今日は、

私の中の「純度」について真剣に書きたいと思います。

 

 

高橋ナナですゲ

 

 

 

これについては、

どうでもいいっちゃどうでもいいのですが、

 

 

私は「純度」という言葉を、

初の著書の時から、

本文の中でもよく使っていて、

 

 

その頃というのは、

結構スピリチュアルな用語を使って説明していた気がするので、

 

 

なんとなく今のノリで、

もう一度書きたいな〜って思い、

これを書く次第です。

 

 

 

私が純度が高いというとき、

 

「混じりっけがない」

「それそのもの」

「透明感」

 

みたいな意味で使っている気がするのですが、

 

 

なんか異様なまでに、

「純度が高い」ということを、

「ポジティブなもの」と捉えてる人が多い気がするのでね、

 

そうなると、

ちょっとおかしなことになるなと。

 

 

 

この言葉、ある意味、

若い子が使う「マジ卍」みたいな、

ニュアンスがあるかも 笑

 

 

マジ卍の意味は、

  1. ヤンキー、不良、調子に乗る
  2. 写真を撮るときの掛け声(まじ〜?卍(ここでポーズ)〜
  3. テンションが上がった時や物事を強調する言葉
  4. 特に意味が無く万能な言葉

となっています。

https://kotoba-map.com/1700.htmlより

 

 

 

私が「純度高い!」使うときは、

 

3.テンションが上がった時や物事を強調する言葉

 

これに近い 笑

 

 

あと、「ロックだね!」って言葉も、

私の中で「純度高い」と同意語 笑

 

 

 

いや、ほんと、

どの本にも「純度」という言葉を、

癖のように書いてしまっていたので、

読んだ人の数だけ解釈があるのは当たり前なのですが、

 

 

私の中では「純度」は、

ポジティブでも、

ネガティブでも、

どっちでもない言葉なんです。

 

 

 

自分にとってネガティブと捉えてしまってる何か・・・

 

例えば、

 

自分にとって、

「大変なこと」とか、

「疲れること」とか、

「苦手なこと」とか、

「妥協」とか、

 

一瞬で「純度が低い」と言って、

切り捨ててしまう人がたまにいるのだけど、

 

そういうことではないんだよなぁ。。。

 

って思うんですよ。

 

 

 

簡単にいうなら、

 

 

めっちゃ苦手だし、

なんなら嫌いなことをやってまでも、

どうしてもやりたいこと。

 

 

これって、めっちゃ純度高い 笑

 

このニュアンス。

 

 

もはや、ニュアンス問題 笑

 

 

やりたいことをするために、

どうしても苦手なこともやらなきゃいけない場合って、

よくあるじゃないですか。

 

 

例えば、

家はめっちゃ綺麗にしたいけど、

洗濯物を畳むのが嫌いとか、

 

 

断捨離したいけど、

粗大ゴミ出す手続きの電話するのが超めんどくさいとか 笑

 

 

 

ここで、

 

「洗濯物を畳むのが嫌だから、

私の「家を綺麗にしたい」という欲求は、

純度が低いんだ!」

 

とか、早合点して欲しくない 笑

 

 

 

その嫌なことやってまでも、

どうしてもやりたいことって、

大切にしてほしいなって思う。

 

 

やりたいことの中に、

ちょっと嫌いなことがあるからって、

「これは本当はやりたくないんだ!」とか、

そういう風に決めつけないでほしいなぁと思う。

 

 

 

ま、本当にどうでもいいことなんだけど、

もし私の本を読んで、

違う風に解釈してる人がいたら、

一応、著者としての意図を説明したい!

 

と思っただけの話でした!笑

 

 

 

いや、ここまで書いて言うのもあれだけど、

マジ、どうでもいいね!

 

マジ卍 笑

 

 

 

でも、言葉って難しいよね。

 

 

例えばさ、

「ピンク」って一言にいっても、

思い浮かべるピンク色が、

 

サーモンピンクだったり、

桜色だったり、

ショッキングピンクだったり、

それぞれ違うように、

 

言葉そのものに対するイメージが、

本当に一人一人、

それぞれ違うから。

 

 

 

そう、

色に例えるなら、

純度って、透明。

 

 

黒でも、

白でも、

グレーでもない。

 

 

私の中では。

 

 

 

こないだテレビ観てたら、

 

 

「曖昧さ」(グレー)に対する耐性が強い人や、

黒か白かではなく、

どっちでもないという曖昧さ、

 

このグレーを楽しめる、

グレーを許せる人はメンタルが強く、

幸せでいられる。

 

うつ病にかかるリスクが低い。

 

 

というようなことを、

心理学の先生が言っていたのだけれども、

 

なんかこれも、わかる気がした。

 

 

 

20代とかの若い頃は本当に、

 

 

オールオアナッシング!!

 

白か黒か!

 

グレーとかふざけんな!!!ムキー

 

 

ってタイプだったんだけど 笑、

(特に恋愛や自分の夢に対して)

 

 

やっぱ、

感情がジェットコースターみたい、

上がったり下がったりして、

自分の心に振り回されて、

すげー疲れてたなって思うーーーーー 笑

 

 

 

今は、

 

これは黒、

これは白、

これはグレーだね、

 

とか、

 

そういう風に物事をいちいち解釈したり、

カテゴライズすることがなくなって、

 

なんというか、

全部、

 

 

ただ、

そのまんま、

それ

 

 

という感じ 笑

 

 

物事に対して、

いちいち言葉を乗せることがなくなったというか。

 

 

だから、ある意味、

色がない。

透明。

 

 

 

「曖昧さを許せる」以前に、

 

何かの物事をいちいち「曖昧」とか、

逆に「決定的」とか、

振り分けたりして捉えることがないというのかな。

 

 

 

他人と言葉で話すときとか、

何かを伝えたいときは、

もちろん言語化しなちゃいけないから、

自然に言葉にすることが起きるけど。

 

 

我ながら、

ちょっとは大人になりました 笑

 

 

 

自分の感情に気づくことは、

とても大事なことだけど、

 

以前の私のように、

それに振り回されちゃって疲れるー!!

という人は、

 

 

最初に何か物事があって、

「見る」と呼んでることが起きて、

 

その後に、ちょっと遅れて、

何かしらの言葉や考えが湧いてきてることに気がつくと、

振り回されなくなると思います。

 

 

 

 

 

この写真を見た0コンマなん秒後かに、

 

「花」

 

とか、

 

「綺麗」

 

とか、

 

後から少し遅れて湧いてきてるはず。

 

 

見たものと、その言葉って、

日常会話をする上でひも付けられてるんだけど、

本当は関係ないと言うか。

 

 

「コーヒ」という言葉と、

あの「茶色くて苦い飲み物」は別物。

 

ただ、考えたり、会話するために、

ひも付いてるだけ。

 

 

 

これに気がつくと、

物事って本当に、

「ただ、それ」で、

なんでもないんだ、

 

後から勝手に考えや言葉を、

ごちゃごちゃくっつけてるだけなんだということに、

気がつくから、

 

それを見抜いてしまうと、

いちいち言葉や感情に振り回されなくなると思います。

 

 

つか、

振り回されるものも、

振り回すものも、

本当はいないんだけど。

 

 

って、

 

純度の話してたのに、

えらい話飛んだな!笑

 

 

というわけで、

ややこしくなる前に、

今日はこの辺で!笑