火祭りに行ったことがある人はそう多くないと思う。
私も知り合いから鞍馬の火祭りに行ったことなど、これまで一度も聞いたことがない。
また大文字の送り火が話題に上っても、鞍馬の火祭りことが話題に上ったことはなかった。
京都人は案外、鞍馬の火祭りに無関心なのか、それとも観光客が多く行く処を避けているのだろうか?
どちらにしても、無理をしていく所でもないと思っているのだろう。
しかし私は無理をして今回行くことにした。

5時ごろに叡電出町柳駅に着いたのだが、もうそこは外国人、それも欧米人で駅の構内は埋め尽くされていた。
どこからこのような多くの人たちが湧いて出ているのか?
我が目を疑ってしまう。
それも欧米人が鞍馬の火祭の情報をどうして知ったのだろう?
気になる。
いつもは閑散としている出町柳駅が、欧米人で埋め尽くされている。
正に信じられないような光景である。
見た感じ、30代までの若者ばかりだ。
何処を向いても外国人ばかり。
7割から8割が欧米人だろう。
この空間では私の方が少数な外国人に見えてしまいそうだ。
周りは異国の言葉ばかりが飛び交う。
鞍馬行の電車に乗るのに30分以上待たされ、やっと電車に乗れた。
電車の中も同じように異国の人だらけである。
不思議に中国、台湾の人や韓国の人達の言葉は聞かれない。
やっと電車が発車する。
鞍馬まで各駅に停車するのだが、その駅々で欧米人が後から後から乗ってくる。
4駅ほど過ぎたぐらいになると、流石にもう一杯で乗れなくなってしまった。
叡電は2両編成で運行している。
日頃乗客数が少ないから仕方ないだろう。
乗れなかった人たちは恨めしそうにこちらを見ていたのだが、電車に乗っていた外国人たちはそのことを面白いと思ったのか、なんと彼らの方に向かって手を振っていた。
お茶目といえばお茶目なのだろうが、私達日本人にはこの感覚は理解できそうにない。
悪気はないのだろうが・・・・・
私は着くまでずっと立っていたのだが、四方八方外国人ばかりであった。
背丈は彼らに負けないが、見た感じが違う。
日も暮れてくると、否応なしに電車の窓に欧米人と自分の顔かたちが写しだされる。
今まで頭の中で描いていた絵と、窓に写った実際の私の姿とはエライ開きがあった。
欧米人と背丈はあまり変わらないが、頭の大きさ、つまり顔の大きさがまったく違う。
それに顔が平べったい。
凹凸がない。
ずっと彼等欧米人の顔ばかり見ていたから、余計にそう思うのだろう。
見たくもない自分の顔を見て、何と扁平な、不細工な顔だろうと思ってしまった。
しかしこれが日本人の平均の顔かたち?なのだから、仕方がないと自分に言い聞かす。
沼正三氏が「家畜人ヤプー」という小説を著わしたことがあった。
私もその気持ちが薄っすらと理解できる。
日本人が欧米に住んでみると、もっと強烈な身体的劣等感を感じるのかも知れない。
外国に旅行中の時もそうだ、突然日本人らしい人に街角で合ったりすると、お互いになぜかムスッとしてしまうこともあるだろう。
見たくもないモノを、お互い見せられてしまった恥ずかしさ、情けなさを感じるからだろう。

私の左横にいたのはフランス人らしいカップルだった。
満員なのに隣の男性と楽しそうに話している。
横目ですぐ隣に立つフランス人女性の吊り輪を掴む腕と手を見る。
え?
意外と手首が細いではないか?
指も日本人女性と変わらなくて繊細で美しい。
それに出てる処は形よく出ている。
日本人女性が欧米人男性たちに華奢といわれてモテるそうだけど、欧米の女性も華奢に見える人たちはいるようだ。
少し離れた処にいた女性も同じような体形の人だった。
でも全体のバランスがいいから、日本人のような幼児体形的な華奢ではないだけなのだろう。
日本人は頭だけが妙にでかいから、肩幅も狭く見えてしまう。
でも実際は、肩幅も欧米人とさほど変わらないのかも知れない。
比率で肩幅が狭く見えているだけだろう。
そんなことを考えいたら、いつの間にか鞍馬の駅に着いていた。



ぞろぞろと列車から吐き出された観光客は、誘導員に導かれ、駅前広場から鞍馬寺三門前に行こうとするが、そこから先が大勢の観光客で詰まっている。
時間は6時15分を過ぎたところだ。



電車の中も満員だったが、鞍馬についても人だらけである。
ここでもまた待たされるのか?



ただ夜空を見上げれば、月がぽかんと浮かんでいた。
月を見るのも悪くはない。
月をじっくりと見ることなど、滅多にないことだ。
ここで酒でも飲めればと最高と思っていると、急に列が動き出した。
その後をトコトコついていく。



次第に火祭りらしい光景が現われてきだした。
あちこちの民家の軒先にかがり火が焚かれている。
こんな近くにかがり火が焚かれていることに驚きを隠せない。
普通ならありえないことが起こっている。



その光景を見ながら私達観光客は歩くのだが、道が狭く、かがり火の炎が服に付かないか心配になるほど近くを通る。
狭い道路を帰る人と、これから行く人に分けているからだろう。



おまけにその真ん中を「サイレイヤ、サイリョウ」と雄叫びながら松明を掲げ練り歩くのだ。
とにかく村の中は「サイレイヤ、サイリョウ」と掛け声があちこちで響き渡っていた。
それがまた締め込み姿と相まって、かっこいいのである。



