ご無沙汰してしまいました。

 

高橋ナナです。

 

 

実は先月の24日、

 

本当に突然、

 

お父さんが死んでしまいました。

 

80歳でした。

 

 

 

まずは、

 

クレバンの皆様、

イオルサクルーの皆様、

 

やるべきことが物凄く多くて、

とても仕事ができるような感じではなく、

配信が予定通りにできていません。。。

 

本当にごめんなさい。

 

今、1日も早く仕事再開できる様に頑張っています。

本当に申し訳ありませんが、もう少しだけ、お時間ください。

 

 

 

さて、

 

今日のブログは、

自分のために、

 

父が突然亡くなってからのことを、

記録として残しておこうと思う。

 

 

 

7月25日、日曜日の午前中。

 

私は家族と午前中早い時間から、

夏休みに始まったばかりの屋外プールで遊んでいました。

 

 

休憩時間なので、一度プールから上がってくださいー!

 

となった時に携帯を確認したら、

 

携帯に、弟と叔母からたくさんの着信が残っており・・・

 

 

LINEを見たら弟から、

 

「親父死んだかも」

 

とメッセージが。

 

 

弟家族は父と一緒に住んでいました。

 

 

すぐ電話をすると、

やっぱり亡くなったようで、

 

家に警察が来てるとのことで・・・

 

 

まだ泳ぎたい子供たちを連れて、

大急ぎで家に帰り、

私だけ実家に向かいました。

 

 

泣きながら車を運転し、

自宅から車で10分弱の実家に到着し、

そのまま父の部屋に直行して戸を開けました。

 

 

 

ベッドには、父、

そこには警察の方が2人いて、

写真などを撮っており、

 

今、入ってこないで、とのことで、

リビングに行くと、

 

弟夫婦と、叔母と、警察の方がいて、

事情聴取や、

父の身元の確認のようなものをしていました。

 

 

 

私もポタポタと涙をこぼしながら、

警察の方の質問に答え、

 

その後、父のお世話になっていた主治医の方も駆けつけ、

死因などの確認をしてくれました。

 

 

死因はおそらく心筋梗塞だろうと。

 

そして亡くなったのは、夜の間だろうと。

 

 

 

検死や現場の確認が終わり、

もちろん不審な点などはなく、

 

警察の方や、

主治医の方と話をし、

皆さんは帰っていかれました。

 

 

冷たくなったお父さんの手を握って泣いたり、

 

家族とこれからの予定などを話したりしながら、

 

葬儀屋さんを待ちました。

 

 

 

お父さんの体はベッドの上にありましたが、

お父さんの中身?というか、

スピリットは私の隣にいたので、

どっちに話していいのか混乱しました。

 

 

私はお父さんの肉体の手を握りながら、

顔は違う方を向いて話してる状態で、なんか変な感じだし、

 

私は泣いてるけど、

一体何泣きなのか、よくわかりませんでした。

 

 

お父さんの肉体の方には、

体や頭を撫でながら、

 

「いっぱい働いたねぇ・・・本当にお疲れ様でした」

 

と泣きながら労いの言葉をかけ、

 

 

違う目では、そこにいるお父さんを見ながら、

 

もう、なんなん!!

なんで知らせに来ないの!

びっくりした!本当に!!!やめてよ!!

 

と、文句を言ってましたが、

 

実際は父もびっくりしてて、

 

「どうなったんだ一体!」

 

と言ってました。

 

 

私は、身内がなくなる時は、

虫の知らせがくるとばっかり思っていたので、

何の知らせもなく、父が死んだと聞いて、

本当にびっくりしたんです。

 

 

父自身も、

子供に知らせに行く余裕なんてなかったのでしょう。

 

 

弟は、たまに父の部屋に来てはギャン泣きして、

 

「ここにいるとだめだ!」と言って出ていくのを繰り返していて、

 

なんなんだこいつはと思いながらも、

弟も悲しいんだよなぁ・・・と、

姉としてはそっとしといてやろうと思っていました。

 

 

そこからあれよあれよという間に、

葬儀屋さんが来て、

父の遺体を綺麗にしてくださいました。

 

 

葬儀屋さんが準備している姿を一緒に見ながら、

 

「俺もとうとう被ったか(方言で「死んだか」という意味)」

 

と父が言っていて、

 

「昨日の夜に、心筋梗塞で死んだって先生言ってたよ。」

 

と説明しました。

 

 

実家では安置できないので、

セレモニーホールに移動しました。

 

 

セレモニーホールは私の自宅のすぐ近く、

車で3分くらいのところで、

明るくて、

めちゃくちゃ綺麗なところでした。

 

 

セレモニーホールで、

おくりびとの方が、

鬱血のあった父の体の顔を綺麗にしてくれたりして、

 

なんか俳優みたいな顔で若返ってしまって、

 

