つボイノリオさんのハイヤングKYOTOをYouTubeで懐かしく聴いた。
私のブログを読んでくださっている方は、つボイノリオさんの名前を初めて聞いた人もいるかも知れないが、名古屋や京都では有名人である。
80年代から90年代にかけて、京都発のラジオ番組が、全国の深夜ラジオを席巻したのは、つボイノリオさんや日高のり子さんの力があったからだ。
そのつボイさんの声がYouTubeから聴こえてきた。



昔のままのあの声だ。
涙が出るほどなつかしい。
80年代のあの頃の想い出が次から次に出てくる。
ラジカセ隆盛の時代で、中森明菜と松田聖子がアイドルの中心にいた。
屈託のなさそうな松田聖子と屈託がありそうな中森明菜がいた。
簡単に表現すれば明と暗の二人の存在があった。
私はもちろん中森明菜贔屓である。
あの当時、タモリが「無口な大人しい人間」を、一言で暗い、根暗と片付けてけてしまった。
この後、根暗や反対語の根明の言葉が急速に流行りだす。
良いも悪いもタモリの一言で、「無口で大人しい人間」は否定的に捉えられたことになる。
また屈託のある人間も根暗な人間になるのだろう。
では中森明菜も根暗なのだろうか?
タモリの芸はオタクの芸、四畳半の芸である。



タモリ自身も根暗な人間なのだろう。
私の様な吃音のある人間は、超暗い人間になってしまう。
何をもってタモリは人の性格を明と暗に分けていたのかわからないが、この価値基準は今も生きている。
そんなこととは関係なく中森明菜はすごかった。
中森明菜は、根暗な性格など超越した存在である。
日本建国以来の絶頂期だった80年代の時代を、根暗であろうと思われる中森明菜が席巻した。
そして中森明菜は時代を作った。
明菜は時代と供に輝き、その輝きは誰にも負けなかった。
中森明菜はこれからも伝説として後世に残るだろう。



私の私見だが、深夜ラジオの熱心なリスナーは大方根暗な人が多いように思う。
深夜ラジオにハガキを送るとなると、尚更その傾向は強くなるように思う。
深夜ラジオは番組を受け持つDJと、リスナーとの掛け合いで番組が面白くなるか、そうでないかになってしまう。
つまり根暗なリスナーを引き付けるほど面白いハガキが送られてくることになる。
その点、つボイノリオさんは根暗の人たちに人気があったのかも知れない。
根暗なリスナーと考え方や、価値感が似ている処もあったのだろう。
また、リスナーにすれば、つボイノリオさんは根暗な人間でも、分け隔てなく受け入れてくれそうな気がしていた。
つボイさんはラジオでしか知らないけれど、隣のお兄さんのような親しみも感じる。
ホントはそんなお兄さんはいないのだけれど、もしいるとすれば、つボイノリオさんのようなお兄さんになるだろう。
古ぼけた木造のアパートの前で名前を呼べば、ひょいと顔を出してくれるような優しいお兄さんである。
彼のアパートに遊びに行けば、部屋は散らかっているが、今流行のレコードをかけてくれたり、難しい本の話してくれたり、また悩み事の相談にものってくれる。
深夜ラジオはまさに、つボイノリオさんのアパートの部屋に遊びにいつている感覚だった。
部屋には無造作にエロ本や、エロビデオが積み重なっているが、それもまたリアルで楽しい。
そんな優しい人生の先輩、それはつボイノリオ先生だった。
タモリやビートたけしではなかった。
そしてこの京都発のハイヤングKYOTOは深夜ラジオのメッカになっていく。
今のブログやツィッターも深夜ラジオのハガキの延長で、根暗なオタクの人達の力で成り立っているのかも知れない。
しかし、今聞いてもつボイノリオさんは面白い。
タモリやビートたけしに負けていない。
つボイノリオさんは今も名古屋のCBCで「聞けば聞くほど」という番組をもっておられる。
聞いてみると今も昔と変わらずに面白い。
興味のある方はYouTubeでも聞けますので、ぜひ一聴してください。