前回、私は秋篠宮佳子さまのブログを書こうと決めたのだが、何かとんでもなく不敬なことをしているのではないかと、ブログを書くことを躊躇してしまった。
皇族の方のブログを書くことが怖いのと、畏れ多いという気持ちが心の中で混同していた。
昔なら、皇族の方のことをあれこれ書くなど、不敬罪で逮捕されるようなことなのだろう。
私の中では、本当にそのようなことをしていいのかという気持ちが強まるし、消えない。
畏怖の念がそうさせるのだろう。



私を含めて、日本人には皇室に畏怖の念を抱くものと、そうではなく皇室に敵意に近い感情を持つ人たちがいる。
しかしその敵意の感情は誰かの借り物で、そのほとんどが他人の言動に惑わされ、感化されたことによるものだったりする。
私も一時はそのような考えに憑りつかれたことがあった。
自分自身が突き詰めて考えて出た答えでない、他人の受け売りの考えを自分のモノと思い込んでいた。
それは思想という大げさなものではなく、ただの大人になる前の麻疹のようなものだった。
ではなぜそのようなことになるのか?
これは新興宗教にハマるのと同じで、何かにしがみつきたい心理からだろう。
それだけ生きることが皆不安なのかも知れない。
当の本人はそう思っていなかったりするのだが・・・・・
自分の立ち位置が見つけられずいる人たちは多い。
自分の立ち位置が分からないから不安で堪らないのだ。
だから何とか自分の属する立ち位置を、必死で見つけようとする。
立ち位置が見つけられずに、何時迄も右往左往している人もいる。
その代わりなのか、自分の不満を安全な形でぶつけられる相手を見つけ出す。
不満をぶつける相手は皇室だったり、韓国や中国になる。
それが彼らの立ち位置ということになるのだろうか?
中には子供時代に日教組によって、反天皇の洗礼を受け、その後もずっとその呪縛を引きずっている人もいるかも知れない。
子供時代の呪縛はなかなか解けないからだ。
私のように日教組の洗礼を受け、その後も創価学会で又も洗礼を受けたものもいる。
でも私には皇室に対する敵意はない。
畏怖の念もあれば、敬慕の念もある。
どちらかといえば敬慕の念の方が強いだろう。
最近ではオリンピックやWBC、それにワールドカップでの国旗掲揚の時に、日本選手はそろって君が代を歌っている。
昔には考えられないことだ。
皇室に反感を抱く人も減ってきたのだろうと思っていた。
それがどうしたことだろう。
減ってきているどころではなかった。



アメーバブログで皇室や秋篠宮佳子さまを検索してみると、信じられないような酷い中傷ブログがいっぱい出てくる。
こんなことでいいのかと思うが、日本では言論の自由を保障しているのだから、下手にアメブロもブログの投稿を拒否できないのだろう。
だが皇族の方の身体についての書き込みもあった。
これはもうただの中傷という範囲ではなく、私達国民に差別意識を植え付けようとする意図がありありだ。
私はこの悪質なブログがすべて、皇室に不満を持った人たちのブログだとは思っていない。
一部はあるだろうけど、全てではないと思っている。
誰かの、どこかの国の意図もあるのではないかと思っている。
確かに皇室や天皇家に敵意のような気持ちを抱く人達は一定数いることは確かだ。
しかしそれは天皇制廃止論者の方々で、日教組の洗礼を受けたことがある私には、彼らの考えも少しは理解できる。
でも、皇族の方個人を狙い撃ちするような中傷はしないだろう。
私はそう願っている。
もしそうだとしたら、反天皇制論者でも、何でも、そこに差別意識を持ち込む人間は一発アウトだ。
人間失格の烙印を押すしかない。
それよりも、私はある妄想を抱いている。
これはあくまで私の妄想だ。
確信はない。
天皇制を良く思っていない人達は日本だけではなく、海外にもいるだろう。
そうなのである。
もしかしたらブログを書いて投稿している人達は、日本人ではない場合もあるのではないか?
こう考えると分りやすい。
その人達が外国ではなく、日本にいる人達なら?
誰もが考え付くような方法で、世論を自分たちに都合の良い方向に向かわせることができる。
日本の世論を分断し、力を弱めたい国には良い方法だ。
ただブログを書くだけで世の中を動かせる。
コネのある放送局や新聞社、また野党や自民党、それに宗教団体に頼む必要もない。
自国の人間を使えば、それほどお金もかからない。
その人達が書いたブログにいいね!を多くつければ、この誰が書いたか分からないブログでも、それなりの発言権を持たすことができる。
そのブログも一つや二つではなく、何百、何千となれば、一つの大きなうねりとなる。
私達が常日頃、世の中の動きと思っている世情、潮流というモノの中には、海外の人達が作った世論工作もあるのではないと思う。
そう考えるとネットの世論と言うモノが、急に怪しく信じられなくなってくるが、これはこれでほどよく利用し、付き合っていけばいいだけだ。
今や外国勢力が、日本の至る所で世論工作を仕掛けていると思っておいて不思議はない。
私達はそのような危うい世界で生きているのだろう。