幼少期の環境が、不幸の根源?・・・理解することが寄り添う第一歩。 | 古民家の雑貨屋 アート工房 風 ふうさんの手しごと日和

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古民家の雑貨屋さん『アート工房 風』です。
岡山県の和気町で雑貨屋&クラフト工房をしています。
古民家をリノべして、沢山の雑貨を展示販売できるSHOPにしました。
隠れ家的な工房の日々の暮らし、ちょこっとのぞいて見てくださいな。

戦時中、朝鮮に居た祖父母。

(祖父は刑務官)

 

終戦後、祖母は子午線を超え

引き上げ船に乗って、命からがら帰国した。

 

祖母は当時、21か22の若さだったという。

 

その若さで背中に赤ん坊を背負い、

激しく揺れる引き上げ船に必死で

飛び乗ったそうだ。

 

船が岸に寄せてきたタイミングで

飛び乗らねば海へ落ちてしまう。

 

我先にと飛び乗る人たちは、

落ちたものを救ってはくれない。

 

夫(祖父)は、ロシア兵につかまり連行された。

 

もはや、赤子と自分を守れるのは

自分しかいない。

 

若くして、夫の駐在で朝鮮に渡った祖母。

生まれたばかりの赤子は母である。

 

祖母は命がけで、母を守った。

 

 

連れて帰れずに、置いていく母親も居た。

 

なかには火の中に我が子を投げ入れて、

殺してしまう母親も居たそうだ。

 

ロシア兵につかまれば、金品は強奪、

乱暴され、殺される恐れもある。

 

敵につかまるくらいならと、子供を

手にかける母親も居たそうだ。

 

戦後の混乱期・・・人とは思えない光景が

そこには転がっていた。

 

祖母は、何を盗られても、この子だけは!

と赤子を離さなかった。

 

その祖母の勇気が無ければ、

私たちは生まれていない。

 

 

引き上げてきた祖母を迎えたのは

夫のしゅうと(祖父の父)。

 

若い嫁が赤子を背負い着の身着のまま

引き上げてきた姿を見て、涙を流したという。

 

引き上げてきたはいいが、祖母には

頼れる実家が無い。

 

祖母の母は浅野家の末裔で播磨では知らない人が

居ないほどの名家だったが、父親が3歳の

時に亡くなると、流転の人生が始まった。

 

父の実家に置き去りにされた祖母は、

叔父夫婦の養女として従妹たちと育った。

 

育ったと言えば聞こえがいいが、女中の

ような待遇だったとか・・・。

 

母だけではなく、祖母も親族の仲で

冷遇されながら、親の愛を知らずに育ったのだ。

 

 

そんな祖母が唯一頼りにしたのは、夫の実家。

 

しゅうとはいたが、姑は早くに亡くなり、

その家を切り盛りしていたのは、夫の兄の妻。

 

母から言えば、義理の叔母に当たる。

 

この叔母が相当に意地の悪い性格だったようで、

母は小さいころから、叔父の家の納屋で

邪魔者扱いされながら育った。

 

祖母が働きに出ると、母は守ってくれる人が居ない。

 

本人は記憶にないと言うが、いくつか記憶に

残る叔母からのいじめはひどく理不尽なものだった。

 

見かねた曽祖父は、母を山仕事に連れて行った。

 

幼いころの思い出は、祖父と歩いた遠い道。

ラムネ欲しさに、長距離を歩いたこともあるそうだ。

 

そんな母がどんな風に、おのれを殺しながら

息をひそめながら、邪魔者扱いされながら

それでもいじけたり、くじけたり、投げ出したり

しないで生きてきたのかわかる。

 

それを理解すれば、母の生き方の謎が解ける。

 

 

母の根底には「保身」の生き方が

色濃く残っている。

 

それが身を助けるときもあれば、それが

自分を縛り、不安にさせ、イライラさせたり、

愚痴っぽくなったりもする。

 

そして、ありがとうやごめんなさいが

素直に言えなかったりする。

 

愛情が薄いわけではないが、祖母自身

自分が母の愛を知らないから、子供の

愛情表現が分からない。

 

そんな祖母に育てられれば、母の多少

クールとも思える愛情表現にも納得がいく。

 

 

今の私に出来ることは何か?

