やっと、北風の吹く寒い季節から、やわらかい風が吹く季節になった。
普通はこの頃から、暑くもなく、寒くもない一年で一番過ごしやすい季節になるのだが、私は出かける時の服装に困る。
この時期は一日の気温の変化が激しい。
朝方はセーターが欲しいほど寒いが、午後からは半袖でもいいような暑さにもなる。
家にいる時はその時、その時間に合った服装にすればいいのだが、出かけている時はそうもいかない。
朝方、ジャケットを羽織っていいぐらいの気温が、昼頃になると暑くなってしまう。
そうなると脱いだジャケットの扱いに困る。
ジャケットは小さなショルダーバックには入りそうもない。
そうかといって他にジャケットを入れるバックも持ってはいない。
やはり手に持つしかないのだ。
暑い日中を、手にジャケットを持つのも億劫になる。
もう少し薄着をして出かけていればと後悔もしてしまう。
おまけに足元を見れば革靴だ。
革靴は歩きづらく重い。
スニーカーにすれば良かったと、また後悔する。
重たいといえば、肩に掛けている革のショルダーバックも小さいわりに重たい。
では、ジャケットを入れられるようなリュックを背負えば解決できるのだが、私にはまだこのバランスはしっくりこない。
私の中ではまだリュックはリュックなのだ。
でも最近はあのロールスロイスまでがSUVを販売している。
正統派の中の正統派の車だ。
舗装もしていない石ころだらけの田舎道を走る車を、ロールスロイスが作るなど、誰が考えていただろうか?
時代は知らぬ間に変わったのだろう。
服装に例えれば、タキシードを着てリュックを背負うようなモノなのかも知れない。
そうするとジャケットにリュックもおかしくはないのだろう。
理屈では分かるが、でもやはり私には似合わないような気がする。
薄い夏物のジャケットもあるが、実際はそんなものを着て歩けない。
そのような服装のできる人たちは、冷暖房の効いた環境の良い処にいる一部の人たちだ。
また夏物のジャケットは、日本の蒸し暑い環境には合わない。
夏物といってもやはり着れば暑いし、蒸れる。
五月の気候の良い時でも、着れば汗だくになる時もある。
外歩きが好きな私には実用的ではない。
それに、お洒落な服には汗が似合わない気もする。
だから出かける時は、できるだけアウトドア、登山用の服装で街中も歩くようにしている。
ジャケットは登山用のモノに変わった。
ジャケットといっても春の街歩きだから、本格的なモノではない。
ウインドウブレイカーや、パーカーの類だ。
そのほとんどはナイロンやテトロンで出来ている。
軽くて丈夫で、少しの雨なら通すことはない。
扱いも楽で、シワや埃に気を使わくていい。
歩いていて、暑くなればその場で脱ぎ、背負っているリュックにそのまま入れればいいだけだ。
今までの服装と違い、なんと楽で自由なのだろう。
リュックのおかげで両手があく。
これは思っているよりも動きやすい。
本屋に行っても、片手なら、気になる本があっても、手に持ってページもめくれなかったが、両手ならページもめくりやすい。
買い物をするときでも両手が使えていい。
でも本当にそれでいいのだろうかという気もしてくる。
楽なのはいい。
それは確かだ。
それでも・・・・
リュックを背負う時代が本当にいいのだろうか?・・・という疑問だ。
この現象は日本だけではない。
アメリカもヨーロッパもそうだ。
日本は阪神大震災のころからリュックを普段でも背負う人たちが多くなってくる。
電車が西宮から先通っていないから、リュックを背負って被災地の人たちの元に、歩いて届けていた人たちが多くいた。
両手には荷物をいっぱい持って、背中にはリュックを背負い、神戸まで歩く人たちの姿。



この人たちは神戸まで何キロ、何拾キロ歩くのだろうか?
この先には、両親や子供、そして親せきや友人がいるのだろう。
大切な人の安否を心配して被災地に入る人たち。
見ているうちに胸が熱くなってくる。
その情景は何か、映画で観た戦後の焼け跡の光景のようにも見えた。
大阪神戸間ではリュック姿の人たちが急に増えだす。
おしゃれなバックよりもリュックの方が実用的で便利だと思ったのだろう。
それから後、リュック姿の人たちが全国的に増えてくる。



阪神大震災の後、大きな地震があちこちで発生したからかも知れない。
ではヨーロッパやアメリカでリュック姿の人たちが多くなっているのはどうしたことだろう。
これにはいろいろな説があるようだが、その一つに自転車通勤がある。
ニューヨーカーと言われる人たちが気軽に自転車で通勤している。



当然背中にはリュックを背負っている。
その姿がかっこいいと思ったのか、世界各地で自転車通勤する人たちが多くなったようだ。
日本でも時々見かけるが、ニューヨークのように自動車道と自転車道が区別されている処がまだまだ少ないのが残念だ。
最近ではウクライナでの戦争で危機感を抱く人たちが多くなったのか、ヨーロッパでもリュック姿の人たちが多くなってらしい。



ちょっと昔なら、京都に観光に来る西洋人たちは概ねおしゃれをしていた。
彼らがリュックを背負っている姿を見たことはない。
それが最近は皆バックパッカーのような恰好をしだしている。
ラフな格好は楽でいいのは分かるが、お金持ちはお金持ちのような恰好をもう少ししてほしいものだ。
以前は無理をしてでも、皆おしゃれをしていたものだが、もう誰も無理をしたくないのだろうか?
女性ならジョーゼットを素材にした、小さな花柄の可愛い色のワンピース
はどうだろう。




それに合わせて、男性は男性で無理をしてでも、麻のジャケットを着なくてはならないのだろう。
そう考えると、おしゃれとは無理をすることなのかも知れない。
つまり背伸びだ。
やせ我慢だ。
もうやせ我慢を誰もしなくなった時代なのだろうか?
いや、やせ我慢もできなくなった時代なのかもしれない。
希望もなくなり、やせ我慢が馬鹿らしくなっただろう。
我慢は誰かに見せるものだ。
見せる相手がいなければやせ我慢もしなくていい。
でも本当は見せる相手がほしい。
おしゃれもしてみたい。
今の時代が悪いのは分かるが、効率ばかり求めると効率の悪いことを誰もしなくなる。
やせ我慢やおしゃれは効率、または能率の悪いことなのだろうか?
地震や戦争がいつ起こるか分からない時代だ。
先を心配しても仕方がない。
こんな時こそ今の時代に反抗して、効率の悪いことをしてもおもしろいと思うのだが、まだその兆候は見えない。
多くの人たちがおしゃれをして出かけるだけで、世の中の委縮したムードは変わる。
そのようになればいいのだが、ならないのかな~

☆最後に女性の写真は佐々木希さんです。