私はこの街の近くに長年住んでいるが、どこまでこの街のことを知っているかと聞かれれば、答えに窮してしまう。



この街の何を知っているのか?
またこの街の何を知らないのか?
いや、それとも何も知らないのか?
この街の名所という所にはほとんど行ったことはあるが、今思えば、それはただのお決まりの観光コースだった。
それでこの街を知ったことにはならないのだろう。
ただ、綺麗な表面だけを見ていることでしかない。
その街に住む人々の生活や、風習までも肌で感じなければ、本当に知っているとは言えないのだ。
だからなのか、欧米人たちは一所に留まり、長期滞在型の旅をする人たちが多い。
彼等は薄く広く知るよりもよりも、深く狭く物事を探求したいのだろう。
私は旅をそこまで突き詰めて考えてはいないが、観光地をスマホで撮るだけで終わってしまってはもったいない気もする。
有名な観光地でなくても、自分の住む近くの街でも、まだまだ知らない所はいっぱいある。



どの街にもその時代、時代の顔があるようだ。
街は時代によって、移ろい変わっていく。
私はその渦中にいる人間だが、その変化は周りにいる人間よりも遅い気がする。
不思議なもので、中心にいるよりも周りにいる方が、何事も変化が激しいのかも知れない。
私の視点で京都の街を再度視てみると、いろいろなことが観察できる。
職業により街の見え方も違うだろうが、私のいる世界は昨今、様変わりをしてしまった。
ほとんどの人達が仕事を代わり、また辞め、廃業した。
そのことにより、京の街は変わってしまったが、傍から見ればあまり変わったようには見えないらしい。
大きなメーカの工場が休業したり、壊されたりすれば街並み変わるだろうが、家内工業的な職人の街は分りにくいからだろう。
それでも、街の心臓部といわれる室町はすっからかん、多くが幽霊ビルになってしまっている。
これからそのビルらが売りにだされるだろうし、また壊されるだろう。
この街にとって、一つの大きな時代が過ぎ去り、伝統産業の衰退の象徴になってしまった。



この産業に関わっていた人たちは、茶道や華道の習い事もしていた。
また問屋の当主たちは能楽などの習い事もしていた。
そのことによって、茶道や華道、また能楽の各流派も潤った。
東京のような大きな街ならいざ知らず、京都のような小さな街で、茶道の家元も、華道の家元も、また能楽の家元も多い。
でもこれもそれも、地場産業である伝統産業が元気であったから成り立っていた。
お互いを支えあっていたのだろう。
まだ街にも産業にも余裕があったからできたことかもしれない。
しかしこれからはそうはいかないだろう。
伝統産業と習い事が、職業として上手く繋がっていたからできたことで、他の産業では上手く繋がらないし、またその必要もないだろうと思う。
伝統産業の場合には、茶道や華道等、両方の職業がお互いに影響しあい、
支え合い発展してきた側面がある。
それにより、この街は文化都市としてのプライドも、ブランド力もてた。



住民が様々な習い事を通して、芸能や美術にも理解があり、それなりの見識もあったからだ。
しかしこれからは違ってくる。
伝統産業に関わっていない職業に人たちは、茶道や華道、まして能楽等興味がないだろうし、また茶道や華道、それに能楽などのお金のかかる習い事などしないだろう。
と言うことは、伝統産業と同じように、茶道も華道も、そして能楽も次第に衰退していくのだろう。
京都の街に五つある花街も、コロナ禍でも何とか持ちこたえたと見られているが、そんなことはない。
街の人口の割に花街が多すぎる。
室町や西陣の旦那衆も、花街で遊ぶ財力をもう持ち合わせていない。
先で書いたようにどこの問屋も、閑古鳥が鳴いて動いてはいないからだ。
そのような状態で、花街の舞妓や芸姑衆が着物を新調するのは並大抵ではないだろう。
以前なら、問屋の旦那衆が阿吽の呼吸で新調してくれていたものが、さっぱりお茶屋に顔を見せなくなった旦那さんもいるはずだ。
多くの問屋さんはもう廃業しているのだから仕方ないだろう。
またどこの問屋も相続で悩んでいるから、それどころではないかも知れない。



