また10日ぶりのブログになってしまいましたあせる

 

 

高橋ナナです虹

 

 

新潟は白銀の世界です。

 

 

家の前

 

 

 

冬の日本海

 

image

 

 

こんなにこんもり積もってますが、

 

image

 

 

可愛い雪椿が咲いているのを、

最近よく見かけますキラキラ

 

 

image

 

 

さて、前回ブログを書いた1月28日、

 

夜の10時57分に、

 

母が長い旅路を終え、逝去しました。

 

75歳でした。

 

 

 

色んなことを忘れてしまう前に、

記録しておこうと思います。

 

 

 

コロナ禍、

 

しかも、

誰一人としてワクチン打っていないにも関わらず、

 

主治医の先生が、

私と弟と、母の妹である叔母を、

 

事あるごとに病院に呼んでくださったおかげで、

 

1月の11日に危篤になった日から、

3回くらい面会することができました。

 

 

旅立った28日の午前中も、

実は病院に行っていて、

 

この時は、

 

「最期かもしれない」

 

と先生が言うものの、

 

母の顔色はとても血色よく、

ほっぺたもピンクで、

 

私が呼びかけると、

目を開けたりしていて、

 

もうすぐ亡くなってしまう人には、

とても見えなくて、

 

きっと今回も、

もう少し頑張るんじゃないか?と、

私は思っていました。

 

 

夜、弟から「お母さん、もう息をほとんどしてないと病院から電話きた」と、

連絡が来て、

 

弟に車で迎えにきてもらって、病院に行きました。

 

 

静まり返った誰もいない夜の道路の街灯の下で、

雪が降るのを見上げながら、

弟の車を待っていた記憶が、

強く残っています。

 

 

その夜に病院に呼ばれた時には、

呼吸が止まっており、

心電図の心拍だけが20くらいでまだ少し反応している、

という状態でした。

 

 

 

私は、お母さんのほっぺを両手で包みながら、

 

「お母さん、本当によく頑張りました。

 

何にも心配しなくていいからね。

 

これから肉体脱出して、

好きなとこに自由に行けるからね。

 

本当にありがとう。」

 

 

と声をかけました。

 

 

弟も叔母も、

 

本当にありがとう

 

本当にお疲れ様

 

と、感謝とねぎらいの言葉しか出ませんでした。

 

 

 

私たちが行った時、

60くらいに反応したり、

また下がったりしながら、

 

それもやがて0になり、

先生が死亡時刻を告げました。

 

 

弟と、叔母と、私の、

いつもの3人と、

 

そして7年間ずっとお世話になっていた先生や、

看護師さん達にも看取られ、

 

母は眠っているのと全く同じ顔で、

旅立ちました。

 

 

 

たった半年前に、

父を見送ったばっかりの私たちですが、

 

母は11日に危篤になり、

2週間以上前から、

私たちに色々と心の準備をさせてくれてたので、

今回はそんなにパニックになる事はありませんでした。

 

 

死ぬ時まで優しい、優しい母です。

 

 

 

7年間も家を離れていたので、

家に連れて帰って、

母とゆっくり過ごしたい。

 

と言うのが私たちの願いだったので、

母についてはこの記事に書いてあります

 


葬儀なども、

ホールを使う事なく、

お墓のあるお寺で行うことにしていたし、

 

家から火葬場に行くと言う感じで、

最小限にしました。

 

 

 

父の葬儀の時、

あまりにも突然のことで全員慌てふためいて、

思考能力が欠落していて、

 

葬儀に、軽めの結婚式くらい、

よくわからないお金がかかっていたのもあるし、

 

母のことは、

もっとアットホームに見送りたいと、

みんなで決めていました。

 

 

夜中になり、葬儀屋さんに病院に来てもらい、

夜中に母を連れて帰った後も、

 

数時間はほっぺも手もあったかくて、

本当に死んだの?と言う感じでしたが、

 

徐々に、冷たくなっていきました。

 

 

 

その次の日は友引だったので、

 

母は久しぶりの家で、

 

子供2人(私と弟)、

息子の嫁と、娘の旦那、

自分の妹(叔母)、

孫6人、

 

合計11人とともに、

 

超絶騒がしく、賑やかに、

丸1日以上過ごすことができました。

 

 

 

亡くなった次の日の夕方16時に納棺するまでは、

葬儀屋さんの用意した、

綺麗な模様の、真っ白のサテンの布団の上に母はいましたが、

 

 

叔母がメイクしてあげてくれと言うので、

弟は眉毛を整えたり、

私は化粧したりしていました。

 