「ちょっとお父さん!なんか若返ってるよ!」

 

なんて言いながら、笑っていました。

 

 

 

私と、弟と、父の妹である叔母で、

父の体のお浄めをさせてもらい、

 

納棺し、

祭壇が整いました。

 

 

お父さんも眺めていました。

 

 

誰にも連絡していないのに、

 

お父さんがお世話になった、

現役時代に一緒に仕事をしていた友人たちが4人、

突然現れたので、びっくりしてしまいましたが、

 

実家の隣の理髪店のマスターが、

連絡してくれたとのことでした。

 

 

コロナの時期で、

家族葬をするつもりだったので連絡しなかったのですが、

来てくれてとっても嬉しかったです。

 

 

 

夕方の5時くらいだったでしょうか・・・

 

お通夜の準備しないと!と、

お父さんの同級生の住職に電話すると、

もうお酒飲んでて、今日は何もできないって言われました。

 

 

これは仕方ない。

 

 

うちの方では、

亡くなった人は、線香の明かりを頼りにするので、

線香を絶やしてはいけないと、昔から言われていて、

 

葬儀屋さんに、どなたか、ここに泊まりますか?と言われましたが、

 

昼からの怒涛のような流れで、

泣きすぎて頭が痛いし、疲れてるし、

 

弟も泊まらないというので、

私も泊まらないと言いました。

 

 

なので、

「一回家に帰ろう」と、

弟とお父さんに伝え、

車に乗り込みました。

 

 

 

お父さんの生まれ育った町や、

 

魚釣りをした川、

 

昔、家があったところ、

 

お父さんの建築会社の事務所があったところを周り、

 

車を止めて話したりしながら、

 

夕焼けで真っ赤に染まる、

お父さんが小さい頃沢山遊んだであろう土手沿いを通って、

実家に戻りました。

 

 

父は助手席の後ろの席に座っていて、

いつものように両手のひらを足の間で組み、

窓の外を眺めていました。

 

 

 

セレモニーホールに、

お父さんの体を1人で置いておくのは、

ちょっとかわいそうな気もしましたが、

 

明日からの怒涛のスケジュールを思うと、

一回休まないと無理だ!と思い、

 

朝まで持つ、渦巻のお線香を付けて帰りました。

 

 

お父さんの体に変な魔物が近寄らないように、

祭壇のある部屋、

そして建物全体にしっかりシールドをかけておきました。

 

 

こういう時、

こういうことが出来て、便利で助かるよなって、

思いながら。

 

 

 

家に帰って、私がお風呂で髪を洗っていると、

何の躊躇もなくヒロルが勝手にお風呂に入ってきて、

湯船に浸かりました 笑

 

 

私は髪を洗いながらヒロルに、

 

家族を亡くした遺族が誰でも言うのと同じ様に、私も、

 

「もっと実家に行けばよかった」

 

「ドライブに連れて行けばよかった」

 

などと言ってましたが、

 

 

ヒロルは、

 

「親孝行したと思うよ。

 

親が一番嬉しいのは、

子供が自由に楽しく人生を満喫することでしょ?

 

自分だって子供に対してそう思わない?

 

あなたは思いっきり人生楽しんでるでしょ?

 

それ、一番嬉しい親孝行だよ。

 

親に対して何をしてあげたいとかそういうのは、

やってあげた子供が嬉しいことであって、

 

本当の親孝行って、

子供が楽しく生きてることだと思う。」

 

と言っていました。

 

 

確かに!!

 

と思ったので、私はそれ以上、後悔するのをやめました。

 

 

多分、

死ぬまでずっと実家に毎日通っていたとしても、

 

たとえ一緒に住んでたとしても、

 

「もっとこうしてあげればよかった」

 

って思っていたのだと思う。

 

 

 

ヒロルには、子供も大変だし、

お葬式とか出なくていいよ、家で子供を見ていて。

 

と話していたのですが、

 

 

「お父さんは、ただのアルバイトの僕に、

大事な娘をくれたんだよ?

お礼くらい言わせてよ」

 

と言ってくれたので、

 

じゃあ、子供たちもみんなで明日お父さんのところに行こう、

ということになりました。

 

 

 

次の日、26日。

 

 

お昼前にはまた、

葬儀屋さんが来てくれ、

父の体を整えてくれました。

 

 

お坊さんも来て、お経をあげてくれました。

 

 

お焼香をしても、

私は何にお焼香してるのか、

よくわからない感じ。

 

 

昨日まで「お父さん」だった人が、

今日は突然「仏さま」と呼ばれるのも、

なんか変な感じ。

 

 

お焼香あげながら、この時もまだ、

 

「あたしは一体、誰にこれやってんのよ!」

 

という声が、自分の中から聞こえていました。

 

 

お経の後、

 

