以前にもブログ「安倍さんが亡くなった場所と文春の陰謀説拡散」で書いたことがあるが、当時厚生省の職員であった西岡昌紀が執筆した原稿を載せたことにより、文藝春秋社の月刊誌「マルコポーロ」は廃刊に追い込まれた。
後でも書くがマルコポーロの編集部も、文藝春秋社もこれは全く予期していなかったことだった。



日本を代表する出版社でもどうのこうのと偉そうなことを言っていても、実は井の中の蛙状態だったことがこの事件でバレてしまった。
「マルコポーロ」が発売された1995年の1月17日だったが、この日の未明に起こった阪神大震災で大騒ぎだったため事件は注目をされることはなかった。
今では文春砲と恐れられる?文藝春秋社だが過去にはお粗末なことをしていたのだがあまり知られていない。
では「ホロコースト否認論」を書いた西岡昌紀とはどのような人物なのだろうか?
北里大学医学部卒業して元厚生省の医務官になる。
専門は脳神経内科。
学歴、職歴からしてか非の打ち所の無い人物のように思える。
西岡氏が1995年「マルコポーロ」2月号に掲載された記事では「戦後最大のタブー。『ガス室』はなかった」と書かれている。
西岡氏の否定論を要約するとこのようになる。

〇 西岡氏よればガス室はポーランド共産主義政権もしくはソ連による捏造に 
  よるものだ。

〇 ユダヤ人絶滅計画も存在しなかった。
  
〇 戦後連合軍が押収したドイツ政府文書を読み解くと、ナチス党はソ連を打
  倒した後、ヨーロッパのユダヤ人をロシアに強制移住させようとしてい
  た。

〇 ユダヤ人の大量死は「ガス室」によるものではなく、衛生状態の悪化によ
  る発疹チフスの爆発的発生による病死である。

読まれている皆さんもこのような難しい問題をブログに書かれても困るだろうし、私も分からないことは長々と書きたくはない。
この事件で分からないのは、歴史修正主義的ともいえる西岡氏の「ホロコースト否認論」をなぜ文藝春秋社は、また花田編集長は記事にして掲載したのか?
西岡氏はどのような伝手で文藝春秋社の花田氏に近づけたのか?
また簡単に特集として文藝春秋社の雑誌に載せることができるのか?
その場合西岡氏の仮説を専門家に検証してもらったことがあるのだろうか?
この様なことが全く分からない。
また調べても出てこない。



きっと西岡氏と花田氏を繋ぐ誰かがいたことは確かだろう。
間に立つ人物も西岡氏の「ホロコースト否認論」を面白い読み物と思っていた可能性はある。
全く知識がなければ何が書いてあるのか分からないが、少しばかりの知識があったから面白く読めたのだろうと理解する。
その場合、月間「マルコポーロ」の購読者も面白く読めると考えたのだろうか?
西岡氏の推論が少しばかり間違っていようと、面白ければそれで良いと考えた節はある。
また雑誌は売れると判断した。
そうでなければ専門家に西岡氏が書いたモノを見せるはずだ。
専門家は読んだ後すぐに「記事にするのは止めた方がいい」と言うだろう。
実際その通りになった。
世界中のあらゆる人たちがホロコーストのことを研究している。
日本の専門外の知識人が趣味で調べているのとは違う。
何処かに穴があると思っても、その穴と思えるモノは何度も推考され検証されつくしている事柄であったりする。
ドイツの反ユダヤ主義の人たちでさえホロコーストを否認していない。
認めているのだ。
日本人の間で南京大虐殺はなかったという議論が一部であったりするが、中国人が聞けばどう思うだろう。
中国人を10万人を殺せば大虐殺で、1000人殺しても大虐殺にならないのか?
日本人がしている議論はそんな議論だ。
私が中国人ならこのような議論には納得できないし、そんな議論をしている日本人を軽蔑するだろう。
私もそうだが、日本人はこと原爆のことを持ち出されるとすごく過剰反応するが、他国の人たちの心の痛みにはどこか鈍感な処がある。
自分に都合の悪い話は聞きたくないという心根が何処かにあるのだろうか?
少し話が横にズレたので元に戻すと、花田氏は西岡氏の原稿を記事にした。
この場合文藝春秋社の上層部にも了解をとったのだろう。
その時はまさか文芸春秋社の社長まで辞任し、月間「マルコポーロ」が廃刊の憂き目に遭うとはさすがの花田編集長も考えてもいなかった。
さっそくアメリカ合衆国のユダヤ人権団体が文藝春秋社に嚙みついてきた。
週刊文春や文藝春秋の発行誌への広告を企業に圧力をかけて差し止めるよう求めてくる。