 

「あんまり綺麗にすると、

お父さんのところ行く前に浮気するかもしれないから、

薄化粧でいいよ〜」

 

なんて、叔母も冗談言いながら、

 

白粉して、チークもほんのり乗せると、

本当にただ寝てるだけに見えました。

 

 

子供たちは亡くなった人を見るのは初めてで、

最初は少し怖がってましたが、

そのうち慣れて、

ほっぺを触ったりしていました。

 

 

いとこ達と遊びまくって、

楽しみすぎてるうちの子供たちは、

「帰りたくない」と言い出す始末で、

めちゃくちゃ楽しんでました。

 

 

病気はあるものの、

母がまだ家にいた間に生まれ、

かろうじて膝の上に置くことができた上3人と、

 

抱っこすることもできなかった、

下3人の孫たちを、

 

微笑みながら眺めてる母の映像が、

心の中に何回も見えました。

 

image

母のそばで大盛り上がりな孫達

 

 

その次の朝、

 

棺にいっぱい、

みんなでお花を添えて、

母の着物も入れて、

 

弟と、旦那と、葬儀屋さんの3人で、

家から出棺し、

霊柩車は使わず、

葬儀屋さんの車で火葬場に向かいました。

 

 

 

移動中は晴れ間が見え、

広大な田園の中をまっすぐ通る道は、

一面の雪でキラキラしていて眩しいくらいでした。

 

 

 

火葬場に向かう車の中で葬儀屋さんに、

「半年前に父を見送ったばっかりだ」という話をすると、

 

 

本当につい先日、

12月30日の日に旦那さんが亡くなられて、

5日後の1月4日に奥さんが亡くなられた家があった

 

と言うことを聞きました。

 

 

お二人とも病院にいたそうですが、

奥さんの方は全然元気だったにも関わらず、

 

旦那さんが亡くなった後、

突然容態が急変して、

あっという間に亡くなられたのだそうです。

 

 

夫婦というものは、

そんなこともよくあるんだと、

やっぱりここでも聞きました。

 

 

 

母は、

 

亡くなったのが金曜の夜で、

 

次の日の土曜日にみんなで家でゆっくりして、

 

日曜日の朝に火葬、午後から葬儀。

 

 

週末の2日間で全部が終わるとは・・・

 

なんか、母の気遣いしか感じませんが、

 

これも、よくある話なんだそうです。

 

 

うちの子達が出産のとき、3人とも、

なかなか凄い、

空気読んだタイミングで生まれてきていたので、

 

 

人って、

生まれる時も、

死ぬ時も、

そういうことができるんだなぁと、

 

そして、父が亡くなった、

たった半年後に、

母が旅立つとは、

 

ただの「偶然」とは言えない感じが凄くします。

 

 

それにしても、

本当に、どこまでも優しい母です。

 

 

生きてる時も天使みたいでしたが、

死ぬ時まで天使です。

 

 

たった半年の間に、

父と母が旅立ち、

 

遺された方は寂し過ぎますが、

本人達は、これがよかったのかもしれません。

 

 

母が亡くなった時、

 

「お父さん、お母さんのこと頼むよ!

ちゃんとエスコートしてね!」

 

と言うと、

 

「おう、心配すんな。任せなさいよ。」

 

と父の声が聞こえた気がしました。

 

 

image

なぜか同じポーズで写真に写る父と母 笑

 

 

 

長い間、体の自由が利かず、

不自由な思いをしていたであろう母。

 

 

肉体から脱出成功して、

さぞかし羽を伸ばしてるだろうと思います。

 

 

 

不思議なのは、

 

出棺前のお別れの時、

棺に着物を入れたりしている時に気付いたのですが、

 

で、言葉で説明するのは難しいんですが、

 

私の思考に、母の思考が混ざってくると言うか、

何か母に聞きたいと思った時に、

すぐに答えがわかるんです。

 

 

私の思考とは波長が少し違うので、

母の波長だとわかる。

 

なんか、病院にいる時よりも、

母を近くに感じます。

 

 

理屈考えたら、

全然不思議なことじゃないんですが、

まぁまたこの辺の話は怪しいので、

イオルサで話すとして・・・笑

 

 

大好きな大好きな、

天使のようなお母さん。

 

また会える日を楽しみに、

 

娘は頂いたこの体、

大切に使い尽くして、

この世を楽しみ尽くしますよキラキラ

 

 

お母さん、また会おうねピンクハート

 

image

2年前くらいに撮った色白な母の手