おじいちゃんが死んだ時も、

おばあちゃんが死んだ時も、

おじちゃんが死んだ時もお坊さんがいつも言っていた、

 

「小さい時、お父さんにいじめられた」

 

というジョークをまた聞いて、

笑ったりしながら、

 

これからのこと、お墓のことなどを打ち合わせし、

夕方からお通夜をしました。

 

 

 

お通夜を済ませると、

弟や、従兄弟、叔母でご飯を食べながら、

軽く飲み会をしました。

 

 

あまりに綺麗なセレモニーホールに、

ヒロルがテンション上がって、

 

「僕、ここに泊まりたい!」

 

というので、

じゃあみんなで泊まるか!と言って、

泊まりました。

 

 

ベッドルームもホテルみたいだし、

バスルームや洗面台も綺麗で、

ジャグジーみたいなのまでついてるし、

 

なんかお父さんから、一泊旅行でもプレゼントしてもらった気分でした。

 

 

 

ヒロルは先に寝ましたが、

子供たちは広いホールの、

お父さんの祭壇の前で、

 

 

棺に向かって歌を歌ったり、

 

祭壇の前で踊ったり、

 

お坊さんが使う超でかい鐘を鳴らしたり、

 

お父さんに手紙を書いたり、大騒ぎです。

 

3人のマックスパワーで、とにかく賑やかすぎです。

 

 

 

なぜか、娘たちが、

祭壇の前に椅子を並べて、

なんか今時の、ハッピーバースデーの歌をずっと歌ってました。

 

 

 

確かに、この世では「死」だけど、

 

スピリットとしては新しいサイクルに入る、

旅立ちのお祝いだから、

間違いじゃないよなーと思いながら聞いていました。

 

 

こんな時は、いつもは元気すぎて、

鬱陶しい子供たちの無邪気な賑やかさが、

 

この場も、

私のことも、

お父さんのことも元気にしてくれて、

助かります。

 

 

なので私も、祭壇の前に椅子を持っていって、

チューハイを飲みながら、

 

そして遺影のお父さんの顔見ながら、


話したり、

泣いたり、

言いたいことを言ったりしてました。

 

 

自分からどんな想いや言葉が湧くのか、

ずーっと見ていると、

 

 

ごめんね、なんて言葉1回も出てくることがなく、

 

出てくるのはただただ、

 

ありがとう

お疲れ様

大好きだよ

 

という言葉だけでしたし、

 

 

感じるのは、

 

少しの寂しさと、

 

めちゃくちゃ大きな愛だけで、

 

本当に体が温かくなっていくばかりでした。

 

 

その日はぐっすり眠れました。

 

 

 

27日。

 

朝になり、

みんな呑気にオリンピック見たり、

朝風呂入ったりしていましたが、

 

気がついたら、あれよあれよという間に、

出棺の時間が近づいていて、

弟家族や、従兄弟や叔母が来ました。

 

 

お別れの儀式では、

みんなで棺にお花を入れて、

最後に釘をうちました。

 

 

火葬する前にもう一度お別れする時間があったので、

またもやしつこく、

棺の中のお父さんの顔をペタペタと触りながら、

本当にお疲れ様でした!と、最後に言いました。

 

 

棺が火葬炉に入れられ、

火がつけられました。

 

 

外に出て、

煙突から出ていく煙を眺めながら、

 

お父さんの体は、

こうやって空に登って、

雲になって、

雨になって、

川や海になって形が変わっただけで、

ずっとここで循環していくんだよなーと、

 

たったこの前、

自分の講座の中で話したばかりのことを思っていました。

 

 

火葬が終わり、

みんなで骨を広い、

セレモニーホールに帰り、

 

葬儀が始まりました。

 

 

この時にはもう涙も出なく、

サッパリしていました。

 

 

葬儀が終わると、

お世話になったセレモニーホールをチェックアウトして、

お父さんの骨を持って実家に帰りました。

 

 

あぁ、骨になって帰ってくるって、

こういうことかーと。

 

 

すぐに簡素ですが祭壇が設けられ、

たくさんの花が飾られました。

 

 

そのあとはまた、

みんなでお寿司屋さんに行って、

父の小さい遺影の前に、

大好きだったビールを置いて、

お疲れ様の乾杯をしました。

 

 

これで全て終了。

 

 

25日のお昼から、

27日の夜までで、

葬儀関係は全て終わり。

 

 

友引がなかったので、

たったこの3日間で、全部サッパリ終わりました。

 

何ともあっさり。

 

 

 

先週には、初七日のお経をみんなであげました。

 

弟の家と合わせて、

子供が全部で6人。

 

そのうちの5人がいたので、

また賑やか 笑

 

 

姪っ子はお経の間に、

合掌してる手をウネウネさせて笑ってるし、

 

ヒロルはインカメでみんなを自撮りしてるし、

 

