ハッピーハロウィン
来年は絶対仮装するぞ!!!
高橋ナナです
先日のゼロポイントシフト認定講師養成講座で、
認定講師の方が撮ってくださった写真なのですが、
わかりやすいと言われたのでここでもシェアします。
エゴ、人間意識(自我)と、
全体意識、または神意識(真我、命)の例えです。
興味ない人にとっては、
全く面白くない話なのでスルーしてください 笑
ではさっそく
全体に広がる大きな布が、
神意識、もしくは宇宙。
その中でつまんでる部分が、
自我、個人という幻想。
全体意識でいるとき、
個人としての「私」はそこにいない。
何もない空間から「私」という言葉で表現されてる、
素粒子の塊を認識してるような状態。
このつまんでる部分(私)がパッと解放された時、
全体に溶ける。
「私」という言葉を「全体」という意味で使い始める。
全ての「私」と溶ける。
この自我がパッと解放されること、
すなわち「個人」がいなくなることを、
この世では「悟り」と呼んでるらしい。
PS 星野さん、ここでも写真使わせていだきました 笑
つまんでる部分は、
多くの感情や思考とも言い換えられる。
どんな思考も感情も、
全体というスペース、
下地の中に、
ただただ湧いては消えている来ている事象。
どんな思考も感情も現実も、
また肉体も、
個人という概念も、
雨が降ったり、
台風が来たりするのと同じ、
宇宙という広大な下地の上に湧いては消える、
ただの自然現象。
「悟り」も同じ。
ただ突然起きる自然現象。
エゴ(思考)で心臓を止めることができないように、
なんのコントロールも出来ない。
空っぽの中で、全ては移り行く。
どれを取っても実体なんてない。
「空」という無、空っぽから、
「色」という無限の幻想が生まれる。
般若心経の世界。
これらの事象を常に観察しているのは、
下地であり、空っぽのスペース、空、
すなわち宇宙。
ここには個人としての「私」はいない。
その代わり、
全体としての「私」、
ただそれだけが在る。
わたしが教えてるゼロポイントシフトも、
多くの瞑想も、
このつまんでる部分ではなくて、
下地、スペースの波動域に同調して生きることを伝えているもの。
「悟り」のタイミングはコントロール出来ないけど、
思考や感情の粗い周波数域から離れることはいますぐに、
誰でもできる。
というわけで、
みなさま素敵なハロウィンを
なんか、
ハロウィンてワクワクするね!笑
来年は派手にやりたいぜ!
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