何かが違う・・・・・
これまでとはハッキリ違うことは確かだ。
しかし、その何かの正体が掴めない。
これまでと違い説明がつかないことが多すぎる。
いや科学的な特別な事を言っているのではない。
日常的な出来事である。
今までも説明がつかなかったこともあったが、それは極まれな出来事であって、あえて記憶に残すこともなかった。
しかし最近の出来事は、今まで起こっていたこととは根本的に違う。
一時的な流行や誰かの仕掛けで動いているのではない。
もっと大きな、何もかもを飲み込むような時のうねりだ。
私には歴史的な出来事に動きのように見えて仕方がない。
ずっと後々に残るような大きな動きになるのだろう。
私達はその狭間にいる。
この眼で日本が、世界がどう変わっていくのか、見届けてみたい。
でもその渦中にいると、何も変わったことがないように見える。
いつもと同じように時間だけが過ぎていく。
大きな動きがあるというのに、これまでと何も変わらない。
予兆として何か目立った事等もない。
何かを感じるとか、何かを予感したという感じは少なくともなかった。
それが次第に大きなうねりを起こして、急激に何もかも変えていきそうに見える。
大きなうねりなのに音も風も感じはしないが、以前とは違うことがはっきりと分かる。
生まれて初めて、時代を変える大きなことに出会えそうだ。
しかし何がどう動いているのか?
世の中、何かが変わろうとするなら、何かしらの予兆があると思っていたら、何もありはしない。
いきなりだ。
私が鈍感なのは仕方ないが、マスコミの人たちもそのような急激な潮の流れを予見していなかったのだろうか?
いや、今や彼等にもうオピニオンリーダーを期待するのは無理なような気がする。
自分たちの立場をどうこれから維持し、その場所を保持するのか、そのことだけに汲々となっている。
もう周りのことなど眼に入っていない。
世論調査を自分たちに都合の良いように書き換え、分析、解釈するのだから、もうそこから私達が何かを読み込むことは無理だ。
もう彼等は無用の長物となってしまった。
今後もう今のような大きな存在であり続けることは無理だ。
大きな権力を持ったモノがこの世から一つ減る。
昔でいえば仏教のような存在なのだろうか?
民衆に仏の得を説きながら、権力の真っただ中に居座ろうとしていた坊主たち。
彼等マスコミ関係者も「国民にペンは剣よりも勉し」と我々庶民に説きながら、陰で権力にすり寄って甘い蜜を吸っていた。
やっていたことは生臭坊主と同じだった。
町の景色も山も川も以前と変わらず同じだ。
私達の眼に映るモノは何も変わっていない。
また鳥の囀りも、川の瀬音も普段と同じように聞こえる。
だが、何かが違う。
キナ臭いとは言わないが、何かが匂う。
私もその臭いが何だか分からないが、好ましいモノでないことは分かる。
きっと危ない臭いなのだろう。
例えばどこかで何かが燻っていたら、煙が出てくるので分かるが、今の処煙も何も出てこない。
火が出てきそうなら水をかければいいだけだ。
だがその火元は未だにどこだか分からない。
きっと火元はどこだか分からないままで終わるのだろう。
それは私達国民が火元であるかも知れないからだ。
心の中で政府への不満が燻り、時折チロチロと怒りが燃えているのが火元としても、そんなことが誰にも分かるはずもない。
と、すると、今の大きなうねりは私達国民の願い、怒りということにもなる。
私達の小さな願い、怒りが集まり、それが大きなうねりとなり、潮流になっているのだとすればおもしろい。
でもキナ臭いとも感じた。
危ない匂いに思えたことは確かだ。
私達の願いが大きなうねりになっていたとすれば、そのような危ない感じはしないはず。
私の勘が狂っているのか?
