先月NHK のBS放送で、「なぜ本願寺が2つに」の放送がありました。主なテーマは、大阪府八尾市でお西とお東のお寺が340年
ぶりに和解したとのお話でした。
その前に何故、浄土真宗本願寺派と真宗大谷派が有るのでしょうか。現在大阪城の場所に、大阪本願寺が建っていました。門主は
11代顕如でした。その当時、本願寺教団は戦国大名的な性格でした。天下統一を目指す織田信長はその土地が欲しくて10年間戦いました。時の天皇が仲裁に入り一応は和睦になりましたが対抗派
もいました。和睦派は豊臣秀吉が西本願寺を寄進しました。門主
は顕如です。対抗派は、徳川家康が東本願寺を寄進しました。
門主は教如でした。西本願寺14代門主寂如は大改革を行いました。その頃、お西からお東に移ったりお東からお西に移ったりと大変でした。その為に14代門主寂如がお経の節を変えたり
儀式や作法を変えたそうです。大元は、東本願寺の節ですね。
浄土真宗本願寺派の顕証寺と大谷派の慧光寺は、元々西本願寺派
の寺院でした。しかし、蝕頭を務める顕証寺は9年間住職が不在だったのです。それで、叔父さんにあたる慧光寺が代わりに努めていました。養子に入った寂淳が成人した頃から慧光寺に無理難題を言い出し、慧光寺がとうとう追い出された感じになりました。慧光寺は、大谷派に改宗して現在に至っていたのです。
両寺は、氏名は近松氏です。親鸞聖人と蓮如上人のお骨を
分骨式と言う形で、慧光寺から顕証寺に分骨したのです。
凄い歴史を感じました。