それにより文藝春秋社の田中健五社長は謝罪会見をしなければならない破目に陥る。
花田編集長は解任であった。
謝罪会見に至る以前の文藝春秋社内ではいろいろな議論があったようだ。
例えば各国に在る日本大使館に石を投げられる可能性も考えたという。
実際はそんなことは行われないのだが、渦中の社員たちにはもう冷静に物事を判断、考えることが出来なかったのだろう。
その後、ユダヤ団体は文藝春秋社の謝罪を受け入れ、文藝春秋社の社員に3日間の講義をすることになる。
花田氏は1日目だけ講義に参加したが、後の講義には参加しなかったそうだ。
講義には社員300人の内100人が参加しなければならなかったそうで、ユダヤ人団体は想定質問も考えており、予定どうりの質問を文藝春秋社の社員にさせている。
何か日本の人権活動団体に似たような行動をしている。
どこの人権団体も同じようなことをするのか?と思ってしまう。
日本の各新聞社は産経を除いて全て西岡氏に批判的な論調であったらしい。
また一部の人たちはユダヤ団体による言論封殺とまで言っているが、これは違うだろう。
文藝春秋社がユダヤ団体等に反論をする材料を揃えておけば良かっただけのことだ。
それができてなかった。
ユダヤ団体が何かを言ってきても、しっかりした反論の材料さえあれば月間「マルコポーロ」の次号に反論を掲載することもできたはずだ。
広告主もそれで了解してくれただろう。
でも何もなかったのだ。
西岡氏の「ホロコースト否認論」は推測で推論だ。
決定的な反論の材料にはならない。
文藝春秋社はもしものことまで考えていなかった。



花田編集長はあやふやなまま西岡氏の「ホロコースト否認論」を掲載してしまった。
記事を掲載する前に、西岡氏の原稿を専門家に見せていれば大きな問題にもならなかった。
それにユダヤ団体にちょっと圧力をかけられただけで、文藝春秋社は簡単に降参してしまった。
何の反撃もせずに簡単に謝罪してしまった。
これは将来に禍根を残すだろうと思う。
また著者である西岡氏に何の相談もなく文藝春秋社はユダヤ団体に謝罪している。
西岡氏すれば納得できない行為だし、裏切られた思いだろう。
自分が大事にしていたモノに泥を塗られた思いだろう。
これもそれも売れればそれで良いという文藝春秋社の体質があったからだ。
大事な著者の権利も守ることができなかった。
いゃ守ることを自ら捨ててしまった。



それよりなにより言論の自由よりも収入を優先させた。
お金の為に文藝春秋社は簡単に著者を売ってしまった。
本当にそれで良かったのだろうか?
確かに出版するにはお金がいる。
お金は大事なモノだ。
それは分かる。
でも・・・・・
それが本当の出版社の体質なのだろう。
ただメッキが剥がれてしまっただけだ。
文春砲なんてただの弱い者虐めでしかない。
JRのキオスクで週刊文春の不買運動をされてから、更に文春の弱い者虐めは多くなってきだした。
文藝春秋社は強いモノには簡単に頭を下げ、弱い者には徹底的に虐める。
本当にこれで文藝春秋社は日本を代表する出版社といえるのだろうか?