ほどほどの努力ではほどほどの幸せすら得られないなんてことを言う人いますわね。まぁそういう価値観で生き残ってきた人はそう思うわな。特にタレントや政治家。そういう連中ばかり言うもんだから、真に受ける人ってのはいて、その不幸のセリフはネット上に伝播する。


でもな、よー考えてみたら、そういう価値観ってはっきり言えば大間違い。いや、ハッキリ言えるよ。


まず、人間の生来受け取れるものっていうのは、同じ国民であっても、それぞれ違うわけね。地頭も、家庭も、運ですらそう。交通事故もある。病気もある。イジメもあり犯罪もあり。生き物として生まれたからには、ミラクルなサバイバルを体験せざるを得ない。


それを以てしても努力論を語るか?明日にはどうなってるか分からないんだぞ?生き物ならな、今日を生き抜ければそれで100点なわけです。生きてるって伊達じゃない。ほどほどなんで言うな!バカどもが。結局な、運なんだよ。どれだけのことやってもな。極端な話、ブラック企業で精神壊れるまで働いた挙げ句、何も得られなかったのとな、その違いは何だ?どっちも、眠れなくなるほどの何かに没頭してたのと違うか?


まったく。世の中のすべての人に気づいてほしい。明日何が起こるかわからない。だから今日を生きる。今日が楽しけりゃそれでいいじゃない?幸せって、そういう積み重ねだと思うよ。けっしてドーパミンばかりじゃない。そんなのな。中毒者なんだわね。依存症患者と一緒。努力依存症。私はそう思うよ。


私もね。気が狂うほど悩んだときもあるよ。まじでただでさえ不安症の私は、将来が不安すぎてつまらないことに一生懸命だったよ。その結果として、本当に精神悪くして、オーバードーズとかやり始めたわけだしね。大丈夫。市販薬だからセーフティ。それでサイケデリックスに目覚めたのもまた一つの運命だと思うよ。


あんまりネットの言うこと真に受けねでね、自分が好きだと思うことに夢中になればそれでいいと思うよ。それが幸せの王道ですからね。