昭和ドラマにみる『毒母』の原型。 | 古民家の雑貨屋 アート工房 風 ふうさんの手しごと日和

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古民家の雑貨屋さん『アート工房 風』です。
岡山県の和気町で雑貨屋&クラフト工房をしています。
古民家をリノべして、沢山の雑貨を展示販売できるSHOPにしました。
隠れ家的な工房の日々の暮らし、ちょこっとのぞいて見てくださいな。

楽しみにしている中国の歴史ドラマの

放送が終わり、昭和のお茶の間ドラマ

が始まった。

 

なんとなく、一回目を見たら

余りのジェネレーションギャップに

驚いてそのまま見てしまっている。

 

「昭和のドラマってこんなに早口で

まくしたてるセリフだったんだね・・・」

 

「ビデオテープの時代だからじゃない?

セリフ噛んでもそのまま続けてるし、

デジタルほど編集も楽じゃないんだよ。

秒数決まってる中に、沢山の内容を

叩きこもうと思うと、あんなセリフ回し

になってしまうんじゃないかな?」

 

「なんかさ・・・

ゆりあんレトリィバのものまね

見てるみたいだね。」

 

「よく特徴とらえてるよね・・・

あのものまね。そっくりだよ!」

 

水前寺清子さんがヒロインの

『ありがとう』というドラマ。

 

どことなく『渡鬼』を彷彿させる

そのドラマのシナリオライターは

平岩弓枝さんだった。

(昭和を代表する小説家。)

 

橋田壽賀子さんの脚本かと思った。

 

『渡鬼』に似てると感じたのは

演出が石井ふく子さんだったからか・・・。

 

それにして気になるのが、

昭和の『おかん』たち・・・。

 

「いやいや・・・そりゃ、モラハラだぜ!

それはマタハラ!なにそのマウントの取り方!」

今なら完全にNGだろうワードが満載だ・・・。

 

若い娘時代をモンペに押し込み、

戦争を駆け抜けて来た昭和のおかんたちは

強烈でパワフルだ。

 

パワフルというか・・・

猛烈母ちゃんというか・・・

肝っ玉座ってるというか・・・

 

それでいて暑苦しいほどの

おせっかいや、過干渉に過保護・・・

 

自分の怒りは押し殺して、

人様のため世間のためと奔走する。

 

その押し殺した様々な思いは、

子どもの自立で寂しさへと変わる。

 

そうして、子供が巣立ちをむかえる

頃になると、一抹の不安や、

育てて来た苦労の報われなさや、

置いていかれる、取り残される

寂しさを子供にぶつける。

(不機嫌になる事で・・・)

 

「こりゃ、毒母の原型見てるみたいだな。

昭和20年前後に生まれたの母親が、

総毒親世代になるわけだ・・・。

あんな母ちゃんたちに

育てられたんじゃ仕方ないか・・・」

 

昭和の肝っ玉母ちゃんに『毒母の原型』

を見つけた思いだ・・・

 

毒親って、なにも虐待やネグレクト

だけじゃなんよね・・・

 

自己肯定感の低い、自己愛的な母親も

子どもから見たら充分『毒親』なんよ!

 

先日読んだネット記事で、子育てで

一番やってはいけないことが

『怒りを押し殺すこと!』とあった・・・

 

これは『怒る感情はマイナスだから、

表現してはいけない!』という間違った

メッセージを子供に押し付けてしまうから

だそう・・・

 

その『押し殺した怒り』はやがて

『嫉妬』に形を変え、

暮らしのいたるところで害をなす。

 

パーソナル・リーディングのレジュメを

制作中で毒親についてもまとめていたのだけど、

一番厄介な毒母は『怒りを自覚していない母親』

と書いてあった・・・。

 

その押し殺した怒りは嫉妬に形を変え、

自由に羽ばたこうとする子供の邪魔をする。

 

手かせ、足かせとなり、

幸せになろうとする子供にさえも嫉妬する。

 

幸せな結婚生活をしている娘夫婦のところに

何かと干渉してくる、不安を煽る、愚痴を言う

なんて母親は、その典型的なパターンだろう。

 

そんな『総毒母世代』を作りだした

大正生まれの肝っ玉おかんたち

『毒母の原型』見る!

 

なんとなしに見ていた、昭和のお茶の間ドラマ

『現代へと続く、生きづらさの根源』

見つけてしまった・・・。

 

70~80代の毒母世代によって、

生きづらさを抱えているのが、

40~50代のアダルトチルドレン世代。

(*アダルトチルドレン=家庭の崩壊を

防ぐために様々な役割を演じてきた世代

子供らしい時代を奪われた世代。

 

総毒母世代と呼ばれている、70~80代

を育てたのが、大正生まれの肝っ玉

母ちゃん世代なのだ。

 

焼夷弾の下を駆け抜け、竹やり持って

お国のために戦ってきた母ちゃんたち。

 

『欲しがりません!勝つまでは!』

そういいながら、我慢キャンペーン

を当たり前に生きて来た世代。

 

戦争で後家になった人も多かろう。

 

「あの人はな・・・後家の踏ん張りで

三人の子供を一人で育て上げたんじゃ!」

なんて話を爺さんたちが良くしていた・・・

 

『後家の踏ん張り』

 

まさに、そんな肝っ玉母ちゃんを

描いたドラマが『ありがとう』

 

しかし・・・

 

そのドラマのセリフの中に多くの

『毒』を感じてしまう。

 

『これが昭和の当たり前だったとしたら、

そりゃ総毒親世代が育つわけだ・・・

時代の流れなんだなやっぱり・・・。』

 

戦争が生む『毒』は、いまだに

私たちの暮らしに影を落とす。

 

そして、昭和を知らない平成生まれの

お嬢からしたら、このドラマは

『昔話』のように感じるだろう。

 

「うわーっ、いいんかい?

あれは・・・

その発言は・・・

もはやモラハラ!」

 

空気を読みお行儀のよい令和の時代、

平成生まれが見たら、あのドラマの

セリフの乱暴さは驚くだろう。

いや・・・驚くのを通り越して

笑ってるから、もはやコントだと

思っているのかもしれない・・・

(50代が見たって、あれはマウント

発言だよ・・・と思うけど・・・

今なら放送倫理に引っかかるかも・・・)

 

70~80代の育ってきた昭和という

時代を垣間見た気がする。

 

昭和のお茶の間にあんな会話が

当たり前だったとしたら、そりゃ

自己肯定感の低い、自己愛的な

母親が量産されてきただろう・・・

 

総毒母世代が生まれた理由を

少し理解出来た気がした。

 

 

私たちの代で、止めなきゃいけないんだよね。

『毒の連鎖』をね・・・

 

いや、止めれていないから若い子たちが

生きづらい!生きづらい!って言ってるんだよね。