最近になって分かったことだが、人生というのは自我からの解放にある。そのため、人は、無自我の中に生まれ、大人になるにつれて自我を獲得し、やがて自我を失っていく。


一方で、テレパシーというのは、自我と自我の交信を意味するだろう。もし、それができるのなら、お互いの気持ちを知ることになり、お互いの自我は融合する。それは、それまでの自我を失うことになるはずだと思う。


それは、自我を獲得→競争の促進という、生物の進化と反することだと思います。このテレパシーが進化的に見えるかもしれないが、生物として、退化を意味するのではないだろうかね。


ちなみに、私はテレパシーなんて絶対に嫌だ。ただでさえ自分の価値観を侵害されてるのに、人間社会が保証する精神活動まで脅かされたら、地獄以外の何物でもない。そもそも思考を止めてしまうと思う。そうなれば、人間として終わりだ。だから、そんなテレパシーなんて、考えたくもない。


結局のところ、いろんな夢物語を語ろうが、どれだけ進化していようが、根本的な部分は変わらず、ただ一歩一歩進んでいくだけなんだろうねって今、思う。