冬がグイグイ来てますねー!

 

 

 
 
 
高橋ナナですキラキラ
 
 
本日、
突然ですが、
夫婦でYouTubeを始めました。
 
 

 

 

昨日は、

ひっさびさに年末の新宿に繰り出し、

 ボドゲ会。

 

 

 

ただゲームをやる会ですが、

メンツが非常にゴツい 笑

 

 

 

 

 

めっちゃ楽しかったー!!

 

 

岡田哲哉さん、雲黒斎さん、手前に歌手の佐々木恵梨ちゃん

 

 

岡田さん、ナイスな企画ありがとうーラブ
 

 

 

 

さて、今日の話は、

 

多くの人が信じてる、

 

『私』

 

というものについて。

 

 

 

全ての苦しみ、悩み、欠乏感、孤独感、罪悪感、

無価値観・・・

 

 

できること、

できそうもないこと・・・

 

 

ぜーんぶこの『私』とやらにくっついてるようですが・・・

 

 

 

『私』って、

 

誰でしょうか?

 

どこにいるんでしょうか?

 

 

 

私たちは、便宜上、

区別をするために、

「私」という言葉をよく使ってきましたが、

 

 

 

これ、一体なんなんですかね?

 

 

 

普通に日常的に、

世間一般多くの人が使っている、

『私』の正体を書いていましょう。

(暇かよ

 

 

 

一般的な通念としての私とは・・・

 

 

星肉体

内臓、血液、体液、骨、その他諸々を皮膚で包んであるボディ

 

 

星名前

産んでくれた人か、または関係のある人が、

市役所や区役所に提出した紙に書いてあるもの

 

 

星職業や肩書き家族内での生まれた順番や役割

環境とか過去を表すただの情報

 

 

星自分が自分を思うイメージ

『セルフイメージ』と呼ばれるもの

 

 

星基準やこだわり

「こうあるべき」「ねばならない」という情報の集まり

 

 

星過去の記憶の寄せ集め

 

 

星性格やキャラクター

 

 

 

これらを寄せ集めたものを、

 

一般的には『私』としてるようです。

 

 

 

なんの疑問もなく、

これらと自分を同化させて、

それを「私」だと信じています。

 

 

 

そして、それを本物だと思い込んで、

本質的な自分を、

思い出せないでいる人もいます。

 

 

 

 

その、情報の寄せ集めである『私』を前提に、

 

今日のイメージ、

明日のイメージ、

人生のイメージ、

結果へのイメージが作られ、

 

 

そのイメージ、

作り上げた物語を、

無意識に信じ、演じています。

 

 

 

そして、その方向にエネルギーが集まり、

「現実」と呼ぶものに収束して行ってます。

 

 

 

『私』という曖昧なイメージや、

 

そこにくっついてるイメージに囚われなくなることで、

 

 

命が本当に創りたいと思うものに向かって、

進んでいけるようになります。

 

 

 

『私』というのは、

雑な言い方すると、

「思考の塊」でもあります。

 

 

 

「思考」に入ってしまうと、

意識が寝てしまいます。

 

逆にどんな思考にも囚われず、

空っぽの時、

目が覚めてます。

 

 

 

思考に意識が集中していない時、

命の欲求、

 

 

人間としてではなくて、

創造する者としての欲求も、

自然にわかるようになります。

 

 

 

こんな仕組みだから、

 

「自分が本当にやりたい事がわからない」

 

というご質問には、

 

 

「空っぽになれば、勝手にわかるようになる」

 

とお答えしてるんですが・・・

 

 

 

情報の寄せ集め、過去の記憶である、

思考、

 

「自分はこうあるべきだ」とか、

「自分はこういうキャクターだ」とか、

 

そういう偏ったこだわりから自由でいる時、

 

自分が認識してる「私」に縛られてない時、

 

本質的な自分に気付けるというのかな・・・

 

 

 

 

だから、

 

本質的なそのまんまの自分、

ありのままのポテンシャル(潜在能力)を全開にして、

生きたいと思ったときに、やることは、

 

 

 

この『私』という制限の塊、

 

思考の塊、

 

この制限だらけの牢屋から出ること。

 

 

これらの幻想を見抜くこと。

 

 

 

私を「消す」とか、

エゴを「消す」という言葉を使う人もいますが、

これは無理ゲーです。

 

 

 

だって、

「消そう」と思ってるその思い自体が、

思考だから。

 

 

あと、色んな思いは、

何かをきっかけに、

どんどん湧くものだから、

 

そして、それも命の活動なのだから、

 

それを消すって、

生きてる限り無理です。

 

 

 

無視して、

 

「なかったことにする」くらいが関の山。

 

 

 

 

じゃあ「消す」のではなく、

そこから「出る」にはどうしたら良いか?

 

 

 

 

それは、

 

 

完全に『私』から意識を抜いてしまうこと。

 

 

 

 

その代わり、

 

その『私』が浮上してる、

空間部分、

何もない部分、

空っぽな部分に、

 

自分の意識のフォーカスをいつも置いておくようにすること。

 

 

 

空っぽになるといっても、

ボケーっとすることではありません。

 

 

 

『私」に意識が入っても、

すぐに『私』に意識が入ってることに気付いて、

また何もない透明なスペースに、

意識を置き直すこと。

 

 

 

これを常にできるようになると、

色んなものに惑わされなくなって、

 

『迷い』も消えていきます。

 

そして、選べるようになります。

 

(厳密にいうなら選ぶというより、

命の、本質的な欲求からの選択が起こってくるという感じですが

 

 

 

『私』だから、

こんなもんだろうとか、

 

これならできるけど、これは無理だろうとか、

 

制限されたイメージの中から選んだものではない、

 

 

 

私たちがもともと持っている超絶自由な、

 

たくさんの可能性や純粋な性質(才能)の中から、

 

本当のポテンシャルから、

 

選び、具現化してくことができる。

 

 

 

本氣(もとの性質)の自分で、

何かを成そうと、それが表現、体現されていくとき、

 

 

 

これは起こってほしい!

 

これは起きて欲しくない!

 

という偏った、

選り好みした愛の少ない、

ちっちゃいエネルギーではなく、

 

 

 

何が起こってもいいよ!

 

 

という全てをオッケーした、

膨大なエネルギー(愛)の中で、

創造したいことにフォーカスを集中していくことができるので、

 

「叶わなかったらどうしよう」

 

なんて、ビクビクすることに、

エネルギー漏れを起こさなくて済むのです。

 

 

感情に溺れるのもそうだけど、

 

無意識に起きてるこの「エネルギー漏れ」ほど、

 

人を疲れさすものないよな 笑

 

 

 

 

言葉にすると、難解かも知れませんが、

 

そして難しく聞こえるかも知れませんが、

 

やってみると、

 

超絶シンプルなことです。

 

 

 

 

常に、

 

常に、

 

透明な方に。

 

 

 

スペース、純粋な空間の方に、

 

意識を合わせ続ける。

 

 

 

 

これは少々トレーニングが必要ですが、

 

脳機能的にいうなら、

 

3週間もあれば、慣れてきますよ!

 

そして、3ヶ月もすれば、定着します。

 

 

お試しあれ!

 

 

 

1人じゃ、らちあかん!

という方は、

ぜひセブンスセンスへ(最後宣伝

 

 

まぁ何事も、

トレーナーやコーチをつけると、

習得が早いからね 笑

 

 

 

というわけで、

みなさま素敵な1日をキラキラ