今また私の前を、大きな松明が通り過ぎていった。
その後を女性たちが小さな松明を持って続く。
村人総出での祭りだと分かる。
まだこんな祭りが残っているのだな・・・



とにかく狭い町筋であるから、火には気を付けなければいけない。
先ほどよりも観光客が溢れだしてきた。
足下も暗いので注意しなければならない。
かがり火の前で一人でも転べば大事になるだろう。
おまけに多くは外国人だ。



こんな時は日本人でもイラッとする。
そのような心配をしながら彼らを見守っていたが、警察官の誘導にも素直にしたがっていたし、マナーも良かった。




でもなぜこのような火祭りが山の中で起こったのだろう?
平安時代、御所に祀られていた祭神を鞍馬に移すさい、かがり火をたいて迎えたのが由来らしい。
天慶3年(940年)平安京の内裏に祀られていた由岐神社を、都の北方の守護として鞍馬寺の麓に遷したそうである。
でもこの辺り一帯はもともと火祭りのメッカでもある。
花脊の奥、広河原の松上げも愛宕神社と関係のある火祭らしい。
京都、丹波、若狭は地蔵盆に松上げの行事を行う。
これ等の火祭りは、鯖寿司を食べる習慣のある所と深く関係しているように思われる。
22年9月に書いたブログ「ざじずぜぞとだぢづでどが曖昧で上手く言えない」で山の民と海の民の共通点のようなモノを書いた覚えがある。
連れられてきた隼人よりも、早くからこちらに住み着いていた隼人の人たちと、海人部と言われる安曇氏の関係を以前から多くの人が指摘している。
これからも少しずつ、火祭りと海の民のことが解明されていくのだろう。

またそんなことを考えながら歩いていると、これから奥へは行けませんと警察官らしき人に止められる。
行き止まりか?



引き返そう。
時間は7時15分前だ。
来た道を引き返す。
視点を変えると、来た道も変わって見えるから面白い。
今までとまた違った感じで火祭りが見えたりする。
何でも見る角度でこうも変わって見えるのか?



私がもし鞍馬で生まれていたら、締め込み姿で松明を掲げながら「サイレヤ、サイリョウ」と掛け声をかけるのだろうか?
果たして吃音の私にそんなことができるのだろうか?
でもお呪いのようなモノだから、吃り難いかも知れない。
きっと吃らないだろう思う。
私のように、鞍馬の人にもきっと吃りの人がいただろう。
その人も松明を掲げながら「サイレヤ、サイリョウ」と叫び、村中を練り歩いたことだろう。
そのことで自信はついただろうが、吃音が改善したかどうかは分からない。
それが吃音の不思議なところだ。
またそんなことを考えなら歩いていたら、帰り道が変わってきた。
川沿いの道を歩けと指示される。
もと来た道から坂を下りて、今度は階段だ。
ここで30分ほど待たされる。
足元は暗い。
今度は畦道のような石ころだらけの道を歩かされる。
橋を渡ると駅前が見えた。
時計を見ると8時を回っている。
でもすぐに電車に乗れる。
しかし、このまますぐに駅に行けると思っていたら、貴船の方に向かう道をずっと歩かされるではないか。
途中で折り返し点があるのだろうが、このままではいつ電車に乗れるか分からない。
私は今いる列からエスケープして、トイレを探した。
あったが長蛇の列だった。
仕方がない駅まで我慢だ。
今度は駅に向う反対側の列に並ぶ。
駅のホームはすぐそこだ。
しかしホームにそのまま行かずに、駅前広場に回されてしまった。
何時になったら電車に乗れるのだろうか?



嵯峨野線の終電車に間に合うだろうか?
それだけが心配だった。
私はまた列から外れ、何とか駅のトイレで用をすまし、先ほどの列に並ぶのだが、その駅前で1時間近く待たされてしまった。
それでも列の先頭にいたので、何とか座席に座れたのは良かった。
時計をみると9時15分だった。
折り返し点から2時間近くかかっている。
でも電車に乗れて良かった。
そう思うと疲れがどっと出てしまった。
今日は何度時計を見たことか?
あのまま貴船に向かう列に混じったままだったら、いつ帰れるか分からなかった。
トイレ探しが功を奏したのだろう。
今回火祭りを見た時間よりも、帰りの列に並んでいた時間の方がずっと長かった。

私の感想としては時間に余裕のある人しか鞍馬の火祭りはお勧めできない。
それに長時間電車を待つことを覚悟しなければならないから、体力も必要になってくる。
トイレは長蛇の列を覚悟しなければならないし、夜になると急に寒くなってくる。
また暗くて石ころだらけの道もあるので、お年寄りにはかなり危険かも知れない。
そう考えると自然と年齢の制限が出来てしまう。
私はそのような事とは知らずに行ったのだが・・・・・

今年の3月ブログでも書いたが、手軽に火祭りを楽しみたいのなら、毎年3月15日に行われる清凉寺のお松明式かも知れない。
それに炎の迫力なら断然こちらかも知れない。
とにかく7メートル大松明が3本焼かれる。
清凉寺の大きな境内が炎で真っ赤に染められる。
その迫力は自身で体験してみなければ分からない凄まじさがある。
毎回そうだけど、今年は本当に大丈夫かと疑ったほど途轍もない炎が上がった。
でもこのお松明式も、外国からの観光客に知られるようになれば、そう手軽に見れなくなるかも知れない。
きっとそのうち整理券が配られて、入場制限がかかるだろう。
それもそう遠くない話だと思う。
それも寂しい話だ。
昨今の花火大会と同じで、誰のための祭り、催しだと嘆くことになるのだろう。