私も得意先から都をどりや、鴨川をどりのチケットを時々頂いたことはあるが、最近はそんなこともなくなった。
京都の一つ時代の終わりなのだろう。
この街は、もう昔のような華やかな時代には戻れない。
それでも昔のように華やいだふりをしなければ、観光客は来てくれないと思っている。
無理をして厚化粧をしているような感じだ。
昔の名前に頼っているだけでは、今後の問題は解決できないと分かっている。
今までも、目に見えない文化遺産で食ってきた処はある。
それは京都というブランド力だ。
だが、もうその遺産も大方食い尽くしてしまった。
今の街に魅力がなければ、いくら昔の名前で観光客を呼んでも来てくれない。
現実の京都の姿は、多くの老人たちと、修繕もできていない街並みだけになってしまった。
現実の京都の景観と、京都という言葉の響きは少しずつズレてきだしている。



これからもっとズレが大きくなってくるだろう。
その時どうするのだ。
このままだとお寺と神社の街だけになってしまう。
以前は特殊な品物を創る職人さんや、また一つの職業だけに特化した小さな商いをする商店などがあった。
今はもうほとんどそのような店は残ってはいない。
残念だ。
これでは日本の手仕事が消えてゆく。
大げさでなく各地方の伝統工芸を創る職人さんたちは、京都にある各専門の特殊な道具や材料を作る人たちと、その専門店に頼っている。
専門店や道具や材料を作る人達がいなければ、日本の工芸品も消えてゆく。
売れないのだから仕方ないと思うが、何か悲しい。
京の街並みが他の都市と違うのは、このような小さな商店や職人たちの住居があるからだ。
連綿と続く歴史が街並みとして残っていたからだ。
だがそれが途絶えてきだした。
歴史があって、魅力もある商品なのだが、値段が高く職業として成り立たたなくなっているから、それに関する裏方の道具を作る職人さんもいらなない。



だから後を継ぐ職人さんもいなくなる。
今までは人がいての街だったが、これからは街があっての人にかわっていくのだろうか?
これでは今後の文化財の修復など難しくなるのではないかと危惧してしまう。
これからどのような街に変化していくのだろう。
今のまま古都としての魅力を維持できるのか?
それとも中規模の地方都市になってしまうのか?
だがもう否応なしに、この街は大きく変化している。
残念ながらこの変化は防げはしない。
そういえば街の中心部は小さなビルや町家がなくなり、そこには大きなマンションがのっそり建っている。
今までのマンションのように安っぽく見えない佇まいだ。
全てが億ションらしい。



そんな高級マンションを誰が買えると思ってしまうが、億単位のお金でも即金で買う人がいる。
噂によると、マンションの住民たちは中国人や東京の富裕層らしい。
月一度使うか、使わないような別荘となっているという。
ホテル代と思えば安いのかも知れない。
残念ながら、京都の中心部は京都人のモノではなく、中国人や東京の富裕層のモノになってしまったようだ。
貧乏人はもう京都の中心部には住めないということだろう。
これから益々その傾向は強まってくるのだろう。
マンションを買える人たちは、京都を大きなテーマパークと見ているのか
も知れない。



若い時はディズニーランドで、歳をとれば、京都の中心に住処を持つ。
これが彼らのステータスなのかも知れない。
しかし、彼らの見ている京都像は何年も前の、いや何十年も前の華やかな京都であって、今の京都ではないのだが?
文化庁はやってきたが、もう京都は以前のような文化都市ではない。
ただの地方都市になりつつある。
街は人間が創るもので、行政や土建屋さんの手では作れないものだ。
歴史のある京都なら尚更である。
職人の街、京都は職人の技と共に消えていく運命なのだろう。
今私達が見ている京都は黄昏の時の夕陽のようだ。
夕陽が水平線や、山並みに沈む直前、最後の輝きを放つ時がある。
今の京都がきっとそれなのだろう。
京都に興味のある方は、今の京都を存分に愉しんでほしい。
もうこれまでの京都は夕日と共に消えてゆくのだから。