 

情の薄い母を、頼りなかった祖母を

毒母、毒祖母として責めることだろうか?

 

いいや・・・私はそうは思わない。

 

二人が受け取ることが出来なかった愛を、

溢れるほど降り注ぐこと!

 

男脳ゆえに、母性的な愛ではないだろうが

それでも、「何かあったら、私が守るから!」

そういうことが、私の二人への愛かな・・・。

(愛などと言うと照れ臭いが・・・)

 

 

考えてほしい。

 

自分が今ここに居るということを・・・。

 

ここに生まれたという意味を・・・。

 

自分一人の人生だけじゃ、作られない自分。

 

そこに至るまでに、どれくらいのご先祖様

たちの苦労があっただろうか?

 

その苦労を経て、自分が今ここに生きている。

 

 

多少の不満など、吹き飛ばして余りある

その労を思えば、自分がすべきことは

リベンジじゃないと思う。

 

幸せになりたいと思うのなら、誰かへの

あるいは、何かへの「リベンジをやめることだ」。

 

リベンジをやめて、やるべきことを考える。

 

 

家族が安心できること。

その環境を作ること。

 

それが、私なりの愛かもしれない。

 

そして母に、自分の中にある不幸の種は

幼いころの環境により身に着けた「保身」だと

教えること・・・。

 

もう、母は自分で生きていける大人である。

 

何も抵抗できなかった幼子じゃない!

その不安は二度とアナタを苦しめない!

 

そう言ってあげることが、私なりの愛。

 

それでも時々不安になるなら。

「私はここに居るから!心配ない!」

そういうのもまた、私の愛。

 

 

DVだとか、ネグレクトだとか、ひどい親なら

さっさと捨てちまえ!

 

そして、自分はどう生きたら幸せになれるのか

を考えろ!自立したほうがいい!

 

リベンジなんてやめて、新しい自分にチャレンジ

した方が数倍幸せになれる!

 

 

けれども、もしも・・・

 

親との確執の陰には、親自身の辛い生い立ちが

あるとしたら、そこを紐解き、理解し、親が欲した

愛を注ぐのも、一つの方法ではないかと思う。

 

どんなに追い求めてみても、この世に

完璧な親などいない。

 

多少のいびつさは皆持っている。

 

それが人間だもの!

 

それこそが、人間の魅力だもの!

 

 

親を捨てるのも一つの方法。

怒りを手放すのも一つの方法。

親を許し、距離を詰めないのも一つの方法。

親のインナーチャイルドを理解し、

愛で包むのも一つの方法だと思う。

 

どれを選ぶかは、あなた次第。

 

私は母には、笑っていてほしい。

祖母にも笑っていてほしい。

 

家族が安心して、生きていけるように

守るのが私の役目、私の喜び。

 

そして、それを仲間たちへ、

さらには地域へ、

そして、言葉を使って世界へ

 

その思いが広がればいいなと思っている。

 

 

相手を愛そうと思うのならば、

先ずはその前に、相手を理解しなければならない。

 

何年一緒に暮らしたって、理解しようと

努めなければ、その人の苦労や苦境は

理解できない。

 

その理解あって初めて、相手を救える。

 

その理解なしに、人は救えない。

 

だから私は多くの人を救おうとは思わない。

いや、救えるなんておごりだと思う。

 

身近な人、一人・・・

 

自分の母親の苦悩一つ理解してやれないで

何が「人を救う」だろうか?

 

沢山の人でなくてもいい。

 

せめて身近な人の苦労や苦境は

理解したうえで、その人を包みたい。

 

それが本当に寄り添うということだと私は思うから!