新聞やテレビでの報道を見ても、今回の選挙はいつになく関心が高いようだ。

高市人気もあるだろうが、それよりも立憲と公明党が急遽新しい党を結党したことで、票の流れが複雑になり読みにくくなったからだろう。

選挙前になって、まさか誰もそんな大胆な、馬鹿な組み合わせができるとは予想していなかったはずだ。

飲み屋で政治談議をしていて、そこで誰かが立憲と公明党が新しく党を創ると言ったって、お前は政治を知らない素人と決めつけられて馬鹿にされてしまう。

そんな有りえないと思うほどの両党の結党だった。

今回の公明党と立憲の結党は、有権者、それも支持者からすれば開いた口が塞がらないというほどのインパクトがあった。

それはもちろん悪い方のインパクトである。

野合も野合、我々国民にとって詐欺といって良いほどの野合であった。

今まで応援して、票を入れてくださった有権者のことなど彼等政治家は何とも思っていなかった。

政治理念も公約も、その場限りの口先だけだったことが今回の結党で分かる。

支持者に対してこれほどの裏切り行為はない。

彼等はただただ国会議員の椅子だけが欲しかっただけだ。

その為ならどのような恥ずかしいことでもする。

それが今回の公明党と立憲の結党だった。

 

 

まさか人前で裸踊りでもあるまいし、そんな見っともない行為を見せられても迷惑なだけで、でもその見っともない行為を彼等は理由をつけて正当化しょうとするから腹が立つ。

今までの行いが悪かったと反省すればまだ救いはあるが、その反省もなく、野合を繰り返す野党はもういらない。

どれほど国民を馬鹿にしているのだろうと思うしかない。

それはやはり政を任されたことがないからで、それにより無責任な体質になってしまったのだろう。

自民党のミスを責めていれば、それで自分らの仕事は全うできていると思っている節がある。

対案や政策で争うのではなく、自民党の揚げ足取り、邪魔をするだけの党に成り下がっている。

だからといって疑問を持っているのか、いないのか?

彼等は心の隅で、支持者を騙し、悪いとは思っているが、一方でこれほど美味しい商売はないと思っているのだろう。

 

票の流れが読めずに難儀しているもう一つの要因にはSNSの広まりがある。

兵庫県の知事選では斎藤候補が不利だと言われていたが、その予想を覆し当選した。

これもSNSの影響が大きかったと言われている。

立花孝志さんの強烈な個性と発信力にもよるのだろうけど、SNSを使えなければ立花さんは手足をもがれたと同じである。

それだけSNSの効果は大きかったと言える。

これからは小さな政党だけではなく、大きな政党もSNSを使った選挙戦を仕掛けてくるのだろう。

今回の選挙がその始まりなのかも知れない。

 

だけど、大手のメディアはそれを黙って見てはいない。

いつか潰してやると息巻いているはずだ。

以前は自分たちが主役だったのに、いつの間にか脇役に回っている。

気が付けばもう時代は変わっていた。

あの時が変わり目だったのかと歯噛みしているだろう。

それが兵庫県の知事選だった。

大手のメディアは揃って反斎藤に回ったが、あえなく撃沈されてしまった。

立花さんに負けただけではなく、名もないSNSの発信者に負けたのである。

新聞やテレビを牛耳る巨大なメディアが、ネットの力、それもパソコンやスマートフォンに蹴散らされてしまったことはショックだったはずだ。

 

その屈辱を今回の選挙で、それも反高市で晴らそうと考えていたはずだが、まったく手も足も出ていない。

今のままでは完敗である。

それも見事な完敗になりそうだ。

それならと文春まで担ぎ出しているが、これも空振りになるだろう。

これで文春の信頼度は地に堕ちたも同然である。

必死になって高市さんのイメージを落とそうとしているが、今の処ビクともしていない。

周りから見れば、高市さんが大きな力によって虐められているように見えるのだろう。

これは大手メデァの戦略ミスである。

 

今回のことで大手メディアには世論を誘導する力がないことが明らかになった。

選挙後はもっと残酷な結果がでるはずだ。

一度なら他のことが原因だったのかもと言い訳ができる。

しかし、二度負けると言い訳もできない。

これはメディアのおごりがあったからだ。

もっと真摯に世論と、読者や視聴者と向かい合うことができていたならこうはならなかったはずだ。

庶民は馬鹿で我々が教育しなければならないと思いあがっていたからこういう結果になった。

偏向報道や、報道しない自由で国民の信頼を裏切った。

この罪は小さくない。

またSNSと対決などしないで、味方につけておけば良かったのだ。

それを自分らはジャーナリストなどと思い上がり、SNSを偽物と決めつけ、対立関係を激化させてしまった。

もうSNSの即時性にはテレビ局も適わないし、頼りにしているはずだ。

なのに敵に回してどうするのだろう。

確かに偽情報、偽動画なども多い。

でもこれらは防ぎようがない。

これらの真偽眼を磨くためにもSNSを規制等してはならない。

 

以前から大学の先生方がSNSを使って発言されていた。

昔なら、大学の先生といえばそれなりの地位があった。

だが、なぜかSNSの中ではそれらが平均化されて有難さが消えてしまう。

なぜだろう。

当の大学の先生は蒙昧な人たちに知識を与えて、導いてやろうというお考えなのだろうけど、SNSの中ではこのような考えは反発を招くだけのようだ。

それに大学の先生でなくても、知識を持った人たちは少なくない。

SNSではそれが視認されるて嘘が付けなくなる。

肩書が通用しないのである。

智の権威というモノの実態が試される時代がやって来たということが、まだ大学の先生方には実感としてないのだろう。

これからの世の中AIが本格的に普及しだしてくると本当の実力が試される。

美術の世界や、音楽の世界では混乱といっていいだろうし、その他の分野でも大きな革命が起こっていると言った方が正確だ。

だが、我々はこの大きな革命をまだ現実のモノとして受け止めていない。

まだまだ受け止められないのだろう。

 

電子頭脳では、想像性、創作は無理だろうと思っていたのだろうが、意に反してその分野でも優れたモノを創り出す能力が明らかになってきた。

私達人間は何が得意で何ができるのかそれが問われる時代になってきた。

二本足自律ロボットが身近な存在になってくると、もっと深刻に人間に何ができるのかと問われる時代になる。

大学の先生方も今が最後の我が世の春なのかも知れない。

 

つまりSNSがこれからくる時代を予見させて見せてくれている。

SNSはその最前線である。

手塚治虫さんの漫画ではないが、AIに政治を任せれば政治家の不正はなくなる。

でもそれが民主主義と言えるのかという疑問が湧いてくる。

これからはそれが問われる時代になるのだろう。

今までの権威がAIの導入によって、ことごとく瓦解してくることが予想される。

学歴や肩書が消え、本来の能力で争える時代はいいことだ。

だけど今まで良い思いをしていた既存の権威を持っている人たちにすれば、AIの存在は面白くない。

いろいろな方法を使って従来の権威だけは残すのだろう。

その時代がどのようなモノなのか確かめてみたい気もする。

私がその時代まで生きているのか、いないのか?

AIに聞いてみたい。