秋篠宮佳子さまは28歳になられているらしい。
そうすると、皇室から離れられた小室眞子さんは31歳になられていることになる。
よそ様のお嬢さんの御歳を数えるのもどうかと思うが、いつもながらの女性週刊誌の皇室への中傷記事を目にする時、愛子さまも含め、女性皇族の行く末を考えてしまう。
私のようなモノが皇室の将来を考えても仕方ないと思うが、一日本国民として素朴に憂いてしまう。
皇室の存在が危うくなるということは、日本の将来にも関わることになるのだろう。
つまり日本国民すべての人たちの将来にも、皇室の存在の有無が影響を及ぼすことになる。
今では皇室の存在自体が、ゴシップのネタぐらいにしか思っていない人たちもいると思うが、皇室が、天皇家が、途絶えるということは、日本国民にとって、どれほど危ういことになのか、大げさでなく私にはそう思えて仕方がない。
一部の人たちは皇室よりも、日本国憲法のほうが大事なモノなのかも知れない。
そんなことを考えているのか、いないのか、秋篠宮家への執拗な中傷は今も続いている。
それでも秋篠宮家の人々は公務を立派に勤められている。
そんなの当たり前だという人もいるかも知れないが、自分の身になって考えればなかなかできることではない。
自分の気持ちを波立たせずに、穏やかに過ごすのは並大抵のことではできない。
それを皇室の方々はなされている。
頭が下がるばかりだ。
しかし、その苦労を皇室の方々は決して私達には見せないし、また見せようとは思わないだろう。
秋篠宮佳子さまはガラスケースに入ったお人形さんのような生活をされて
いる。



佳子さまの日常は、よく言われるガラスの天井どころではない、正面も後ろも、横も全てが透明な壁で、庶民の世界からは隔離されている。
それがどれだけ息苦しいことか?
私のようなものでも想像はできる。
しかし、それは想像だけで、本当の苦しさは当人でしか分からない。
宮家で生まれたのだろうから、そんなことは慣れっこだと考えることもできるだろうが、子供時代からの友達が次から次へと就職をし、結婚をしていく様をみると、自分自身の存在に疑義をもたれるはずだ。
そして自分もこれから先、彼女、彼らと同じような普通の生活がしてみたい、またしなければならないという強い焦り、焦燥感のようなモノが出てきてもおかしくはない。
それはお人形さんではない、血の通った普通の人間の暮らしがしてみたい一心からだ。
この考えは贅沢ではない。
普通の誰でも得られる権利だ。
時には男友達と繁華街の飲み屋にも入りたいし、コンビニで買い物もしたい。
普通の若い女性の生活を満喫したいだけだ。
その普通の生活には辛いこともあるだろうけど、自分の存在は確認できる。
しかし佳子さまの生活には自由はない。
いつも誰かの眼が光っている。
そこにはプライバシーがない。
日本国民なら、誰でも知っている佳子さまだが、もしかしたら透明人間のように、佳子さまは自分自身を存在しない人間のように思われているのかも知れない。
でも、本当の透明人間なら消えることもできるが、自分の身体はそのままそこにある。
心だけが透けて空っぽで、虚しさだけが募る。
佳子さまは自分の存在について、これまで何度も疑問を持たれた可能性はある。
お父様である秋篠宮さまには、「なぜ私はこのような不自由な籠の鳥のような生活をしないといけないのだすか?」と問われたこともあっただろうと思う。
その時、秋篠宮さまはどう答えられたか分からないが、佳子さまの真剣な眼差しを眼にして、さぞかし辛い思いをされたのだろう。
父親なら誰しも、子供には自分と同じ苦労をさせたくはないはずだ。
しかし、実際は子供たちに辛い思いをさせている。
だが、国民の一部には、「皇室に生まれたのだから、そんなこと仕方ないだろう。その代わり贅沢な生活をさせてもらっているのだから、それぐらい辛抱すればいい」という考えもある。
しかしこの辛抱も限界に近づいているのかも知れない。
小室眞子さんがもう皇族の生活などしたくないと出て行かれた。
これは宮内庁にすれば、思いがけない行動だった。
宮内庁の職員からすれば、皇族など人形のように扱えると思っていただろう。
しかしそれが違った。
これは皇族の宮内庁に対しての反乱といっていい。
自分たちも血の通った人間としてもっと扱ってくれというサインだろう。
今まで上皇様はじめ、皇族の方々は国民の模範となるように一生懸命尽くされてきた。
でも、一生懸命尽くすことが当たり前になっていることが、どれほど皇族の方々を苦しませていただろうか。
またそのことを誰も気づいていなかった。
これは私の思い込みか?
国民は無言の圧力を皇族の方たちにかけ続けている。
でもそんなことをしていてら、これから先、皇室は続かなくなるだろう。
男系の天皇でないと意味がないという発言をしている人もいるが、皇族も血の通った人間である。
人形ではないのだ。
どうも皇室と国民の想いが少しづれてきているのかも知れない。
しかし本当にそれでいいのだろうか?
皇室も方々もそれで納得されているのだろうか?
国民も今までのように皇室に尊敬の念を抱くことができるだろうか?といった不安もある。
それでも、皇室の方々はもう少し人間らしい暮らしをしても許されるはずだ。
また佳子さまは、お姉さんの眞子さんのように、恋愛をして結婚をされたい気持ちもあるのではないか?
私は人形ではないと思いも強いはずだ。
誰かのいいなりにはなりたくないだろう。
でも、お姉さんの眞子さんのことがあるから、宮内庁も佳子さまの結婚にはとても慎重になっている気がする。
小室さんとの結婚の時は、宮内庁があちこち手を尽くして、小室さんとの結婚を破談にしょうとしたが、それでも眞子さんは負けなかった。
小室さんと結婚しょうと何年もがんばった。
佳子さまは、眞子さん以上に意思が強いように思う。
佳子さまにもし想う人がいれば、その人と添い遂げたい気持ちは強いだろう。
それは切実な願いにちがいない。
佳子さまの結婚話が、姉の眞子さんのような騒ぎにならないように願うばかりだ。