何かのお祝いかというくらい賑やか。

 

 

お父さんもそこにいましたが、

 

「おめーら、やる気あるんか」と呆れて笑ってました。

 

 

父はしんみりするのとか、

寂しいのがあんまり好きじゃないので、

我が家らしく、いつもカオスで、賑やかで、

よかったと思います。

 

 

 

父は、寝たきりで入院してる母のところに行ったり、

誰かがお線香あげにきてくれた時は家に戻ってきたり、

あっちこっち行ってる感じでした。

 

 

でも、もうそろそろ、

案内の人が来るので、

新しい世界に行くと思います。

 

 

 

夢のない話ですが、

 

この世でいう「死」というものを迎えた後も、

 

スピリットは、

 

専門の人(?)が一緒についてくれて人生の振り返りをしたり、

 

一つの人生を終えた魂のリフレッシュやヒーリングが行われたり、

 

次のことを相談したり、

 

やることはあるのです。

 

 

 

本当に、体がなくなっただけで、

そのまんまなんです。死んでも。

 

 

車から降りただけ、みたいな感じ。

 

 

2年前に、自分の仕様が完全に変わってしまってから、

初めて肉親の死というものを体験したので、

とても混乱するというか、不思議な感じでした。

 

 

こんなにそのままなのかと。

 

見た目は、お父さん自身が一番強く印象に残ってる自分の姿のようで、

若干若返ってますが。

 

 

だから私は、何に泣いてるのかよくわからない、

 

けど、意志とは関係なく、

なぜか涙がボロボロこぼれてくる自分を、じっと見守っていました。

 

 

きっと私の、「お父さんの娘である」というマインドの部分が、

寂しくて泣いてたのだと思います。

 

 

ただ、すごく思ったのは、

どんなことになっても、

泣いてる時でさえ、

 

パニックになることも、

感情に巻き込まれて溺れることもなく、

 

こんなにも自分の中で起こってることに繊細にずっと気付いていて、

観察したり、味わったり、

 

こんなにしっかり意識を保っていられるの、

凄いなぁと、

自分のことながら驚き、感心してしまいました。

 

長い間、自分を訓練してきた賜物だよなぁと思って。


 

なんか人間らしくないのかもだし、

状況や、亡くなった人が誰かによってもまた違うんだと思いますが…

 

 

家族、親戚中の中で、

事あるごとに誰よりも、

いっちばん泣いてたのは私なんですよ 笑

 

 

涙を堪えるとか、

気丈に振る舞うとか、

そんなコントロールを全くしないから、

どこでも、いつでも、誰の前でも平気で泣く 笑

 

 

湧いてくるすべての感情をしっかり感じて、

解放して成仏させる、

どんな自分でも大丈夫っていう強さが、

私は中にいつの間にか育まれていたんだなぁ。

 

 

昔は、あんなにメンタル弱々かったのに、

強くなったもんです。

 

 

 

父は本当に、いい人生でした。

 

波乱万丈だけど、幸せに、

これ以上ないってくらい、思いっきり生き、

天寿を全うしました。

 

 

自分で建てた家の、

いつも寝ていた自分のベッドで、

 

亡くなるときは苦しかったかもしれませんが、

 

性格的に、

子供らに介護されるのとか嫌なタイプだったと思うから、

 

突然、こんなにあっさりと亡くなったけど、

とってもお父さんらしい死に方だったと思います。

 

本当に幸せな人だなって思います。

 

 


上原暢子先生が、

 

「みんなピンピンコロリがいいって言うけど、

ピンピンコロリって「突然死」のことだからね。」

 

って言ってたのを思い出してました。

 

まさに、と。

 

 

数日間病院に入院したりして、

手を握って、

「お父さんーーーー!!」とか言えなかったから、

家族、親戚、全員、全く心の準備なしあせるあせるあせる

 

 

ピンピンコロリ、

本人はいいかもしれませんが、

残された方は、本当にびっくりしますね笑い泣き

 

 

 

大酒飲みで、

本当にやかましいお父さんでしたが、

私にとっては親友みたいな父でした。

 

 

7年前に酒飲み過ぎて倒れ、脳内大出血して生死を彷徨って、お酒をやめてからは(というか、周りにやめさせられてからは)、

毒っけが抜けて、


ただただ可愛いだけのおじいちゃん、

みたいな感じで、

本当に愛おしかったです。

 

 

これは7年前、第2子妊娠中でパンパンの私とお父さん。

 

 

 

 

お父さんには、一言、

 

良い旅をね虹キラキラ

 

と伝えたいと思います。

 

 

 

以上、

初めて親の旅立ちに遭遇した、

娘の記録でした。

 

 

心赴くままに書き綴ったので、

全く纏まってませんが、

忘れる前にここにしたためられてよかったです。

 

もし読んでくださった方がいたなら、

ありがとう。