そう思われても仕方がない。
予兆も無く時代は急速に変わってきている。
私の勘が狂っているよりも、時代を肌で感じる検知能力がいつの間にかオフの状態になってしまっていたのだろう。
いろいろな方法で人的定点観測でもしておれば、どこかの時点で、おやこれはと思うはずだが、今の新聞社や放送局がそのような肌理の細かい情報を採っているようには思えない。
言い訳になるが、プロがあの状態なのだから、私達がその一瞬を知る術などあるわけがない。
でもあのキナ臭さに似たモノは気になる。
私達庶民の気持ちが時代を動かしていることは確かだが、それだけではない何かがある。
それがあの臭いだ。
昔の電通は時代の先取りができていた。
今から来そうな波に上手く乗ることが当たり前のようにできていた。
それは見事だった。
時代を創り、流行を次々創っていた。
誰もが電通の仕事に一目置いていた。
それが今や見る影もない。
CMや、雑誌や、テレビ番組など、時代を先取りしていたモノが、時代から置き去りにされ、それに誰も手を差し伸べようとしない有り様だ。
以前花形だった商売が、閑古鳥が鳴くとはどうしたことだろう。
これはやはり私達庶民を彼等が馬鹿にし、見くびっていたからに相違ない。
いまになってやっとしっぺ返しが彼等にきたのだろう。
これからは双方向の時代だから、彼等だけが時代の先端に行けるわけではない。
それどころか彼等は時代に取り残されてしまった。
YouTubeやSNSの時代になって、さらに時代を先取りする環境は難しくなっている。
でも未だに自分たちが置いてけぼりにされていると思っていないのがおもしろい。
それだけ彼等の感覚は鈍くなってしまっているのだろう。
あのキナ臭さは大きなうねりと同時に私達に向かって来ているように思える。
私達の気持ちの結晶があのキナ臭さだったら、私も不安な気持ちにはならない。
では何か?
私は安倍さんへの暗殺は、一人の青年の卑劣な行為だと信じていた。
その考えに疑いの余地は微塵もないと自信を持っていた。
だから他の暗殺説を聞いても、また下らない陰謀説かと鼻でで笑っていたほどだった。
しかし、最近の様々な事を考慮すると、あれ、あれ、と疑う事が多くなってきた。
ひょっとすると安倍さんへの暗殺は、背後に大きな力があり、かなり巧妙に仕組まれた計画だったのではと、今では半分疑うようになっている。
また今のように急激に自民党が瓦解するにはそれだけの理由があるはず。
安倍さんと自民党を日本の象徴のように毛嫌いしていた人達がいたのだろう。
このように書くと陰謀説のように思われるが、現実は陰謀説よりももっと先を行っている事が多い。
日本の力を削ぐには安倍さんの存在が邪魔と映っていたのだろう。
まさかと思うが、今の状況を見れば納得もできる。
私は以前ブログで文春の安倍さん暗殺の陰謀説を嘘っぱちと書いことがあったが、いや、いや、今思えば眉唾の情報ともいえない。
そうでなければ今まで地中で眠っていたモノが、急にゾンビのように夥しく蘇ってくることはない。
そこに何かの力が働いているのは間違いない。
影の力は自民党にも及んでいた。
まさか、まさかである。
金の力で転んだのか、それとも女で転んだのか?
何ともお寒い、恥ずかしいことだ。
安倍さんの暗殺は別のこととして、自民党の議員がコロコロと転んでいるのは、どこかの国が暗躍しているからだ。
選挙には金がいる。
その金を出すと言われれば簡単に転んでしまう。
議員に戻れるのなら、国さえ売るのが彼ら政治屋の得意芸だ。
そんな情報が山とあったはずなのに、マスコミは安倍派だけを目の敵として糾弾していた。
本当は他派閥の方がよっぽど国賊、売国奴なことをしていたのだが・・・・・・
このような議員は大きなうねりに呑み込まれ、もう二度と浮かび上がれないようにしてほしい。
いずれ時代がそのように大きく動く。
私はそのようになると期待しているのだが・・・・・・